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紙の本
まねることのできそうな天才の形呂不韋
2005/11/02 12:05
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はちべえ - この投稿者のレビュー一覧を見る
第十六巻に、秦の宰相であった呂不韋の生涯を描く「奇貨居くべし(上)」と特別書き下ろしとして春秋名臣列伝(十六)斉の晏嬰(晏子・晏平仲)」、次の十七巻には「奇貨居くべし(下)」と春秋名臣列伝(十七)「呉の季札(延陵の奇子)」となっています。
私が「奇貨居くべし」を読んだのは、今回で二度目になります。一度目読んだときは、親に愛されない少年である呂不韋が旅に出てから巻き込まれる数々の歴史的事件や出会う大物の人物たちに眼を奪われて、天才的な少年が天意を受け天才的な術をもってして秦の宰相になったような印象が残りました。
ところが今回読むと、呂不韋という人物がひどく内省的な人であることに気づかされました。精神と肉体の強さをもってただ突き進むような英雄ではない。呂不韋は、自分のことを天を駆ける羽を持つ天馬ではなく、駑馬(のろい馬)であると思っています。そのために人の何倍もの努力を積み、学ぶことを大切にします。そして力をつけるためにまず人は与えることによって与えられることを知っており、そしてつけた力は民の幸せのために向けようとします。この人が悩むときはまた、著者である宮城谷昌光さんの哲学のようなものに読者が触れられるときでもあります。したがって内省的な呂不韋を描いたこの本はまた、他の著書以上に宮城谷さん自身が探求した哲学のようなものにより多くふれることのできる書であると言えるような気がします。
史書では、秦の始皇帝の父かもしれないとされ奸臣のそのもののように描かれることの多い呂不韋ですが、宮城谷さんの呂不韋は、人として生きていくのはこのようにありたいと思えるすがすがしい気格を持つ人であり、また悩みを持ちながら生きるその姿が読者にとっても身近に感じられる部分を持つ人なのです。
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