紙の本
10話目は「ダイハード」?
2004/04/01 19:56
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:青木レフ - この投稿者のレビュー一覧を見る
東京か…それもいいな
戦争か…最高だな
面白い、奇妙な味の小品。
外へ出る馬鹿と内にこもる利口の話。
大作でなく小品なのは、絵が上手過ぎて雑味というか勢いが無いせいか
優し過ぎてマイナスの感情が見当たらないせいか。
田舎に住んでいる、または閉鎖的な状況にいる人には破壊力を持つ作品
なのかも。
詩の挿入は良いとして、あとがきは萎えた。
(spelled from純粋呪文)
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西島大介のイラストは「ファウスト」とかで知っていて可愛いなーと思っていました。「ユリイカ」が西尾維新特集を組んだ時に西島大介が漫画を載せていて、それが結構シンプルに西尾維新の世界観を表していて「おぉー」と思った。「凹村戦争」は本屋で見つけて以来ちょっと気になっていてやっと読めた。小説と見せかけて漫画。うーー……個人的に良かったのは最後の台詞だけかな…。彼、受験どころじゃなかろうに。
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いや、まいった。なにから書き出していいか、実際今戸惑っている自分に気づく。結論から言うと、これらの作品は今、現時点において日本という社会の中で形成された文化の最エッジの部分を象徴、表象するものであり、今後の文学、漫画等のユースカルチャー/サブカルチャーはこの土台の上に成立してゆくだろう。そうあるべきだとおもう。
宮台真司のいう、終わなき日常を生きるというタームをそのまま受け取るかどうかは別として・・・、これらの作品はこの荒れ地の中からの再生を希望する。終わりなきと断言されてしまった絶望はあまりにも深く、一度彼らの世代は世界を抹殺されてしまっているのだ。彼らの世代による数多くの事件があり、その度に世界は殺され、試され、確かさへの期待を抱かされ、失望を与え続けたに違いない。かろうじて現実として存在するのは、TVの向こう側にある東京という巨大な虚構だけ、それ以外は退屈に支配され、確かさの実態を失い、ただセックスや快楽の消費という強度にしか信を置けない世界に成り果てている。正しきものは死に果て、欲望と同義の自覚されない悪意だけが怪物のようにはびこる。それすらも実体を持たず、ばかばかしいまでに空虚で真実みのない世界。
そうこの作品はセカイ系だ。だがそんなカテゴライズの必要がどこにあるだろう。「セカイ系」とのかぎ括弧は、自分とセカイとの関係を単なるモードやタームに回収する事で、自分を安全地帯に置こうとする、モラトリアムの格好付けにすぎない。セカイとの関係の中でリアルな交わりを切望する事、これ以外の生きる意味って何だ??
ファウスト後の世代に共通とされる「セカイ」に対する認識、これらの「わたし対
セカイ=世界」の対立図式が生み出したものは、果たして空虚でバーチャルな若者の戯れ言なのだろうか?????。否である。全くそうではない。彼らの世界認識は「わたし対世界」の最深部へ、すなわち世界の成立の秘密の領域のと場口に立った。それは生と死の永遠性、自己存在の永遠性、魂の永遠性、フラットな現実の否定による多層現実への参入、世界認識のオカルト化を指向する。彼らはこの事に対して自覚的なのか?判らない。舞城王太郎、西島大介は自覚的なのへはないか。彼らの作品の生死、あらゆる常識的な意味での必然性の意図的な無視・破壊、因果律が心的現実によって規定されているという認識などはこれらを特徴づけるものだ。
磯辺涼の「ヒーローはいつも君をがっかりさせる」に書かれているフューチャーテラーを生んだ千葉の景色と、凹村戦争で書かれる景色は同じ景色だ。そして「ヒーローは〜」に書かれるミュージシャン達の奏でる音と世界と、西島の世界は完全にリンクしてる。人脈的にも、世代的にも共通しているのではないか。しかし、俺の住むこの世界も同じ景色として見る事ができる。そしてこの作品を読む、静かに狂える20代前半の若者達も同じ景色をみていることだろう。
これらの意味合いに置いて、この作品は現代を明らかに素晴らしくシャープに切り取った作品である。そして西島はさらにその先の、既に失われていると思われた物語へ向かう。こんなに荒れ���て、無造作に打ち捨てられた世界へ、ただひたすら行為せよ、歩き続けろと誘う。そう、この向こうにまだ誰にも書き得ていない物語、書かれていない世界が作られてゆく事を示唆して。そしてこの意味に置いて俺も共感できるのだ。ほんとうに何もない、まだ生まれ得ていない世界があるという事を俺も忘れてはいなかったのだから
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某古本チェーンで物色していたところ、全く関係ないジャンルの棚に『凹村戦争』が挟まれていました。
これはきっとキープしておきたいと思ったお客さんが、こっそり隠したなぁ、と思った私は迷わずサクッと手にとり、レジにGO!してしまいました。
だって、かなりお買得だったんですもん。
しかし、そんな私の行動はパンドラの匣を開けたようなものだったのですね。
読んではいけないものを、読んでしまった感じです…。
山に挟まれ、携帯電話もラジオの電波も届かず、テレビはNHKだけという隔離された場所、凹(おう)村。
平穏で平坦な毎日、どうにかなんないかなぁ、って思っていた矢先に突然、振ってきた"物体X"!
…だけど、村はなんも変わらないってところが恐ろしぃぃぃぃ。
"相変わらず何もかも無事 これが現実"
昔は"夢"とか、"自分の居場所"とか、近い将来に確実なものが見つかるんだって思っていたような気がするけれど、本当はそんなものないんだってわかりはじめている最近。
現実は確かにもっと曖昧でテキトーなのさ。
でも、それでいいのだ。
ちなみに凹村=オーソン・ウエルズ、そして今、タイムリーな映画『宇宙戦争』著者のH・G・ウエルズ。
偉大なるふたりのウエルズへのオマージュ溢れる作品。
彼らの死後何十年もたつけれど、彼らの精神だけはこうやって、ひと(西島大介)からひと(読者)へ、そしてまたひとへと永遠に流れていくんだなぁ、と漠然と思ったり。
かわいいワンコだなぁ、と思って手を出したら、
「げッ、指を喰いちぎられたッ! でも、指1本なくても生きて行けるし」みたいな!?
ショッキングなんだけど、どこかぐだぐだって感じな1冊でした…。
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独特の絵と世界観がなんとも味わい深い作品です。かわいい絵柄で、内容は青春もの…のような?是非、読んでみて下さい。
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凹村は名前の通り周囲を山で囲まれ、電波が何も届かない。
外と隔たれた世界。
外の世界はいつの間にか滅びへと。
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閉ざされた小さな村の何も起こらない平穏な日常。その外と内を願いを書けた不思議な流星が繋ぐ。大きな世界へ・・・ささやかな戦争がやさしい終焉を教えてくれる。本当になりうるよ。これが戦争。本当?
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『最悪で無茶苦茶で容赦のない世界に対抗する唯一の方法。最高に無茶苦茶に容赦なくやること。(本書あとがきより)』
読むたびに、馬鹿でいられるうちに馬鹿でいようと思った中学時代を思い出します。
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「宇宙戦争」のオーソンウェールズを文字ったタイトル。内容。
でも西島大介なので、ファンタジーでメランコリーなSFに仕上がる。
西島大介の描く、目がいい。笑っているような、怒っているような、バカにしているような、泣いているような。
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四方を高い山に囲まれた山間の村、凹村。携帯電話もラジオの電波も
届かない隔離されたこの小さな場所で、僕は生きている。世界の崩壊
を待ち望みながら…。
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●全1巻●携帯の電波も届かない、新聞は半月遅れ、半隔離された凹村。ここで、高校受験を控えた凹沢が主人公。「この平和な村がどうかなっちゃえばいい」それは小さな願望。凹村の上空を飛来する謎の物体「X」。ゆるい感じで、絵柄もおだやか。しかしながら驚くべき話の展開を持つSFマンガ。http://blog.livedoor.jp/yuzuki6/?blog_id=1811041
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箱庭規模のSF。青春ものと言うにはあまりにも希望がない青春もの。吐気がするほど腐った人間しか出てきません。先の見えない閉塞感を胸いっぱいに吸い込めるマンガです。
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この絵みたことないですか?
雑誌や書籍でイラストなどの仕事もしている作者の名作です!
行き場のないもやもやした気持ちを爆発させろ!!
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何も起こらないスーパーフラットな日常から勝手に逃げろ、たたかえ、人生。相変わらず世界はくだらないしテキトーだし。どうせなら最高に楽しいこと。もうどうでもいいやって笑えるぐらい滅茶苦茶にデタラメにふざけて。
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凹村に戦争はなかった。戦争するほどまともじゃなかったというか、この村はものすごくテキトーにできているのだと思う。
(12 凹村戦争 The War of the Worlds)