紙の本
寺社仏閣と湯治
2008/12/15 16:45
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Soloviyova - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は、民俗学の大家宮本常一氏のお弟子さんで在野の研究者。参考文献は140以上。今後の読書の指針ともなり得るほどである。
日本の旅の源流は、寺社仏閣巡りと湯治である、ということが論旨であるが、それに纏わる衣(旅装束)、食(宴会食、名物の菓子、土産等)、住(宿屋の造り)、さらに入浴、資金に関する著者の研究の成果である様々な知識が隅々に散りばめてある。
随所に絵図の説明が記述されていて楽しめる。新書であるので致し方ないのだが、モノクロであるうえ、小さいので、予め図書館で「東海道五十三次」等を用意しておくと尚いっそう読書が楽しそうである。
浅学のため多数の用語がわからず、読み方と意味を記した付箋紙をたくさん貼ることになった。が、結果的に勉強になったと感謝するべきか。
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江戸時代の庶民のイメージと言えば、作者も導入部分で述べている通り、虐げられ困窮した生活のもと、日々生き繋いでいくというものであった。だが本書を読むことで闊達と旅へと出かけていったり、温泉で外国人に明るく話しかける庶民の様子を垣間見て、生き生きとした彼らの姿を知って、晴れ晴れしい気持ちになった。
特に興味をもったのは巡礼という旅の形から浮かび上がる宗教の存在である。江戸時代の庶民は寺社参詣を隠れ蓑に旅に出掛け、遊興自粛が唄われた戦時中も参詣は許された。改めて宗教のもつ実体のはっきりしない、けれども畏怖の念を与える強い力を常に感じた。江戸時代は宗教的にみても重要な年代だ。幕府によってキリスト教が禁止され、隠れキリシタンの殉教も珍しくなかった。彼等にも旅の機会はあったのだろうか。
本書で社会的弱者と考えていた庶民の生き生きとした旅の様子を知り、さらに社会的弱者でありマイノリティであった彼等の様子が気になった。
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古代・中世の苦難に満ちた旅から,お伊勢参り・湯治など遊興性を帯びた江戸の旅へ.そこには,どのような社会の変化があったのだろうか? 旅行記,浮世絵などの資料を駆使して旅の実態を描きながら,その変化を促した社会の姿を説き,そこで生まれた生活文化が,実は現代に継承されていることを明らかにする.
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古本で購入。
江戸地代を中心に、日本の「旅」の様相をざっくりと述べている。
旅する人々、旅する目的、旅の場、ガイドブックの数々、携行品…旅史の概説としてはちょうどいい。
京都所司代が記録した、18世紀始めの4~5月に京を通過した伊勢参詣の旅人の3分の1が16歳以下の子供というデータはおもしろい。
その後ろには子供のぬけ参りを、それと察したうえで密かに送り出す親がいたり、いやはやすごいな。
旅人の筆まめぶりにも驚かされる。
やはり滅多にない旅だからこそ、記録したいのだろうか。
「都と言っちゃいるが、どっこい大したことはねぇ」と京をけなす江戸人の稚気もまた、しょうもなくもあり可笑しくもあり。
明治以降の旅に触れつつ「これからの観光地かくあるべし」的結論で終わっているのが、ちょっと尻切れトンボ気味。
ただ
「今後の観光地は新しい旅行時代にふさわしく個性を明確に」
すべきで
「八方美人の観光地にはもはや何らの魅力もないことを知るべきであ」
る、というのは納得。
全方位的な売り出し方・作り方をしてきた観光地の俗っぽさ・格好悪さはもはや害悪。
昭和61年の本だけど、いまだに通じてしまう指摘だなこれは。
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旅とは、ノンフィクションとフィクション、ハレとケの境界線なのかもしれない…
大義名分(タテマエ)を掲げながら、合間合間で名物を楽しむ姿、お土産をなぜ用意しなければならないのか…などなどとても面白かったです。
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「江戸時代は税金も高いし基本質素な暮らしだったのに、どうして伊勢参りなど旅行が流行ったか。それは副業でお小遣いを稼いでいたから。」目から鱗過ぎて心鷲掴みされた。