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清貧の思想、道元、良寛、兼好…
んー中野孝次いいよね
ますます興味深くなってきた
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P41
いずれは去らねばあんらぬ所を
少しばかり早く去ったところで
それが何でしょう。
配慮しなければならぬのは
長く生きることではなく
充実して生きることです。
なぜといって
長生きは運命次第ですが
充実した生は自分の心がけ
次第だからです。
充実した人生は十分に長い。
しかしその充実は
心が良き資質を発達させ、
支配力を自分の全体に十分に
及ぼしたときのみ得られるものです。
怠惰に過ごしただけなら
八十年生きたところで
何になりますか?
そういうのは生きたのでなく
人生に滞在していたにすぎません。
遅く死んだのではなく
長く死んでいたのです。
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↑2千年前ローマにいいたセネカの
文章から。
「支配力を自分の全体」とか
「人生に滞在していたにすぎない」とか
「長く死んでいた」とか
視点がすごい。
その後の
P42
芝居と同じように人生でも
問題は、それがいかに良く
演じられたかであって
いかに長く演じられたかではない
というのも鋭い。
例えも素晴らし。
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僕が意外に心に残ったのは
中野孝次が
「好んで読んでいる」「こんな文章を見つけた」
というところ。
自分の好きな著者、文章を発掘するって
意外と出来ていないかも知れない。
こういうの良いなあ。
そして中野孝次に
そういう著者、作品、文章を
教えられる。
読書名利に尽きるよ、ほんと
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P134
「ただひとりあるのみこそよけれ」
(徒然草第七十五段)
P124
「吾生既に蹉跎(さだ)たり。
諸縁を放下すべき時なり」
(第百十二段)
(自分の人生はすでに結着がついた。
もうすべての義理を欠いて自由になるべき時だ)
P135
「未だまことの道を知らずとも
縁を離れて身を閑かにし
事にあづからずして心を安くせんこそ
しばらく楽しぶとも言ひつべけれ」
(第七十五段)
(まだ真実の道とは何かを知らなくとも
ともかく世俗のつながりを絶って
身を静かにし
周囲に雑事にかかわらないで
心を安らかに保っているならば
かりそめながら人生を楽しんで
いると言えるだろう)
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P182
「人間対象の孔子、宇宙に遊ぶ老子」
「孔子よりも老子のほうが
はるかに思想のスケールが大きい」
「老子は雲が飛んでいった
水が流れたという大きな世界」
「孔子の対象はあくまで人間」
「人間が自分たちの社会の中で
どのように生きていくべきかを説いている」
↑このところずっと思っていたものが
これによって氷解した。嬉しい。
そう、禅的なものに心惹かれるのは
孔子的な「人間界」を超えているからなんだ
ということに気付かされた。
何も���にも代えがたい貴重な気づきだ。感謝
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だからいまならわかる
小池龍之介の言っていた
良きものも悪きものも
過去未来は忘れた方が良い理由。
良寛のように
「いまここ」にあることを
心からありがたく、うれしく、楽しい
と思うには
過去も未来も忘れなければいけないし、
更に言うなら
忘れるのは自然なことなのだ
ああ合点がいった