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2006/11/19。現実には、絶対あり得ないだろ、というお花畑のストーリー。最初はグリュウの行動や思考にイライラしながら読んでた。しかし、最終的には、それまで散々だった物語が、一遍に収束していった。混乱の原因が消えてからは、夢から覚めたような感覚。全体を通して、確かにマノンは、恋人に酷い仕打ちをしていたが、無邪気さ、高潔さはどことなく漂っており、決して卑しいと思わせる内容には取れなかった。めちゃくちゃ振り回されたが、後で思い返すと、良い作品だと思えた。
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自分を愛した男にはさまざまな罪を重ねさせ、自らは不貞と浪費の限りを尽してもなお、汚れを知らない少女のように可憐な娼婦マノン。
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フランスの恋愛小説であるが、内容はすさまじい。最期はアメリカでのたれ死にするのであるが、それまでの過程がとんでもないのである。語り手、神学生だったグリューは美貌のマノンを愛したがために、詐欺・イカサマ賭博と悪に手を染めることになり、横恋慕してくる男たちから、自分の恋人を守るために、罪を重ね、二度も監獄にぶちこまれ、父親とも縁を切ることになる。マノンは贅沢好きで浮気性で、考えなしのどうしようもない女であるが、無邪気なところが憎めない。グリューは彼女を憎みながらも愛していく、愛するのを辞めようともするが、どうしても辞められず、マノンがアメリカへ流刑になると、アメリカまでついていってしまうのである。マノンはつきあっていると不幸になるし、自分から「わたしとつきあっていると不幸になる」といっているのだが、どうしても嫌いになれないという典型的な悪女である。恋愛の魔力といえばそれまでだし、頭を冷やして考えれば、登場人物の最大幸福も見つかったであろう。要するに考えてみれば馬鹿な話ではある。しかし、やはり一種の純愛が描かれているのであろう。相手のへの無償の愛という点では、当時の社交会や貴族たちの恋愛ゲームより、ずっと誠実だったであろう。僧になった友人チベルジュに、グリューが「神への愛も苦難を伴うし、恋愛もそれは同じ。だが、恋愛には苦難に値するものがこの手につかめる」という意味のことを述べる部分は、なかなか冒涜的にだが、同時に宗教的な恋愛観じゃないかと思う。グリューの恋愛は破滅的ではあるが、キリストが説いた「愛」に近いものがあるのではないだろうか。彼は愛する者のために自分の生命を使うことを考え、恥辱や困窮のために自殺しようとしたとき、何度も思い直している。身分があれば、監獄からでも簡単に脱出できてしまう所は、身分制の通弊ともいうべきところで、とても「法の支配」とはいえない。フランスも中国などと同じだなと思う。
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光り輝くばかりの美貌で男性を魅了するマノンと、そのマノンに振り回されて破滅していく若き貴公子グリュウ。
とにかくマノンの天然悪女ぶりがすごい。どんどん浪費の限りを尽くして、足りなくなるとグリュウ以外の裕福な男性を捕まえて夢中にさせる。
しかしどんなに裏切られても、グリュウはマノンの魅力から逃れられない。彼女を忘れて真っ当な人生に戻ろうと決めても、目の前に彼女が現れればその気持ちも瞬く間に失ってしまう。恋に狂うあまり賭博や詐欺に手を染め、友人や家族の忠告も耳に入らない。
でも結局グリュウは不幸だったかと言われると、そう言い切ることはできない。
確かに彼の人生はマノンに会うことでがらりと変わってしまった。しかしマノンと出会えたことを絶対に彼は後悔しないだろう。もし人生をやり直せるとしても、グリュウはやっぱり彼女のいる人生を選ぶんだろうな。
こんなにも激しい恋はごめんだが、人によっては幸せと映るのかもしれない。
個人的にはグリュウの友達であるチベルジュが気の毒だった。
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一言で言うと
「空気の読めないバカ女のせいで一人のボンボンが転落していく話」
である。
正直この運がいいだけで常に自分の生まれの良さと優秀さを
鼻にかけるだけで何も考えていない主人公が
ただバカ女に振り回されているだけの話である。
これが一時期はフランスで「恋愛文学の最高峰!」とか
「この物語を読んで心を動かさないものは本当の恋を知らないものだ!」とか
言われていたのだから時代というのは恐ろしいものだ。
300年近く前の話なのにマノンが「ゆとり」に思えて仕方が無い。
あまり信じたくないことですが世界はマシになってきているらしい。
どうぞぶっとんだ価値観に浸ってみてください。
この世界では殺人ですら恋の前では全く罪悪感を起こさせないのです。
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マノンは悪女か、それとも聖女か。
ってか、悪女なんですけどね・・・尻軽って言い切ることができないのが魅力です。
マノンに憧れる女性、多い気がします。
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人は恋のためだけに、ここまで出来るものなのか…。あまりの愛の力の強さにあてられてしまいました。
しかし、主人公グリュウもマノンも、よくもまあ胡散臭く滅茶苦茶な理論を次から次へと吐けるものだ。恋が悪い、恋のせいだと言ったとて、行動に移したのは全部自分なのに。
あと勉強になったことは、妾を囲っておくこともイカサマを身につけることも、彼らが生きているこの世紀では別にいやしいことじゃないらしいです。
「椿姫」で物語の鍵となる小説だったので手に取ってみましたが、この「マノン・レスコー」でフランス文学の破天荒さに目覚めてきました。次は何を読もうかな。
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まるでブランデーのように舌の上で熱く甘く溶け喉を熱く焼き焦がす。
マノンは悪女だけれど愛さずにはいられない。
永劫の罰が待っていても束の間の幸福を求めずにはいられない。エロスは人間にとって最大の苦しみだ。
同一神のはずだが、アラーのほうが慈悲深い。
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「恋愛はけがれない情熱であるはずなのに、ぼくにとって、どうしてそれが不幸とふしだらの原因になってしまったのだろう?」
「私を絶望させるものが、私に至上の幸福をもたらすことができるとは。私は自分の誠実な性質に、あらゆる運命の中で最も優しい運命を期待していたのに、恋愛の最も完全な報酬を期待していたのに、その誠実な性質のために私はあらゆる人間の中で最も不幸な人間になったのだ。」
例えばそうゆうこと。
「君みたいなんだよ、マノンは。」そう言われて手にした本。
読み終わって、ああ、確かにそうだ、と納得。
ただマノンは私より純粋だ。底辺に愛すべき存在―グリュウ―を持っている点で。
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前評判は確かだった。
いつまでたっても悪い癖が抜けず、ひどいことばっかりするマノンなのに、
それは「悪い癖」という言葉でまとめられてしまうことができる。
そのゆえんはマノンの悪気のなさ!!
お金がなくなった途端に公然と浮気をしておいて、可憐にこう言い放つ。
「ごめんね、でもお金がないって耐えられないんだもん…」
悪女である。
しかもこれで嫌いになれないかわいさ(無邪気さからくるのだろうか)があるんだから、さらに始末に負えない。
というか、だからこその悪女なのか。
なんといっても、まっとうに主人公と想い合っている期間は本当にかわいいのだ。
「こんなに愛されて、私はほんとに世界一の幸せ者だと思うの」と、こう来る。
主人公はこれで許してしまうのです。
ついには、「お金がないと浮気しちゃうのは癖だからしょうがない。彼女のためにお金を絶やさないようにしよう」とこうなる。
なんたる思考回路!ここまで来ると幸せ者ですね。
そしてその若さゆえの恋みたいな勢いは最後まで衰えることがない。
この時代にこの作品とは、すごい。
現に、娼婦の悪女、という設定ははじめてのことだったらしい。
うーん、舞台でぜひ見たい。
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恋愛に恋と愛の二つの要素があるとしたら、この物語は恋の極限なんだろうと思います
私にはまったく理解できない思想世界だなーと思いました
君も本気の恋をすれば変わるよ、この物語が好きになるよ、と言われたとしたら、私はそんな恋なんてしたくないです
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普及の名作をやっと読んだんだけど、単純な恋愛をテーマにした作品と片付けられない人間の本質を書いた小説だろう。文章にも含まれるけど、愛、憎しみ、快楽、苦痛、希望、恐怖という感情をここまで書いている作品はそうそうないですね。溺れるぐらい感情移入できるのでまた時間を置いて読んでみたい作品。280年たった今でも楽しめるなんてすごいな。
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主人公デ・グリュウはおバカだ、友人チベルジュはいい人だ、マノンもおバカだ……そう思い、つっこみを入れつつも、だんだんとデ・グリュウに同情し、同調し、マノンに魅力を感じるようになってしまいました。最後に死んでしまうからでしょうか。まあ、もし何だかんだで生き続けたら、たぶんつまらない話だったはず。
しかし、美貌によるハロー効果ではないかと思うほどにデ・グリュウはマノンを「愛して」いるんですね。その愛のもとには何もが正当化されてしまう。その愛がよくわかりました。さすが心理小説。マノンが「運命の女」たりうるのは、視点がすべてデ・グリュウのものだからでしょうね。
最後まで飽きさせず読めた作品でした。まさに劇的。(特にアメリカの描写、効果については……)
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昭和30年の訳だったと思いますが、予想よりもはるかに読みやすい文体で、驚きました。想像力をうまく利用した作品だと思います。原文と読み比べながら、もう1度じっくり読んでいきたいです。
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尽きることのない愛情でグリュウを包むマノン。
二人の間にあったものは、まさに「不謹慎と軽率」だ。
自分に非があると知っていながら、男を運命の歯車に巻き込むのは悪女そのもの。そんな悪女に自らの人生を持って抗えなかった弱き男性の物語。
恋とは大きな水槽に飛び込むようなものなのかしら。
溺れると分かっていながら、自ら全力で回転しながらで飛び込んでいく姿を見た。
グリュウもさ、自分の悲惨な運命を恋のせいにしちゃっている点でどうかと思ったけど。破れかぶれの姿を美しいと思うか、粋ではないと見るかは人それぞれかしら。もうここまで行くと滑稽というか手に負えないなと思ってしまう。
「或る女」が女性目線なのに対して、「マノン・レスコー」は男性目線なのが面白い。どちらも、女性「性」をうまく描いていると思う。
・自分が相手の愛に値しないのではないかという感情
・チベルジュとグリュウの相反する理性と感性のコントラスト
・フランスとアメリカの対比
とか、そういうのが気になった。
にしても、後半30ページの悲劇っぷりはやばい。。
悲劇の階段を転げ落ちていくとはまさにこのこと。
息をのむ展開だった。