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こんな天才作家が日本にいたのか。
作風から公害問題とセットで語られるのは仕方ない事だろうが、
もっと普遍的な古典文学作品としての文章力の高さを感じる。
ルポ的内容に反してほとんど創作との事。何という表現力。。
次に日本人がノーベル文学賞をとるならこの人だろう
2012-08-12 15:23:42 Twitterより
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被害者に、社長が謝罪するまで15年。合同慰霊祭がひらかれても一般市民は参加せず。被害者を追い詰め、傷つけるのは加害者ばかりではないのだ。会社が潰れれば働き口を失う人々がいる。被害者は、米が手に入らずに丼いっぱいの刺身を食べていた貧困の人たちだったという。弱いものがものを言えず、苦難を強いられる。水俣のためにとじっと我慢する人々。そのことを知って、ぞっと背筋が凍るような気持ちになる。
気の毒だが自分には関係ない、そんな無関心で自分が誰かを追いやる加担をしていないか。それは今も起こっているのではないか。想像することをやめてはいけない。考えろ。厳しく突きつけられる本だけれど、知らないでいいはずはない。
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水俣病の話
原発汚染水のニュースを見つつ読了
あらためてユージン・スミスなどの写真を観たいと思う
「魂が泣きよるにちがいなか」
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水俣病とその病気を取り巻く社会的背景を描いた小説。患者や漁民の苦しみの一方で、チッソによって発展した町。それぞれの苦悩を描く。
大分大学 教育福祉科学部 (分野 社会福祉学)
教員 廣野 俊輔
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水俣病の記録文学。石牟礼さんのものは読まねばならぬ、と思い読む。生の苦しみが伝わる。といっても、その辛さや厳しさが高々に主張されているわけではなく、あくまでたんたんと記録されているのだけど、それがまた臨場感があって。「苦海浄土」というタイトルについて考える。
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[底見えぬ地獄にて]廃水に含まれる有機水銀を原因として、多くの人びとの命と生活を奪った水俣病。その水俣病に苛まれた地域に育った著者が、土地に住み、苦しみの中にいることを強いられた人々の声なき声を記していった作品です。病を通じて失われた尊厳に光を当てた一冊として、初版の発売から数十年を経た現在でも、読み継がれるべきとの評価が消えない作品でもあります。著者は、寡作ながらも日本の文学史上に大きな足跡を残した石牟礼道子。
「これを書かせてしまった」ということに対する痛惜の念がふつふつとわき起こってきました。後遺症に苦しめられる者、そしてその家族の無念のほとばしりに絶句するしかありません。純粋には聞き書きとは言えないようですが、聞こえるはずのない声を掬い取り、それを石牟礼道子女史にして言わしめたという意味で、心からの傾聴が求められるのではないかと思います。重たい、本当に重たい読書体験でした。
あまり日常で感じることはないのですが、本作を読んで現在の生活が多くの分裂の上に成り立っているということをひしひしと感じました。個人が、社会が、歴史が、どうしようもなく散り散りになってしまうところに、それを糧として日常の生活が常に立ちのぼり続けているということを教えてくれたような気がします。なかなか言葉で表すのが難しいのですが、そういった感情を直接感じていただくという意味でも、ぜひ一読をお勧めしたい一冊です。
〜水俣病は文明と、人間の原存在の意味への問いである。〜
特にこの年齢で読めて良かったかも☆5つ
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水俣病患者の「心の中で言っていることを文字にする」(p.371)という、いわば内側の内側のさらに内側にまで入り込み、受難者の受難経験を描くことを通じて人間の原存在を問うた大傑作。
読み進めていくと、まず「貧しい漁民」という固定観念が覆される。たしかに彼らは統計的には「貧民」に分類されるのだろうが、当人たちには驚くほどそうした意識がない。それどころか、太古の昔からほとんど変わらないその暮らしの中にある種の豊饒さすら感じさせる。そうした長い年月をかけて培われてきた文化や風土が「近代産業の所業」(p.74)によってアッという間に壊されていくそのさまは、近代的な豊かさが原始的な豊かさを駆逐していった高度成長期日本における象徴的な出来事のように思える。
水俣病によって家族を失い、暮らしを失い、行政ばかりでなく世論にも見捨てられた彼らの姿は、まさに「棄民」そのものだ。さまざまな苦悩や思いを抱えながら、高度成長の矛盾を一身に背負って生きていく(あるいは死んでいく)姿を描いたこの作品に対しては、安易な論評が憚られる。被害者の心の声をすくいあげた著者の感受性にただただ敬意を表するのみである。
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題名通り、読むのは辛く苦しかった。哀れな漁村民に企業も行政も数十年応じなかった。数十年!だが全く過去の話ではない。だからしっかり肝に銘じなければならない。学生時代から関心を持ってきたが、改めて水俣を訪れてみたくなった。
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いつの間にか本棚から消えていたので、
駅前の書店で改めて購入しました。
(2014年1月17日)
読んでます。
(2014年1月23日)
何年かに一度、読み返したい本です。
これこそが、小説。
(2014年1月31日)
この本を共有できる人と、
時間を共有したい。
そう思わせる本です。
(2014年2月5日)
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熊本県天草出身の著者による水俣病のお話。方言が多く出てくる。弱さや苦しさの中にある強さや笑いが印象深い。
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被害者の声が胸に迫る。
今の原発汚染事情とよく似て、水俣病も当初は原因がわからず、学者が違ったことを言っていた。当時は科学的知見がまだ遅れていたのだろうから仕方ないかもしれないが、はたして今はどうなのだろう?隠蔽されている情報(あるいは事実が遅れて開示されること)が多いので、専門家であっても正しい判断ができないのかもしれない。
水銀汚染された海で、貧しい漁師たちが、魚ばかり大量に食べ、水俣病となった。食べるのが少量であればならない人もいた。土地の人々は、環境の小さな変化に気がつき何か変だと感じていた。
悲しいことに、水俣病になった人を、他の人が差別することもあって、差別していた人が後から水俣病になったりしたこともあったという。
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2014.07―読了
「おとろしか。‥‥人間じゃなかごたる死に方したばい、さつきは。
‥‥これが自分が産んだ娘じゃろかと思うようになりました。
犬か猫の死にぎわのごたった。ふくいく肥えた娘でしたて。‥‥」
石牟礼道子「苦海浄土」、第一章「椿の春」の一節である。
八代海の水俣付近一帯で猫の不審死が多く見られるようになったのは1955年のことだ。
翌56年には類似の発症が人においても見られるようになり、5月1日、「原因不明の中枢神経疾患の発生」が水俣保健所に報告され、この日が水俣病公式発見の日となった。
一昨年-2004年-の10月15日、最高裁第二法廷は、「チッソ水俣病関西訴訟」上告審において、
「国と県は1959年12月末の時点で、水俣病の原因物質が、有機水銀であり、排出源がチッソ水俣工場であることを認識できたのに、排水を規制せず、放置し、被害を拡大させた」と認定し、国.県に対して、原告患者37人に計7150万円-1人当り150万円~250万円-の賠償を命ずる判決を下した。
また、水俣病の病像については、二点識別感覚など中枢性大脳皮質感覚の障害を基本とした、有機水銀中毒症を認定した大阪高裁の判決を妥当と是認して、国.県からの上告を棄却し、最終的に「阪南中央病院の意見書」を元にした「水俣病々像」を認め、切り捨てと選別の「従来の水俣病認定基準」を真っ向から否定した。
最近の朝日新聞の伝えるところによれば、
1968年の公害認定以来、熊本.鹿児島両県での認定申請は延べ約2万3000人という未曽有の被害を招いたが、認定は死者を含め2265人。
95年には村山政権がまとめた救済策を約1万人の未認定患者が受け入れた。
しかし、行政の認定基準より緩やかな基準で被害救済した04年10月の関西訴訟最高裁判決以降、認定申請は約3800人に急増。このうち約1000人は原因企業チッソや国.熊本県を相手に損害賠償訴訟を起こしているが、国は「最高裁判決は認定基準を直接否定していない」との考えで「認定基準は変えない」と強調、被害者との対立が続いている、という。
最高裁の判例をもってしても、国の「認定基準」を変え得ないという一事を、どう解したらよいのか。
「直接否定していない」と強弁する国の姿勢に、50年の歳月を他者の量りえぬ苦界に生きてきた患者たちはどれほどの絶望を感じたことだろう。これがわれわれの戴く行政権力の姿であり、この国のカタチであるとすれば、われわれの明日もまたなきにひとしく暗雲に閉ざされていよう。
アジア諸国のなかで、負の遺産たる公害の先進国である日本は、後続の発生予備軍たる国々に対し、あらゆる面で範を垂れるべき重い責務があるはずであった。
この20年の中国の経済発展をみれば、やがて押し寄せる公害の嵐が、はかりしれない規模においてこの地球を襲うだろうことは必至である。いや、いまのところわれわれの眼には映っていないだけで、すでにさまざまな苦界が生れ、どんどんその腐蝕の域をひろげているにちがいない。その加速度はわれわれの予測をはるかに超えているはずなのだ。
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水俣病の人たちを描いた、伝えた名作である。こういう本があることは長らく知っていたけれど、初めて読んだ。すごかった。
ルポやノンフィクション、エッセイなどとして、水俣病をはじめ病に苦しむ人に迫ったものは数々あるし、いくつか読んだものもあるけれど、これはそれらとは一線を画す。表現が適切かどうかわからないけれど、文学作品とでも言いたくなるような。つまり、他書が惨状を伝えるために書かれているのに対して、本作はフィクションや小説のような感じが漂う。もちろん、水俣病に苦しむ人のことが鮮烈に描かれているのだけど、それを声高に叫ぶのでなく、つぶやくように、ただ淡々と、読者のことなど意識せず書かれているような気がするのだ。水俣病は数々の不幸なものごとを生み出したけど、本作が生まれたのは不幸中のただ一つの幸いと言えるかもしれない。
本作で水俣病の人たちの生活を垣間見て驚いた。1960年代だというのに、当時の映画などで見る都会はすでに華やかな風俗に彩られているのに、水俣の漁師町の貧しげなこと。それでいながら、魚を捕りながら働きづめの暮らしの何と豊かなこと。
「ゆき女きき書」(第3章)などでの海や魚と一体になっているかのような漁をしながらの暮らしの描写はすばらしい。そしてそれが失われてしまったことが悲しい。水俣病のせいなのに、自分の食い分だけの働きができないことを憂いたり、意識が半ばあるなかで神経症状のために狂ったような動きをしてしまう。善良な人にとって何と酷なことをさせたのだろう。
家族の言葉も染みた。「地の魚」(第5章)の「草の親」項。胎児性水俣病で生まれた杉原ゆりさん。その状態から、幼い頃の彼女をジャーナリズムは「ミルクのみ人形」(何て心ない名づけだろう)と呼んだというが、本作では17歳になった彼女を前に母親はこんなことを言う。この深い愛情がすくい。
「うちはなあとうちゃん、ゆりはああして寝とるばっかり、もう死んどる者じゃ、草や木と同じに息しとるばっかり、そげんおもう。ゆりが草木ならば、うちは草木の親じゃ。ゆりがとかげの子ならばとかげの親、鳥の子ならば鳥の親、めめずの子ならばめめずの親――」(p.271)
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水俣病を描いたノンフィクションだと思って読み進めたが、最後の解説で、取材や聞き書きによるものではないと知って驚いた。患者一人一人の心象風景を、まるで本人が話しているように方言で語る描写は、事実にこだわっていると書けない迫力がある。やはりこれは一種のシャーマニズム小説として読んだ方が良いのだろう。
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作家の池澤夏樹さんが個人編集した「世界文学全集」(河出書房新社、全30巻)の中に、日本の文学作品の中から唯一選ばれたのが本作。
先日、作家の池澤さんの講演を岩見沢で聴く機会に恵まれましたが、その際、池澤さんは本作のことを
「日本文学史上の最重要作品」
と、紹介していました。
読まないわけにはいかないじゃないですか。
何かと忙しかったのと、とにかく最高度に集中して読むことを意識したため1か月ほどかかりましたが、夕べ読了しました。
大変に打ちのめされました。
これまでそれなりに文学に親しんできたつもりですが、なぜ、こんな大事な作品をこれまで読まずにきたのか、己の不明を恥じる思いもしました。
本書は、水俣病を材に取った記録文学作品です。
工場廃水の水銀によって生活を破壊され、生命を奪われた水俣病患者とその家族らの声を余すところなくすくいとり、読む者の心をとらえて離しません。
私は熊本弁で語られる水俣病患者とその家族らの独白を読みながら、それが祈りにも似た響きがあると終始感じていました。
渡辺京二さんの「解説」を読んで驚愕しました。
実在するE家の老婆について石牟礼さんが書いた、「苦海浄土」とは別の文章について渡辺さんが本人にただすと、この文章に登場するような言葉を老婆は語っていないことが判明したそうです。
そこで渡辺さんは「じゃあ、あなたは『苦海浄土』でも……」と本人に問います。
石牟礼さんは「いたずらを見つけられた女の子みたいな顔になっ」て答えたそうです。
「だって、あの人が心の中で言っていることを文字にすると、ああなるんだもの」
何ということでしょう。
聞き書きなどではないのです、石牟礼さん自身が、まるで水俣病患者(およびその家族)が憑依したように語った言葉なのです(!)。
私はこの事実を知った瞬間、「巫女」という言葉が思い浮かびました(実際、「解説」には後の方で「石牟礼道子巫女説」なるものがあることに触れています)。
本書の終盤に出てくる、この部分はどうなのでしょうか。
これも石牟礼さんの言葉なのかどうか、調べようもないわけですが、とにかく大変な熱を帯びて読者の心を鷲掴みにするような文章が出てきます。
両親を水俣病で失い、やはり水俣病の弟の看病を続ける茨木妙子さんが、水俣病の原因を作ったチッソ社長の来訪を受けて、こう言います。
「よう来てくれなはりましたな。待っとりましたばい、十五年間!」
そして、この後、こう続きます。
水俣病患者とその家族の、苦難といえばあまりにも酷い苦難と、水俣病の構図が要約されていると思われますので、長いですが引用します。
「『今日はあやまりにきてくれなったげなですな。
あやまるちゅうその口であんたたち、会社ばよそに持ってゆくちゅうたげな。今すぐたったいま、持っていってもらいまっしゅ。ようもようも、水俣の人間にこの上威しを噛ませなはりました。あのよな恐ろしか人間殺す毒ば作りだす機会全部、水銀も全部、針金ひとすじ釘一本、水俣に残らんごと、地ながら持っていってもらいまっしょ。東京あたりにでも大阪あたりにでも。
水俣が潰るるか潰れんか。天草でも長島でも、まだからいもや麦食うて、人間な生きとるばい。麦食うて生きてきた者の子孫ですばいわたしどもは。親ば死なせてしもうてからは、親ば死なせるまでの貧乏は辛かったが、自分たちだけの貧乏はいっちょも困りゃせん。会社あっての人間じゃと、思うとりゃせんかいな、あんたたちは。会社あって生まれた人間なら、会社から生まれたその人間たちも、全部連れていってもらいまっしゅ。会社の廃液じゃ死んだが、麦とからいも食うて死んだ話はきかんばい。このことを、いまわたしがいうことを、ききちがえてもろうては困るばい。いまいうことは、わたしがいうことと違うばい。これは、あんたたちが、会社がいわせることじゃ。間違わんごつしてもらいまっしゅ』
滂沱と涙があふれおちる。さらに自分を叱咤するようにいう。
『さあ! 何しに来なはりましたか。上んならんですか。両親が、仏様が、待っとりましたて。突っ立っとらんで、拝んでいきなはらんですか。拝んでもバチはあたるみゃ。線香は用意してありますばい』」
書き写していて目頭が熱くなりました。
池澤さんが講演で指摘していましたが、貧しくとも平穏な生活を送っていた近代の庶民と文明との相克という普遍的なテーマが本書に通底しています。
人間の尊厳を根こそぎ奪い去るような資本の論理を許していいのかと問うてもいます。
それは東日本大震災以降、前景化した原発問題を抱える現代にも通じる問題提起でしょう。
貴重な読書体験となりました。