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紙の本
シェケナベイベ
2005/07/24 17:25
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Straight No Chaser - この投稿者のレビュー一覧を見る
『デトロイト・ロック・シティ』というKISSマニアの高校生たちの青春を描いた傑作(おバカ)映画がある。で、『ソングブック』にKISSなんて登場しなし、取り上げられている31曲はヘビメタとかではなくて、あくまでもポップ・チューンである(らしい)。
「(らしい)」というのは、ぼくはこの本で取り上げられている曲をほとんど聴いたことがないからで、KISSについても「聖飢魔IIの本家的なバンド?」という間抜けな知識しかない。
で、それでも楽しめてしまうところ、そこが素晴らしいのだとぼくは言いたい。思うにそこがオタク的物言いとの違いである。ちょっと突飛な比較だが、斎藤環のサブ・カルチャー談義にときに漂う神経症的なテイストが、ここには皆無である(斎藤環はたぶん意図的にやっているのだろうが、ときに強圧的な印象がある)。
音楽について評論家的/分析的に語ったり、あるいは音楽を自分の経験に絡めて語ったり(「あのとき、この曲が流れていた」的な)するのではなく、音楽そのものに寄り添い、音楽そのものになるようにして語る。『デトロイト・ロック・シティ』と『ソングブック』に共通しているのは、そういう部分だ。観客はそれをあたかも音楽そのもののようにして楽しむ。
ホーンビィは「すべての芸術は常に音楽的状態へとむかっていく」というウォルター・ペイターの言葉を引きながら、(シンガー)ソングライターについて、こんなふうに書いている。
「音楽とはあくまで純粋な自己表現だし、逆に歌詞は、言葉でなりたっている以上、不純なものでしかない。……ソングライターという人々は言葉に裏切られてしまう。……神々しいインスピレーションを感じながら、まったく同時に、あやまちだらけの人間でいるなんて、どれほど奇妙な感じだろうか。イエス様がツイていない日にどんな気分でいるのか、少しでも理解できるのは、たぶんソングライターだけだ。」
あるいは、こんなことも。
「心のなかの出来事を言葉にするという行為はみんながやっていることだから、言葉はぎこちなさを失って透明になり、そのむこうにくっきりと音楽が浮かびあがってくるようになる。言いかえれば、愛を歌った言葉はもうひとつの楽器のようなものだ。そして愛の歌はなぜだか、純粋な歌になる。」
これって、そのままホーンビィの出世作『ハイ・フィデリティ』(High Fidelity:要はオーディオテープとかの「ハイファイ」)で、主人公のディープすぎる30代半ばのポップ・ファン=超だめ男くん(「ん、おれか?」)が愛を取り戻していく、あのプロセスそのものって感じがする。音楽のような、でも音楽ではない、小説。
最後に、この本のなかで、ぼくがいちばん気に入っている一節。
「だが、ときに、ほんのごくたまにではあっても、歌や書物、映画や絵画は、人間というものを完璧に表現してしまう。そしてその表現は、言葉やイメージだけによっておこなわれるものではない。つながりは、それよりずっと繊細で複雑だ。ものを書くことを本気で考えはじめたころ、ぼくは、アン・タイラーの『ここがホームシック・レストラン』を読み、突然、自分がどんな人間であるのか、何になりたいのか、いい部分も悪い部分も理解した。それは、恋に落ちるときに似たプロセスだった。かならずしも最高の相手や、いちばん頭のいい相手や、いちばんきれいな相手を選んだわけじゃないかもしれない。でも、そこには、べつの何かがある。」
Shake it up baby♪
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