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16歳の時の作品。スゴイ!いったいどんな環境で、どんな生活送って、どんな経験したらこんなのが書けるのかしら?平凡な私には分からん
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とある日本の小説の中で紹介されていて、読んでみようと思った。
タイトルがどぎついが、
高校生ぐらいの歳でこれを書いたラディゲって、やっぱり半端ないと思う。
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「『あんただって僕を捨てて、ほかの男たちが好きになるだろうよ』すると彼女は、自分には、決してそんなことはしない自信があるとはっきり言った。」
「どうして彼女はそうしたすべてを耐え忍んでいたのであろう? 彼女があまりにもものを重大に考えすぎ、くだらないことを気にするのをひなんした僕の躾の結果だろうか? 彼女はこれまでよりも幸福そうだった。だが、それは、何か異様な幸福で、彼女はそれに気詰りを感じているようだった。」
「だが、と僕は考えた。すべての人間が、自分の自由を恋愛の手に引き渡すところをみると、恋愛にはよほど大きな利益があるのに違いない、と。僕は早く、恋愛なしですますことができるほど、したがって自分の欲望を何一つ犠牲にしなくても済むほど強くなりたいと願っていた。同じ奴隷になるにしても、官能の奴隷になるよりは、愛情の奴隷になる方がまだましということを、当時僕は知らなかったのだった。」
「そう聞いて僕には自分がはっきりわかった。二ヶ月間ばらを楽しみたいという欲求が、残りの十カ月を僕にわすれさせていたのだ。そしてマンドルを選んだという事実は、僕たちの愛のはかなさのもう一つの証拠を僕に示していた。」
ただ、何かが虚しい。すごいな、とか、素敵だな、とか、愛しいな、っていうのは何故だかいつも長続きしなくて困る。
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>一ブロックで書いて一行空き、という。これはものすごくブロックごとにキマっているんです。
レゴブロックのようにカチッカチッとハマっていって、最後の一行がグッとくる感じで1ブロックが終わる。テトリスなんかがカチッとハマる感じで、とても気持ちがいい。
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まさにおフランスな小説だった。こんな天気のいい日にこんなアムールな小説を読む人は私以外にいるのだろうか?420円。
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若さのエゴイズム、欲望、戸惑い、残酷さ、憧憬、同化し同化される恋愛の心理が余すことなく書かれている。若くなければ書けないし、十代でこんな作品を書いたラディゲはやはり天才である。読めば十代の頃に立ち戻り、願望を満たしてくれる。
禁じられた遊び「愛のロマンス」のメロディが頭の中に鳴り響く。若き人妻との禁断の恋であるのに背徳観がないのは文体によるのだろうか。
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あらすじだけを言えば、まだ十代の若い男が人妻であるマルトと不倫関係に陥り、最終的にはマルトが不倫でできたと思われる子供の出産のせいで死ぬという悲劇的なもの。この話自体で何が言いたかったのかよく分からないが、内容それ自体よりも、その過程の描き方や心情の分析が鋭く、良い作品にしている。
この作品は筆者が若干17~18歳の時の作品であるということに驚く。内容や筆遣いがそのくらいの年齢の人物によって書かれたと思えないものである。印象的なのは、婚約し同棲する夫との寝室の家具をマルトと主人公が選ぶところである。主人公は結婚するマルトの夫に対して嫉妬を覚えるが、マルトとその夫の家具の趣味を否定し、彼らが自分が選んだ家具に囲まれて寝ることを想像しながら、彼らの寝室をデザインする。当初はその寝室は素晴らしいものに思えたが、マルトと不倫を重ねるにつれて、その寝室のデザインを彼女の趣味に合わせて選ぶべきだったと後悔するに至る気持ちの変化も丁寧に描かれている。その部屋は、マルトの夫に対して嫉妬する気持ちから生まれたもので、彼に対する自分の悪意を意識させるし、マルトにデザインさせた方が、自分の愛する人のデザインということで、そのデザインを尊敬できるからである。また、マルトの不在中にその部屋で他の女性と逢い引きをするというのも皮肉な話である。
彼女を深く愛するようになる前は彼女の考えなどを真っ向から否定することができ、そのことで自分はまだ彼女に夢中になっているわけではないと思いこむことができた。しかし次第に彼女の考えに反発することができなくなり、むしろ自分が間違っているのではないかと思うようになる。彼女を尊敬し始めていて、それによって自分が彼女を深く愛しているということを意識する。この心の変化はとてもよく分かるものだった。「はじめは野卑な感情が僕を欺いていたのだが、今は、ずっと奥深い、優しい感情が僕を欺いているのだった」という表現はとても的を得ていると思った。
また、気になったところは、一体マルトは誰に対して誠実だったのかという点だ。彼女は一応生まれた子供は早産であっただけで、主人公との子供であることに間違いはないと言っているが、真偽は不明である。もしも主人公に対して誠実であったならば、これは背徳的な愛の話ということになるだろうし、逆に夫に対して誠実で主人公とはただの遊びであったとするならば、彼女は娼婦であり、主人公は彼女に弄ばれ日々懊悩としていたという喜劇的な話になるだろうと思う。また、主人公も夫も弄ばれていたということも考えられる。これら三つのどれも考えられることだし、どのようにも解釈ができるように敢えてはっきりさせていないのだと思う。私としては2番目の解釈が正しいような気がするし、タイトルの意味もそれにふさわしいものであると思う。
冒頭でも言ったように、この作品のよさは内容それ自体よりも、主人公の心情の変化を残酷なまで正直に丁寧に描かれているという点である。皮肉にも作品中に「子供はなにかと口実を考えるものだ。いつの両親の前で言いわけをさせられているので、必然的に嘘をつくようになるのだ」という一文があるが、この作品を書いた��齢的にまだ子供っぽさが残る年齢でありながら、正直に気持ちを表現できているという点が特に素晴らしいのだ。
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これを16歳から18歳の間に書いたというラディゲが一番恐ろしいです。心理描写が実に的確で無駄が感じられません。
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自分の心理を(発見を?)何の常識にも定説にも預けずに描写しきってるの。作品の評価に年齢は関係ないけどやはり天才とは早熟の人をしていうのだと思うよ。ラスト数行でゴゴゴと音がしそうな程強くどうしようもなく流れる時流と諦念みたいなものに巻き込まれるのを感じた。いや「諦念」じゃないか…?うむ。 「自らを責める者の誠実さしか信じないというのは、あまりにも人間的な欠点である。」ドニーズもめちゃくちゃ面白かった。
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少年の頃、男は年上の女性に惹かれるものである。さらに他人のモノと言うのは、魅力が増して見える。
若気の至りは誰にでもあり、悩む姿は自分に重ねることができる。
そして、悩みと言うのは、永続的に続くものではなく、あるきっかけで一切気にならなくなるものでもある。
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「ひとは究極的には自分が好きなのだ。それゆえに人々は異性に自らの類似性を求める。それを誰も認めようとはしないかもしれないが、それが真理なのだ」
「僕は彼女を愛していない。しかし、愛していないが故に愛している」
十七歳で書き上げたという、『肉体の悪魔』。そして、二十歳での夭折。つまり、俺ももう彼以上の年齢を生きている。しかし、彼以上の人生経験を積み、彼以上の知識を体得し彼以上の思索を経ているだろうか、そればかりが読後となっては気になる。思索の量では負けるつもりはないが、彼のこの退廃的な経験は、思春期に優等生であり続けた自分からすれば経験しえぬものだ。無論、これが彼の自伝ではないのだろうが、しかし自伝的な匂いがどことなく香り立ってくる。
年上の人妻への恋慕。そして、互いに惹かれあう。彼らがどうしてこうまでして惹かれあったのか、その理由は彼等にしかわかりえないであろう。いや、彼らですらわかりえていないのかもしれない。ただ、彼らの中には類似性があったのだろう。そうして一緒にいるにつれて彼らは互いの中の類似性を育ませてしまった。最初に屈服したのはマルトで、次いで、”僕”であるところの彼も、やがて彼女に屈服してしまう。彼らは彼らの世界だけを生きるようになる。夫への嫉妬と、夫への奇妙な優しさが交互にやってきては彼は混乱し続ける。彼女が自分を愛してくれているのかどうかも、ときに確信しときに疑念に駆られる。戦争下で夫が出兵しているがゆえに彼らのこの蜜月は成立し、そして、夫もやがて彼女が彼を愛していることを知るようになる。彼の感情はときにグロテスクでときに行き過ぎているけれど、愛に溺れてしまったものは得てして行き過ぎてしまうものなのだと思う。愛していない、と、愛しているの間であやふやに揺れていた彼もついには彼女しか見えなくなり、彼女が身ごもっている我が子にすら嫉妬してしまう始末となる。やがて、彼女は早産に伴い、無事子供を産み落とすものの、死してしまう。心理描写がメインとされた、この、青春倒錯小説は恋愛のグロテスクさを知りえているものには響くであろうし、そこから目を背けているものには、拒絶反応を起こさせるかもしれない。とはいえ、解説にはロマン主義を排して――とあるが、過度に理想化されていないだけであって、これはひとつのロマンと言えると個人的には感じる。
「僕は彼女とのことを認められたかった。それは、詩人が、真に優れた詩とは理解不能なきちがいじみたものであると知っていながらもときとして、世俗に塗れた批評家からの賛美を得たいと思うのと同じような心理からだ」――またこの言い回しは、きれいなまでの真理をついているのではないか?
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16歳の少年と年上の人妻の恋愛を描いた心理小説。
短いからすぐに読み終わったけれど、特に面白いとは思わなかった。
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タイトルも魅惑的ですが、内容もなかなか。古典的名作は早いうちに読むべきだな、と。その作品をなぞった後続の作品読んだ後だと、既視感みたいなものがあって感激が薄れるような気がします。
もったいないことですよね。
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肉体を愛撫する。肉体を接吻する。その後肉体は悪魔と化す。肉体に蚕食され、肉体に自分の魂がスポイルされる。
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表題からは、もっとおどろおどろしい内容を想像していましたが、意外とあっさりとした平均的な心理小説。愛に対する節度は、中河与一の『天の夕顔』を思わせます。ただ、『肉体の悪魔』が16歳から18歳の間に書かれた作品であることは依然として驚異。ラディゲは神童扱いされることを嫌っていたようだけど。