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紙の本
現代社会における人間関係の希薄さや不安感の暗喩
2008/06/22 18:21
8人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:dimple - この投稿者のレビュー一覧を見る
『カフカ』のときもそうだったのであるが、親しい人の失踪と不慮の死、そしてユートピア的共同体の存在が村上作品の特徴をなしているように思えた。
ユートピア的共同体については、本作品の場合、精神を病んだ直子が入所した療養施設『阿美寮』がそれに該当する。
もっとも、『阿美寮』の場合は、「ユートピア」(=理想郷)というよりはむしろ、「アジール」(=世俗の世界から遮断された不可侵の聖なる場所、平和領域、避難所)であるように思えた。
では、村上作品にしばしば表れる「ユートピア」ないし「アジール」とは何か?それにはある種の(そして、おそらく村上自身の)現代社会に対する考え方が反映されているのではないかと思う。
現代社会おいては、個人は従来の共同体的束縛(=地域社会、会社、家族等)から解放され、以前よりもはるかに多くの自由を獲得したのであるが、同時にいろんな意味での不安定さ、不安感を個人が抱え込むことになった。個人と個人の関係が希薄になったということでもある。
この不安感が、現代社会における、ある種の「生きにくさ」を生み出している・・・という考え方が本作品から読み取れるような気がしてならない。
つまり、作品中で、親しい人が失踪したり、アジールとしての原始的共同体が存在するのは、人間関係の希薄さや個人の不安感に起因する、現代社会の「生きにくさ」のメタファー(=暗喩)ではないか、ということである。
また、本作品に多い性描写において、行為が最後まで至らないところも、人間関係の希薄さや個人の不安感のメタファーなのかもしれない。
例えば、直子は、長い間付き合っていた前彼のキヅキとすら性交に至っていなかったのであるが、ワタナベと親しくなり性交した直後に失踪し、療養施設に入所してしまう。
その後、療養施設でワタナベと逢ったときも、お互いが求め合っているにもかかわらず、直子が手で処理するだけで終わってしまう。
また、積極的で開けっぴろげな緑に対しても、緑はワタナベにシグナルを送っているにもかかわらず、手で処理してもらう関係に留まっているのである。
では、下巻の最後で、ワタナベがレイコさんに「押しとどめようのない激しい射精」をしたことをどのように解釈するべきなのか?この点については、直後のワタナベとレイコさんの会話にヒントがあると思う。
「私とやるときはそんなこと考えなくてもいいのよ。忘れなさい。好きなときに好きなだけ出しなさい。どう、気持ちよかった?」
「すごく。だから我慢できなかったんです」
「我慢することなんかないのよ。それでいいのよ。私もすごく良かったわよ」(下巻・288-289頁)
ここには希薄さや不安感を超えた、真の親しみと愛情、そして許し合える関係が成立しているといえないだろうか。レイコさんがずっと年上であることも併せて考えると、村上自身の中では、それでも社会に対する希望を見失っていないように思えてならない。
ただ、そこまで深読みしなくても、本作品は、恋愛小説として十分楽しめる物語となっている。直子と緑は理知的な点では共通しているが、直子が内向的な性格であるのに対して、緑は開けっぴろげな性格である点では対照的である。
直子と緑のどちらが好きか?と言われれば、緑と答えることにしておこう。
紙の本
独特の世界観
2018/09/12 12:54
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:chieeee - この投稿者のレビュー一覧を見る
「スプートニクの恋人」を読んで、村上春樹作品をもう少し堪能したいと思い、1番有名な本書をチョイス。死と性がメインのお話。この作品は映像でも鑑賞済みですが、やっぱり映像化は難しかったのか、この本の雰囲気は出せてなかった気がする。まず直子がイメージと違ってたし。(ファンの方スミマセン)相変わらず独特な会話で楽しめる。レイコさんの話が途中過ぎて気になる……。私も直子やレイコさんや緑と同様、突撃隊の話がクスクス笑えて、かなり好き。強烈な登場人物ばかりで、続きが気になる…
紙の本
書かねばならなかった作品
2021/07/28 23:21
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ichikawan - この投稿者のレビュー一覧を見る
精神を病んだ女性との悲恋としてしまえばあんまりな要約であるが、確かに「お話」としては通俗に堕したようにも見える。しかし自伝的体験も多く織り込んでいるように、この作品は春樹が書かずにはいられないものであったのだろうし、この作品を書くことで次の展開へと移ることができたのだろう。
紙の本
深い哀しみの中に迷い込んでしまう
2020/02/02 18:38
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Todoslo - この投稿者のレビュー一覧を見る
学生運動の嵐が吹き荒れる、1960年代後半の都内のキャンパスの猥雑さが伝わってきます。直子とレイコさんが静かに暮らしている、京都の施設の静謐さも切ないです。