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いや、彼らは決していさかいなどしない。二人が胸に抱えている沼はとても深いのだ。底から湧きあがってくるあいだに言葉は意味を失い、ただ美しい響きだけが残る。 204頁 どこにも居場所がないのにどうして生きていけるの? でも実は小川洋子の小説の中でこれが一番好きかもしれない
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綺麗な音楽が聞こえてきそうな小説。
どうでもいいが、これほどまずい解説は初めて読んだぞってくらい、巻末解説がメタメタでした。
小説がいい分がっかり感がひどいです。
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また小川さん
今回もやっぱり男の人は静かな感じで
職業もやっぱり不思議
チェンバロ職人
主人公の瑠璃子の気持ちとか切なかったな
そしてグラスホッパーって言うペンションの奥さんが
小川さんの『薬指の標本』にはいっている「六角形の小部屋」?の人に似てる気がした。
てゆか、この作品自体が、「薬指の標本」と「六角形の小部屋」を足して二で割った感じだった。
どっちかというと後者だけど
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嫉妬とか後悔とか
どうしようもないけど
それが自然の中で起こってるから、静かでわりかし綺麗にみえる。
わたしはすきだ。
職人系
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読んでいると、胸が苦しくなる。瑠璃子がときどき薫への嫉妬に取りつかれて狂う場面が哀しい。ラストには心が洗われるような救いがある。
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夫から逃げる為に別荘へ行き
そこでチェンバロ職人の男と弟子の女と出会う。
それぞれ傷を抱えて生きる三人は優しくも哀しく絡まりあう。
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冷たい夫から逃れ別荘に隠れ住むことにした「わたし」と、そこで出会ったチェンバロ作りの男とその女弟子。深い森の奥で、3人の時間が静かに流れていく。
「やさしい訴え」というタイトルに惹かれて購入しました。
小川洋子さんらしい、深くてどこか哀しく、そして美しい物語だったと思います。
チェンバロの音色に全て包まれているような、激しさも優しさも深い水の中のできごとのような印象を受けました。
チェンバロ、一度演奏を聞いてみたいものです。
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図書館から借りました
現代。大人の恋愛小説。
暴力夫(愛人までいる)を捨てて、幼い頃からなじんでいた山奥の別荘に逃げてきた「瑠璃子(彼女の一人称な物語)」。
近くにはチェンバロ(ピアノみたいな楽器)を作る男「新田」とその助手の若い女「薫」がいた(あと、老犬も)。
しずかな暮らしの中で瑠璃子は二人と交流する。
やがて、新田と深い仲になるが、肉体関係を超えた深いところにいる新田と薫に、焦燥し、嫉妬する。
夫の愛人が尋ねてきたり、離婚の手続きをしたり、夫から愛人が今妊娠中と聞かされたり(瑠璃子は不妊治療に奔走したが、結局子供を作れなかったのだ)、恩師から通信教育をやるから手伝ってと言われたり、なかなか波瀾万丈。
愛人はなかなかいいヒトっぽかったが、だから瑠璃子はいってやればよかったのに。
「妻に無意味に暴力をふるうこと」「酒を過ごすと、特に酷くなること」を。
その二人は幸せになることはないだろうと思わせる。
女に手を挙げるクズは、どんな女でも妻にしたら殴るのですよ。
今度は子供がいるというから、無夜はなんかもやもやした。
けっきょく瑠璃子は二組のカップルから押し出されてしまうけれど。
彼女は仕事をするのだ。自立して生きていく。
題名は、曲の名前。瑠璃子が好んで、薫たちにリクエストした曲。
静謐だけれど、おとなしい狂気が底を流れている気がする物語。
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チェンバロを斧で打ち壊すシーン、この激しい場面を全く音のない風景として見詰める主人公の姿が印象的。
林に満ちた空気・匂い・音に包まれた、あくまでも静けさが支配する物語。
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あまりたくさん読んではいないが小川さんにしては珍しく主人公が情熱的。ラモーの小品であるタイトルとチェンバロ製作家の話ということに弾かれて読んだ。
主人公が音楽の世界に生きていないから二人の間に入れないことだけが、叶わない恋の理由とは言い切れないだろうけど、苦しい。しかし、「切ない」とは思わないのは、主人公がびっくりするほど気持ちに正直だからだろう。こんなちょっと(かなり?)過激な主人公を受け入れる二人もやはり普通の世界では生きられない病的な人たちというのはやっぱり切ないのかも。
ストーリーそのものより、カリグラファーやチェンバロ作りの仕事ぶりに興味を持ってしまった。本当に入れ込んで惚れ込んで仕事をできるって、そしてフリーで生計を立てる強さって憧れるな。
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夫から逃れ、山あいの別荘に隠れ住む「わたし」が出会った二人。チェンバロ作りの男とその女弟子。深い森に『やさしい訴え』のひそやかな音色が流れる。挫折したピアニスト、酷いかたちで恋人を奪われた女、不実な夫に苦しむ人妻、三者の不思議な関係が織りなす、かぎりなくやさしく、ときに残酷な愛の物語。
泣くことだけが、自分を支えていた。
友人に、私の書く文章、小説は小川洋子に似てるといわれたことを思い出した。
小川作品って二つの系統があるように私は思う。
「まぶた」「薬指の標本」系の作品と、「博士の愛した数式」系統と。
本書をどちらかに分類するなら、間違いなく後者だろう。
だけど、どちらの系統にも含まれる「狂気」が確かに本書にも存在する。
それが随所に出てくる楽器や、音楽の話、それから彼女自身の描写に調和されたり、かもし出されたり。
愛し合うことは、認め合うこと。
ただ抱き合うだけが愛じゃないんだ。
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主人公の女の人にほとんど共感できなかった。 夫に捨てられ、仲良くしている男女の間に無理やり割り込み、個人的な感傷に浸っている女の人にしか見られなかった。 チェンバロを作っている男の人と女の人と犬の雰囲気が、すごくいいと思った。
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静かな話だった.
綺麗すぎてちょっと苦手.
でも,もっと歳をとったらわかるようになるのかもしれない..
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「誰にも愛されないよりはまだ誰かに捨てられたほうがましだ」を体現する作品ですね。
私も、昔は苦悩は少なければ少ないほどいいと思っていましたが、最近はそうは思わなくなりました。
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小川洋子の作中の主人公は、常に観察者である。主人公は、新田氏の人生に結局小さな跡形しか残せず、ただただ新田氏や薫さんの観察者として存在する。その無力感が最大の魅力なのかもしれない。やや掴みにくい作品。