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紙の本
練達の音楽史家が綴る不出世の音楽家の評伝。夭折した音楽家への愛惜の念が、行間から滲み出ていて胸が打たれる。
2005/02/05 13:33
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
明治時代の中期に、多くの唱歌が作られたり西洋音楽を編曲したものが出版されたりしているが、今なお歌い継がれているのものはほんの僅かである。その多くは、時の審判を受けて忘れ去られるか、音楽史の片隅に僅かに記憶されているばかりである。そんな中にあって、瀧廉太郎が作曲した「花」「箱根八里」「お正月」「荒城の月」などの歌曲は、現在のハイテク時代にあっても、命脈を保ち愛唱され続けている。日本が西洋音楽の導入に汲々としていた時代に、日本人の感性を生かして西洋の作曲技法でこれほどの素晴らしい歌曲を作り上げた瀧廉太郎とはどのような音楽家であったのであろうか。
本書は、管見の限りでは、新書形式でこの音楽家について書かれた初めての評伝である。著者は、モーツアルトの研究で著名な海老澤敏で、愛惜の念を込めて瀧廉太郎の業績とその時代を描いている。
副題に夭折の響きとあるように、著者は瀧廉太郎を夭折した音楽家の一人に位置付けている。夭折した音楽家と言えば、誰しもモーツアルトやシューベルトを思い浮かべるが、両者ともに年若くして作曲活動を始めており、作曲した作品も膨大なものがある。著者が真の意味で夭折の音楽家として挙げているのは、イタリアの作曲家ペルゴレージとスペインの作曲家アリアーガである。ことに、後者は19歳で亡くなっており、遺された作品も弦楽四重奏曲3曲とシンフォニー1曲と少なく、その響きには「急いでおのれを鳴り響かせるような」<疾走する悲しさ>が聴き取れるという。
著者は、この夭折を予感させる旋律は、瀧廉太郎の絶筆となったピアノ曲「憾み」(うらみ)にも覗えるとし、冒頭の1章を割いてこの曲に言及している。このピアノ曲は、作曲者が自分の生命がもういくばくも無く、音楽生活を中途で断ち切られることへの無念の思いが込められているという。
前途洋々、日本を発ち、ドイツのライプッチヒで留学生活を始めて僅か2ヶ月余りで、病魔に襲われ帰国せざるを得なかった瀧の心中は察するに余りあるものがある。
瀧の生前残された豊穣な作品を想う時、もし健康に恵まれ、2〜3年留学生活を送り研鑚を積んで帰国した暁には、どれほど充実した作品を残すことができたであろうかと愛惜の念に捉われざるを得ない。著者は、瀧廉太郎の歌曲集『四季』の素晴らしさを讃えて次ぎのように言っている。「モーツアルトでさえ、五歳で作曲を始めて堂々とした傑作を作曲するまでに7年の歳月を要している。ところが、瀧廉太郎の『四季』の創作は(習作を始めてからの年月から言えば)ある意味でモーツアルトの奇跡を越える出来事であった。」本書の夭折した主人公への最大の哀悼のことばであろう。
本書は、夭折の問題以外に、日本における西洋音楽の導入の歴史、瀧廉太郎の音楽学校での軌跡、作品の分析、作品の受用史なども詳しく取り上げられている。2003年度は、瀧廉太郎没後100年の節目にあたり、いくつかの行事や記念CDの発売などがあったようである。発売されたCDの中の1枚には、『荒城の月』が様々なスタイルで演奏されていて、ロックやジャズにも編曲されているものがあるという。この曲の息の長さを思わずにはいられない。
本書は、著者の思いの込められた美しい書物である。と同時に、瀧廉太郎についての音楽学的研究や伝記を紹介・批評した学的な面も有する書でもある。クラッシク音楽愛好家ばかりではなく、明治文化史にも関心のある方に広く推薦したい。
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