紙の本
地歴教師を勤めつつ、フランス文学界で孤高の位置に在りつづけた作家。10代の寮生活を過ごした町ナントが、いかに自分の内に息づくかを濃密な文体で描く。
2005/02/17 16:36
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
小説『シルトの岸辺』(ちくま文庫)に授与されたゴンクール賞を拒否した。賞は新人作家を慢心させてしまうという理由から…。その賞の歴史には今もって他にない例だという。パリの高校で地理・歴史教師として勤めながら、シュルレアリスム影響下に創作をしたグラック。本書は、大切な関わりをもった町「ナント」について、自分にどのようなものをもたらしたかという視点から綴られた作品である。
中学校(コレージュ)と高校(リセ)に当たる学生時代、11〜18歳の重要な人格形成期を、グラックはこの町で寄宿生として過ごした。閉ざされた門の内側で送る学校生活の合い間の校外活動で、限られた時間、ナントという町に親しむ。町は兵役で赴任した場所でもあり、出身高の教師として着任した地でもある。そして、シュルレアリストのブルトンと初めて会った。また、グラック愛読のスタンダールはナントの旅行記を残し、少年期に強い影響を受けたヴェルヌはこの町の出身である。
原書には章立てがないらしいが、全部で10のパートに分けられ、ごく短い梗概が章扉に添えられた。各章扉をめくると、裏側に古いナントの町の写真が口絵として挿入され、町に馴染みない読者がイメージを喚起し易くする工夫がある。解説は50ページの長きに及び、ナントの町の位置づけ、作風、フランス文学界に占める位置、本書の書かれ方の特徴について遺漏なきよう紹介されている。
プルースト流に、過去を甘美な回想として復元し組み立てるのではなく、現在の自分に内包され意識下に潜在化する町と過去の姿を描こうとするものだ。目の前の風景や事象を見たときに町と過去の記憶が自分にどのような視座をもたらすのか、あるいはそれらが自分の書くものにどう響いているかを分析しようという意図が伺われる。しかして、その文体は論文調というわけではなく、読み手を濃密なるものへの陶酔に誘う流れとうねりがある。
一口舌にのせるだけで、むっちりした味わいで満足を感じさせるチーズケーキのようだ。くどいのではない。明日も、その次もまた一口は食べたい。食べつづけたい。しかし今はもう、この後味に陶然としているだけで充分——そのような文体である。読むのにひどく時間を要する。
文体の密度のほか、もうひとつ、本作から受けた強いものを書き出すならば、それは通常なら「大きな小説」を通して達成される「野心」である。プルーストもトルストイもフォークナーもマルケスも、人物たちの言動を描き、彼らが属す「社会」を同時に描かんとした。ひとつの社会の姿を留めようというのは全体小説を書く作家の目指すところであろう。
グラックが地歴教師だという属性を切り離しては考えられない視座がこの回想的作品には顕れていて、それは当然のように町の地理と歴史に関する記述がふんだんだという点にもあるが、自分の属した両大戦間のフランス地方都市における中流階級を書く対象としている点に顕著である。
この特徴は訳者あとがきで詳しく論考されている。同じ階級の師弟が集まる学校で学ぶことにより補強されていった中流意識の「鋳型」が、万人の共感を得るための目配りのため捨象されることはない。つまり、公平でニュートラルなバランス感覚のある人間として自分をアピールせず、中流意識に依って立ったままなのだ。
たまたま自分が属した階級の社会を、自らの中流意識とその意識が向かう対象とが一体化したものを書くことで、ナントの町に交錯させている。批評性を内在化した思索的内容であるが、随筆であっても論考を旨とするものではない。小説で成すのが王道の「社会」の描き方を、このように町のかたちを書く営みのなかで試みていることに新鮮さを覚えた。
紙の本
心の中に、ひとつの町
2016/10/24 16:34
0人中、0人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ましろ - この投稿者のレビュー一覧を見る
自分をつくっていった、ナントの町。読書を通じて目覚めてゆく想像の世界と自分の間に町が及ぼす影響は、寄宿生活の中で物質的な距離を置こうとも、豊かに心に生き続けた。地図の町とは違う、ただ一人の中にある心の中の町の在り様は、ジュリアン・グラックの視線が鮮やかに生きている。何を見て、何を読んで、何を感じ、何を巡らせたのか。その心がどれほど感受性と知識に満ちていたのかを、溢れんばかりに伝えてくる。そうして、ひとつの町と共に変化を続けた人物が確かな手触りで立ち現れ、私の心の中にもひとつの町が在ることを教えてくれた。
投稿元:
レビューを見る
フランスの作家ジュリアン・グラックがクレマンソー高等学校時代の10代の思い出を振り返るとともに、回想とそれまでの知見から高等学校があった町ナントについて分析している。
おそらくこの作家のだいご味はその文章にあり、そのエッセンスの全てを日本語で表わすのは難しい。だがそのエッセンスとなる著者の抑揚のある調子を素晴らしい表現力で表わしていると思う。
文章を読むうちに、読者はまるで町を旅しているように、まるで著作の中の「私」と同様に記憶の探索をしているような感覚に襲われる。
投稿元:
レビューを見る
ひとつの町のかたち
グラックの「ひとつの町のかたち」を読み始め。
グラックが中学・高校(だいたいその時期)時代、ナントの市街地にある学校の寮にいた時のことを記録したもの。この寮が厳格で日曜日に保護者と共にでなければ外出ができないというもの。そこでこの時期のグラックはその周りに広がるナントの町を想像していた…その記録。
日に二回、通学生の波とともに、ときにはくぐもり、ときには賑やかなナントのざわめきが、上げ潮のように私たちのところまでやってきた。
(p18)
作者は成人してから後、もう一度ナントに住むことになるが、その時はこれほどまでに町の印象が頭の中にかたちつくられることはなかったという。またグラックはもう一作ひとつの町についての記録・スケッチを書いているのだけれど、それ(ローマ)は解説によると否定的な意見が目立つという。
アンジェとナント
なんだか地図帳や路線図を穴の開くほど見ていた人には懐かしい感じがする「ひとつの町のかたち」第2章。グラックの生家はナントとアンジェのちょうど中間、アンジェが県庁所在地の県側で家のつながりもアンジェの方が強かった…のに関わらず、子供の頃のグラックはアンジェは×で、ナントは○。理由の一つは人口規模がナントの方が大きい、もう一つは路面電車の規模で、フランスの都市で第一の理由で×になった都市も、第二の理由で○になることもあったけど、アンジェはその「敗者復活戦」にも残らなかったという。
ということで、話題はナントに移る…
生きたというよりも夢見ていた七年間のその過去は、片目でしか眠っていない。軟禁状態のような生活のなかでとげられずじまいだったことは、私の人生の舞台裏で、地下茎のように地下での歩みを続けている。地下茎は所々で腐植土を破って、不意に若い芽を突き出す。
(p34)
幼年期、青年期の反復がらみの行ったこと聞いたことが、何らかのきっかけで浮上してくる。
(2016 07/20)
都市の周縁
「ひとつの町のかたち」は第4章の途中まで。ナントでの木曜日の運動としての外出の影響で、今でもグラックは都市が果てるところに興味があるという。それだけだと個人的好みですが、それが彼の文学に大きく関わっていると言っているから…どうかな。
(2016 07/25)
書物と植物の根
「ひとつの町のかたち」第4章読み終え。19世紀のパリ、20世紀前半のナント始め地方都市では郊外出ずとも町中で草むらに横になってくつろぐことができたという。そう言われるとこの現代の街からの視点では町中ではかなり無理ありそう。
書物には植物と同じように根がある。そして植物の根と同じように書物の根にも、優雅さや華やぎはないことが多い。
(p86)
現時点のナント、グラックが青年だった頃のナント。それからさまざまな書物。これらがそれぞれ想像力という引力で引き合ったり影響しあったりする。
町を歩く、それぞれ町の外縁の目的地まで袋小路への往復となるが、それらの目的地同士が割りと近いこともあることは忘れ去られる。それらはちょうど「失われた時を求めて」の「…���ほう」という表現が如実に示している。
(2016 07/26)
ナントのパサージュと美術館
ナントの旧中心街案内の第5章。まずはこの文章から。
今でも高級住宅街には含まれるが、やもめや隠居暮らしのための場所。施錠された小さな庭から壁ごしに落ちてくる枯葉を舞い散らす風も、トタン屋根を叩く雨も、ここではよそより大きな音をたてる。
(p98)
こんなふうなイメージ喚起の文。
さてナントの名所、ポムレ・パサージュとドブレ美術館は個人の寄贈。後者のドブレは海運業者。ナントが主な旗降り役だった奴隷貿易も行っていた(少なくとも先祖が)かも。
(2016 07/27)
名所のない都市案内
「ひとつの町のかたち」第6章はグラックの都市の見方について。名所巡りな都市散策が嫌いなグラックは、それ以外のところにその都市を性格づける要素が隠れている、という。こういう都市への視線は、例えば「シルトの岸辺」などの作品にどう生かされているのだろう。
グラックによると、ナントはそういう名所的建築とそうでない建築の差が少ない都市らしいのだが、その点で似ているのはマドリッドなのだそう。
(2016 07/29)
分極と微熱と
町の内部に極めて対照的な分極が存在するとき、その町は静電気を発散し、それが町の生活特有の電圧を生む。この分極は何世紀もの歳月をかけて形成されるが、一瞬で壊れてしまう逸品だ。現在の都市計画はゆきとどきすぎていて、もっぱらこうした分極を廃絶することに無意識に励んでいる。
(p142)
なかなか進まない「ひとつの町のかたち」第7章は港町ナント。いま、こうした分極がある都市はどのくらいあるのだろうか? こうした違った分野からの直喩の文章はグラックらしいものの一つ。「シルトの岸辺」の「発熱」の章などを思い出す。それは次の学校が蒸気船をチャーターしたエルドル川でのクルージングの思い出から続いているのかもしれない。
この遠足の具体的な詳細は、ほとんど記憶に残っていない。その詳細は、その日のすべてに強く感じ、私の心にしみこんだ完全なる祝祭、穏やかで、猛々しい快楽とは縁のない祝祭の強烈な全体的印象のなかに飲み込まれてしまったのだ。
(p150〜151)
(2016 08/07)
「ひとつの町のかたち」覚書
ナント時代のグラックと「赤と黒」。グラックは主人公の青年の上昇志向がわからなかった、と言っているが、そこを抜かしたらこの小説のどこがグラックを魅了したのだろうか(ちなみに自分もわからないタチ)。
ひとつの町が周辺の田園地帯に投錨するやりかたや、その町がもとから糧を供給してもらっている周囲の環境とのあいだで保ち続ける複雑な交流に対してとくに注意を払うようになった
(p192)
引用文は第9章始めから。ルーアンやボルドーが周辺地域と一体となって地方圏を形成しているのに、ナントは周辺地域と自律あるいは対立している。ルーアンのフローベール、ボルドーのモーリャックとナントのグラックあるいはヴェルヌ。
グラックによる都市の一つの定義。求心力と遠心力との拮抗(第10章)。
ここのナントについて��名前のイメージ考が、ブルトンらを批判したサルトルの「文学とは何か」の論法にのっかった上での逆批判にもなっている、のかな。微妙な感じもするけど…
(2016 08/11)
都市の動態論とゲーテ
「ひとつの町のかたち」昨日とりあえず読み終え。
グラックの関心はむしろ、過去の経験やその記憶と、自分が読んだ本などが広げる創造的な世界とが、どのように自分の書くものや現実の風景に注ぐ視線に影響を与えるか、また同時に現実の世界と自分との関わりが、忘れられていた過去の記憶や、読んだ本から育つ想像の世界の上にどのように作用を及ぼすかといった、自己と現実世界と言葉の世界とのあいだに生まれる動的なメカニズムのほうに向けられている点にある。
(p254)
長くなったけど、解説のプルーストとの対比から。特に後半の方の矢印はグラック特有のものだろう。動的なメカニズムと言えば、この作品タイトルにもある「かたち」…ゲーテの形態論に通じる…ところにも現れる。生物あるいは都市は静的で閉じているのではなく、運動としてあり開かれている。こうした眼差しをグラックの都市論は持っている。
あとは、作者の執筆の仕方についても興味深い記述があった。グラックは小説作品にはあとで構成などが変えられるようにルーズリーフを使い、エッセイには綴じたノートを使っているという。しかし?「ひとつの町のかたち」と「七つの丘のまわりで」(ローマ)という二つの都市論はルーズリーフを使用しているのだそう。ということは構成等において小説と同じような配慮をしているということになるわけで…
半島を…
(2016 08/13)