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今から169年前、1840年11月12日にフランソア・オーギュスト・ルネ・ロダンは、パリの下町に警視庁の書記の第2子として生まれました。
三十三間堂や知恩院は遊び場で、疲れたらすぐそばの京都国立博物館で「考える人」像を眺めながらひと休みというのが、小学生の頃の私の日常でした。
その、ぼんやり見ていた「考える人」がきっかけで、ロダンを好きになり、彫刻にはまっていくとは夢にも思いませんでした。
たぶん仏像好きの延長だった気もしますが、これは単に見るだけでなく、実際に紙粘土や土粘土や石を削って作っていきました。
ロダンをはじめムーアやジャコメッティやミケランジェロや高村光雲を模倣したり、独自の創作をしたりしました。
そして、中学の修学旅行で東京を訪れた際には、コースに入っていなかったので、ひとりでこっそり単独行動、上野の国立西洋美術館の「地獄の門」を見に行き、涙するほど大感激しました。
その後、指に切り傷だらけとあってはギターが弾けないからなのか、あんなに熱中していたロダンも彫刻も、高校生になってピタッと冷めて遠ざかってしまいました。
ロダンを知れば知るほど、彫刻なかんずく芸術の持つ魅力と魔力に圧倒され、将来は芸術家になりたいと思う反面、絶対なりたくない職業でもあるなとアンビバレンツな思いでいました。
ひとつは、ゴッホもそうですが、精神に異常をきたす特権をもつ人の仲間に誰が好んでなろうというのでしょうか。もうひとつは、労働の結果として、等価の報酬が得られないものとして最たるものとして、完全歩合制のように不安定なものが芸術とか芸能だという事実。しかも自分の主張・納得したものが、必ずしも評価に結びつく訳ではないという曖昧さ、評価する人たちの価値判断のいい加減さなど、今ではだいぶ違いますが、小学生の小さな頭ではなかなか考え及ばない問題がそこには横たわっていました。
彼が私に与えた影響は少なからぬものがあり、それは彫刻「地獄の門」からダンテの『神曲』を読むに到り、デフォルメや抽象の前に、まず徹底した精密な描写が大事なのだということを教えてくれたのでした。