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こんな女に出会ってみたい。
解説者が如何にポルノ小説を文芸作品に昇華させようとしたとてそれはそれ。瀬戸内晴美さん自身こそばゆかろう。
いいじゃない、子宮作家でも又は袋とじ作家でも
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なぜ買ったのか……多分、ツイッターか何かで紹介されていて、どんなものなんだろうか、と思って購入したのだと思います。
一作目の、るいさんが、果てしないなあ、と思いました。儚さを佇む。
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現代文学に食傷気味だった頃、開いた一冊。
長らく本棚の中で眠っていたが、パンドラの匣を思わせる素晴らしさだった。
尻切れ蜻蛉の様に終わる表題作は、最後の三行に瞠目させられる。
何と切れ味が良く、格好良い物言いだろう。
読者を突き放して尚嘲笑う事、物書きになるべく生まれた妖怪の如し。
流石です。
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表題作『花芯』は1958年の作品,1957年に「女子大生・曲愛玲」で新潮同人雑誌賞を受賞した後の第1作で,ポルノ小説であるとの批判にさらされ,批評家より「子宮作家」とレッテルを貼られ,しばらく干されていたのだという。
直接的な性愛描写を,隠すことを美徳としてきた(一部の)世間に対する,堂々たる反抗と読んだ。家庭というのは女性にとっては大きな制約なのであって,作者の裏表のない讃歌によって,子宮は自由へと解き放たれた。これは悪女でなければ雌獅子でもない,一娼婦の目覚めの話である。まだ熟しておらず粗削りではあるが,有り余るパワーを黙殺するのはもったいない作品である。
現代からすれば,陳腐にも思えるポルノと言ってしまえばそれまでなのだが,戦後間もない時代背景を見てこういう風土もあったのだという,慎重かつ真っ向からの批評が求められる。
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これまでに読んだ寂聴さんの作品とは違うテイストだけど好き。
当時この作品がバッシングを受けたのは、認めたくない女性像が描かれていたからでは。
寂聴さんあっぱれ!
解説は川上弘美さん
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女性だから生み出せる表現ばかりで、下品な感じは全くしなかった。これを子宮作家と馬鹿にするとはなんと表面的…時代柄、仕方ないのか。。
女性として分かるものも多かったけど、勿論、分からない価値観も多かった。感動したとか共感した、ではなく、深く考えさせられた文章をメモ程度に。
・恋愛なんて、結局、誤解の上に発生する病状(p34)
・まだ男はできる…ということばよりも、まだこどもは産めるということばの方が、女にとって、なんとみずみずしく、涯しない可能を孕んだひびきをもっていることでしょう
(p37)
・愛とはもっと透明な、炎のように掌に掬えないものではないだろうか。
(p107)
・人間はどうしてだれも彼も結婚したがり、味気ない噓でぬりかためた家庭の殻の中にとじこもりたがるのだろう。出来ることなら生涯、独身ですごせないものだろうかと、私は度々空想した。
(p110)
・人間のだれもが逃れることの出来ない行為
(p118)
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ザ文学といった感じ。
多くを語らないので、一度さらっと読んだだけでは分からないことがたくさん。
もう一度じっくり読み直したい。
文章の表現はさすが、、うっとりしてしまう。
物語に引きずり込まれてしまい、現実に戻ってきにくくなるのが難点。
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こんなにも人間の性愛を、深く、上品さを持った淫らさで表現できるのはこのひとが女性だからだと痛感させられる短篇集。
女性こそが強さをもって人間のしがらみを隠すことなく、官能を通して表現し切れるのだ
こんな小説、現代では望むべくもない
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寂聴さんのエッセイ本は何冊か読んでいるけど、小説を読んだのは初めて。曰く付きの作品を読んでみたかった。50年位前とは思えない生生しさ。私は好きだ。辛いし痛いしけど。女の性。分かる自分も痛みを抱えている。
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瀬戸内晴美時代の六篇からなる短編集。
「いろ」
長唄などの師匠・るいと31歳下の弟子・銀二郎との話。
読み進めるうちに、るいは玉三郎に重なる。顔の右半面は火傷でただれているが、色白で顔立ちだけでなく所作も美しく、どんなに歳を取り弱っていっても凛とした振る舞いをし、ただただ銀二郎のことを愛していた。そして、亡き後も銀二郎に愛されていた。
「聖衣」
電車に乗り、死の際に立つ不倫相手とのこれまでのことを思い返し、もうすでに亡くなってるかもしれないと思いながら、病院へ向かうけい子。
目の前に立った外人の尼僧の黒白の聖衣に秘される緋色の帯は何を言わんとしているのか。
「花芯」
園子は申し分の無い雨宮という夫がいながら、夫の上司である越智に一目で心を鷲掴みにされる。そんな越智に対して貞淑であろうとするかのように夫との関係を拒むようになる。越智には関係を持つ未亡人がいて、一緒になる事はできないと分かっているのに、夫の元からも去る。園子はなんて自分に正直で強い女性なんだろう。
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感覚的になじめないので、ついに読むのを途中であきらめた。先を読みたいとは思わないのだ。瀬戸内寂聴、自分の好みの小説家ではなかった。
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瀬戸内寂聴99歳の映画を観て読んでみたくなった。あのかわいいおばあちゃんと、この生々しい心の動きが全く結びつかなかったけれど、筋が通っていることや奔放なところは同じなのだと思った。
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瀬戸内寂聴は初めて読んだ。50年ほど前は物議を醸した小説らしいが、今出たなら、炎上するような話ではないと思う。この小説が嫌いな人は、つまりこの登場人物の女性のような生き方を否定したいんだろう。
昭和レトロな雰囲気、落ち着いた文体。生きづらい女性の哀しさが滲む物語。
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実は今まで寂聴さんの本は読んだことがなかった。でも、『携帯小説』を少しだけ読んだことがある。瀬戸内寂聴さんが名前を隠して投稿したと話題の作品を読んでみた。
すごい……と思った。
他のケータイ小説と変わりのない時代の物語が忠実に書かれている。高校生が書いているものと思っても不思議ではないくらいのクオリティのものが仕上がっていた。
バカにしているわけではなくて、ちゃんと流行が取り入れられていてその時代の言葉も散りばめられていて、古臭いものが一切消えている事に感動してまうくらいの作品だった。
それでいて、文章は携帯小説にしては固いような気もした。私はその硬さも好きだった。
ただ『ケータイ小説』が好きではなかったため、途中で挫折した。
私が当時知っていた寂聴さんの事と言えば、尼になってる人、小説を書いているようだというぐらいしかなかった。
ケータイ小説の最初しか寂聴さんの小説を読んだことがない。
私がこの『花芯』を読もうと思ったのは、それが『性的だと話題になった作品』だというからだった。その部分に興味を持って、読んでみることにした。
やっぱり『すごい』しかない。ケータイ小説が軽い文体だったので、そのような感じなのかと思えば、全く違って古くて硬い。それでいて、女性の部分の表現が柔らかい。女性の視線があちこちに紛れ込んでいて、ドキッとする。
・いろ
るいという五目(踊、長唄など)の師匠と銀次郎の恋物語。銀次郎18、るい49という年の差から別れて、銀次郎は結婚し、るいは死を迎える。銀次郎もいつの間にかいなくなり、死の連絡が来る。
短くて読みやすい。江戸という馴染みのない設定なので、よくわからない部分もあるけど全体的にはしんなりとしていて嫌いではない。
『きゃしゃなるいの体は、うす青いらんぷの灯りの中では、人魚のような妖しい白さに濡れ、底のない泉のようにゆたかにあふれ続けていた。』25p
性行為中の描写がこれ。すごくしっとりしている。
・ざくろ
亮吉とナミの恋物語。どちらも別の伴侶との間に子供がいる。亮吉は子供が欲しいと言い、ナミはいらないというが……。
『皮を弾いてのびてゆく、白い粉をふいた若竹のようなすがすがしい少女の肌の弾力が、未知の触感として、ひどく私の好奇心をそそってくるのでした』53p
亮吉の娘に生理が来たと聞いて、ナミも自分の娘がそんな年ごろかもしれないと想像しつつ他の少女を眺めているシーン。すこし異常な感覚かもと思うし、これ男性の視線だと危険になる。でも、女性もそんな目で少女を眺める瞬間があるのは分かるような気がする。世間的にはアウトだけど。
子どもが欲しい云々は、正直よくわからない。
・女子大生・曲愛玲
中国人の曲愛玲(チュイアイリン)とみねの恋愛模様?
女性同士の恋愛かと思いきや、愛玲には男がいて妊娠しているといい……。
正直、この物語はわからない。時代背景も複雑な感じがするのに、人間関係も複雑だった。
・聖衣
電車の中で二人のシスターに出会いながら、けい子は過去を考える。
「性の喜びは、けい子にとって、いつまでたっても、あの幅広い、とらえがたい風に似たオルガンの音のようなものであった。男がじぶんの上でうごめき、嘆きを忘れ、恍惚と虚脱するのを感じる時、けい子はじぶんが、まんまんとふくれ上がった、ゆたかな海になった想いがする。」108p
ひっそり言葉が隠されてるのだろうかと思いながら読んでしまった。でも、すごく素敵な心理描写だなと思う。
物語のラストは男に「私とだけじゃなかったんだろう」と言われて子供を下ろして、男が死んでいてくれたらと願う……。過去はドロドロだけど、電車の中ではシスターが微笑むというほのぼのシーンで終わってる。ひっそりとシスターでも『性的なものがある』とほのめかしているのも、どんな意味なのかを考えてしまいそうになる。
・花芯
園子の物語。雨宮と結婚し、越智と浮気する。その後、雨宮とは離婚し園子は娼婦になる。
物語は好みではないし、娼婦になるまでの過程も共感できる点は少ないのだけど、細部は確かにと思うものが多々散りばめられている。
『私の処女なんて、全く偶然に、結婚まで守られたにすぎない。』147p
『女というものは、自分の目でさえ遂に確かめることのできない、小さな薄い一枚の膜のため、死ぬまでの貞操を約束させられねばならないのだ。』147p
『臨月近くには、お臍まで飛び出してくる醜悪な我身の裸を、真正面から真横から鏡に映したことのある女なら、じぶんが女に生まれたのを呪いたくなるだろう』151p
『死というものを、私は、セックスの極におとずれる、あの精神の断絶の実感でしか想像することができないのだ。』249p
女や身体への呪いがこれでもかと書かれてるのはすごいなと思う。ただ性に奔放なわけではなくて、出産後に性の喜びを知ったというのもあり得そうな話だとは思う。(すべての女性がそうなるわけではないし、大半の女性は出産後の性行為は苦痛でしかない。ホルモン的には出産後は性欲が抑えられる)
女性とはこうだと言いたいわけでもないし、人によっては子どもを置いていくなんてありえないのだろうけど。(この短編集の女性キャラたちは子どもに対して淡白すぎる気はする)
母子神話を信じたいわけではないけど、そう簡単でもなさそうな……でも短編だからその辺りがあっさり見えてしまうだけなのかと考えてしまう。
一冊読んで満足したので、寂聴さんの本はもういいかなと思った。