紙の本
ちょっと透明じゃない部分があるかな?確かに平等な社会では敬語はいらない。丁寧語で充分だ。でも世の中は決して平等じゃあない、まずそれを認識しなければ
2005/06/21 22:17
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
私にとって二冊目の、ちくまプリマー新書。で、ともに素敵なカバーは、装幀 クラフト・エヴィング商会と書いてある。模様はシンプルだけれど、ともかく色合いがすてき。柔らかくて、静かで、何だか春の若草のなかを歩いているような気分になってくる。
目次を読めばほぼ全体が分るので、簡単な紹介とともに書けば、まえがき、に続き、一「「先生がいらっしゃった」と言いますか?」、二「「ねぇ、先生」はいけないのか?」、三「敬語がはやらなくなったわけ」。以上で、子供のころ橋本が敬語を使わなかった理由が極めてやさしく論理的に語られ、読者は、そうだよ大体、「敬語を使え」という掛け声は、つねに自分は敬語を使われるべきだと思いながら、敬語を使ってもらえない人間が、それを使おうとしない人間の気持ちなど考えずに押し付けるものだよな、と共感することになる。
四「三種類の敬語」、五「正しく使うとへんになる敬語」、六「見上げれば尊いけど、見上げないと尊くない先生」、七「「目上の人」ってどんな人?」。尊敬、謙譲、丁寧の三つの敬語。じつは、敬語は昔の言葉。あんまり正しい敬語は、かえっておかしい。テキトーに使う、それが現代の敬語だと、目からウロコの発言は、人間の上下関係といったところに入っていく。
八「「えらい人の世界」はたいへんだ」、九「敬語ができあがった時代」、十「尊敬したくない相手に「尊敬の敬語」を使う理由」、十一「えらい人はなぜ「先生」と呼ばれるのか」。社会の決めた“エライ人”のランクに入っている人は、尊敬しなければならない、という考えが成り立たない時代、それを理解できない、或は理解しようとしない人たちの存在と、ランク付けの歴史。
十二「「えらい人」がえらそうなわけ」、一三「だれがだれやらわからない日本語」、十四「「えらいか、えらくないか」しか考えなかった日本人は、「自分のこと」しか考えられない」、十五「日本語には豊な表現がある」、十六「敬語は時代によって変わる」、十七「やっぱり敬語が必要なわけ」、十八「大昔の中国人は「丁寧」という楽器をポワーンと鳴らした」、あとがき「ちゃんと敬語を使ってくださいね」。結局、自分だけは敬語を使わなくて済む、だから他人に敬語を求めるという負の構図。むしろ、相手との距離を示すためにこそ敬語を使う。嫌いな人や怪しい人にこそ敬語を使って距離を置く。好きな人にはタメ口だって許されることもある。
じゃあ、距離の近い人にはタメ口もいいんだよね、でも近いというのも距離だとすれば、そこにも近さの敬語があるんじゃないの?と最後がよく分らないので、全体の主張がわからなくなるのは私だけだろうか。十六までは凄くよくわかる。階級がなくなってしまった現在、それに対応する言葉であったものが無くなる、だから身分の上下を示す敬語は今の時代に合わない、は論理的だ。
身分間で使い分けられる言葉、である以上、身分が無くなった現在、必要なのは「丁寧の敬語」である、というのも理解はできる。ま、いっそのことこれは「敬語」から切り離して、「丁寧語」にしてしまったほうがいいだろう。そうしないと、「やはり敬語が必要」という話にならない。いや、「やはり丁寧語だけは必要」としたほうがもっといい。
橋本が言いたいのは、そういうことであるはずだ。この目次からすると、どうしても「敬語」は使うべし、で、橋本が展開する敬語の意味論が全く浮かび上がってこない。まして最後が「ちゃんと敬語を使ってくださいね」では、ケッ、で終わってしまう気がする。せっかくここまで易しく「世に言う敬語」の意味を解き明かしてくれたのだ、「もう敬語なんてこわくない!」ではない論旨が伝わる工夫をしてほしいものである。
紙の本
『喋る』の壁にぶつかるすべての人に
2005/03/26 13:26
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:touma_online - この投稿者のレビュー一覧を見る
おしゃべりは大好きなのに、なんだか難しい。
友達同士でも難しいのに、ましてや年上や年下にはどうやって話せばいいんだろ。
という問題についての知恵がたっぷり詰まった一冊。
社会の中でこんがらがった「敬語の目的」を、歴史に沿って紐解きつつも、著者が語るのはあくまで、「人とおしゃべりしたいのは、なんでだと思う?」です。
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敬語は、立場の強い人が弱い人に強要する奴隷言葉ではありません。ただ、それは、社会を漂う人と人との距離を、縮めたり離したりするための道具でしかありません。(時には「自分は立場が上なんだ」と思いたい人と会話するときの道具にもなりますが)
これは、敬語だけに限った事ではなくて、表情も、ジョークも、手振りも、みんな、人間関係の距離を伸び縮みさせる道具であって、言われてみれば当たり前だけど、実際にそれらの道具を使いこなせているのか、と考えると、それがとんでもなく難しいものだと気づくものでもあります。
だから、考えて、考えて、その上で使わなくてはなりません。それが、人間関係の難しさです。
でも、これほど難しいのに、わたしたちは、人間関係を求めてしまいます。
敬語の複雑さは、わたしたちのもつ欲望の強さのあらわれなんです。
人間は、人間関係に常に飢えていて、だからこそ、その飢えに苦しみます。人間関係をえさにする人のずるさに引き込まれやすくもあります。ではどうしたらいいのでしょうか。
それを問うのが、この本です。この問いに対するとびっきり辛口な解答が用意されております。目から鱗がぼろぼろおちることをお約束します。おすすめ。
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橋本治の面目躍如。
前著『これで古典がよくわかる』でもそうだったのだが、
一見苦手な人用のノウハウ本と思わせておいて
(橋本治が単なる実用書を書くわけはないのだが)、
日本語を通した日本文化論へと持っていく、
その手際と透徹した視点は見事の一言。
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言葉の遊び手、言葉の実験人。橋本治ってそういう印象がある。
そんな人が、尊敬・謙譲・丁寧語がどうやって形成されてきたのかを非常にわかりやすく書いている。
読み始めてすぐ、どうして私がこんな本を読もうと思ったのか判った。
私って敬語が上手く使えない。
というのは、本当は使える、使えるんだけど、使わない。
会社の偉い人とか、目上の人とかでも、実際かなりフランクな話し方をしてしまう。そのフランクさは知り合ってからの時間がたてばたつほど増してゆくんだけど、まぁそれは友達とかだと当たり前だけども。
で、そんな自分がちょっとヤだったというか、なんでこんな友達に対する話し方みたいな言葉を常務さんあたりに使っちゃうんだろうと、我ながら不思議に思っていてそのことが頭に引っかかっていたのですね。
で、この本を読んだらそのことの意味がきちんとわかった。
それから、よく喧嘩をしたときなんかに「そうですか、わかりました」なんて普段では絶対につかわないような丁寧な言い方をしてしまうってことが誰でも思うんだけど、あれが不思議だった。喧嘩しているのにどうしてその相手に丁寧な言葉を使うんだろうって。
で、そのことの意味もちゃんとわかった。
非常に面白かったけど、内容的にはもう少し濃くてもよかったかな。
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橋本治氏の考える力、構成力に舌を巻く一冊。
十代前半向けとして書いたというが、敬語に納得できない経験のある人ならだれにでも面白く読めるはず。
とくに十五章「日本語には豊かな表現がある」、十七章「やっぱり敬語が必要なわけ」、十八章「大昔の中国人は丁寧という楽器をボワーンと鳴らした」は本当に面白いです。
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2009/8/31図書館で借りる
2009/9/2少し読み返却
1.「先生がいらっしゃった」と言いますか?:読了
2.「ねぇ、先生」はいけないのか:読了
3.敬語がはやらなくなったわけ
4.三種類の敬語
5.正しく使うとへんになる敬語
6.見上げれば尊いけど、見上げないと尊くない先生
7.「目上の人」ってどんな人?
8.「えらい人の世界」はたいへんだ
9.敬語ができあがった時代
10.尊敬したくない相手に「尊敬の敬語」を使う理由
11.えらい人はなぜ「先生」と呼ばれるのか
12.「えらい人」がえらそうなわけ:読了
13.だれがだれやらわからない日本語
14.「えらいか、えらくないか」しか考えなかった日本人は、「自分のこと」しか考えられない
15.日本語には豊かな表現がある
16.敬語は時代によって変わる
17.やっぱり敬語が必要なわけ:読了
「なんですか」と「知りません」は丁寧語である。
18.大昔の中国人は「丁寧」という楽器をボワーンと鳴らした
あとがき――ちゃんと敬語を使ってくださいね:読了
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敬語の話し方じゃなくて、敬語はどういうものかという本質的なもの。
相手との距離を測る手段であると同時に、隔ててしまうものにもなりえます。
敬語がなんで存在するのかを理解して、素敵なコミュニケーションを取りたいものです。
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敬語の機能について、十代の読者を想定して書かれた本。敬語には人と人の間にある「距離」を意識させる機能があり、どのような場面でどのようにに敬語を使えば適切なのかということについて考えさせる本。敬語の使い方に関するハウツー本ではない。
敬語とは敬意を表すためのことばである、という単純な考え方ではなく、敬語とは話し相手との距離を意識するために使う日本語の豊かな表現の1つであるという考え方を紹介している。ポライトネスの考え方に通じると思った。日本に「えらい人」と「えらくない人」の階級差が出てきた結果、「えらい人」たちの間で特別で複雑な表現が使われ始めたということや、関西方言の「自分」=相手という二人称表現の考察など、興味深い。別に十代の読者ではなくても十分に考えさせられる面白い本だと思った。(10/08/27)
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「敬語 ≠ 尊敬」「敬語 = 距離」ということを説明しています。
すらすら読める本。
学校の先生になる人は目を通してみたらいいかもしれません。
敬語の知識云々ではなくモチベーションのために。
「仰げば尊し」や「教壇」の話、なるほどと思って読んでいます。
日本人がアイコンタクトを取るのが苦手なのも、脈々とつづくタテの慣習ということも確認できますね。
冠位十二階と儒教の関係
あなた・きみ・おまえ
目の前にいる知らない人を指す二人称の代名詞がない = ねェ あのォ ちょっと
あとがきがまた良い。
自分の日本語の使い方が自然に改まっていくような気がします。
しかし、もし自分が生徒だとして、先生に「この本読んでみろ」って勧められたら……最初はとっつきにくいかもしれません。
対象は子どもの心を持ちつつも「えらい人の世界」にも席を置いている「大人」かな。
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橋本治さんの文章が凄く、分かりやすく、腑に落ちるー!
敬語の背景にある考え方を紹介し、言葉への関心を引き立てていくといった印象です。更に、敬語の紹介をする事で、日本やアジアの文化解説にも及んだ内容は教養が高まりそうに思えました。
ちくまプリマー新書の第一弾の本とあって、気合の入った、大人も必見の内容です!
2011年5月13日読了
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[ 内容 ]
敬語ってむずかしいよね。
でも、その歴史や成り立ちがわかれば、いつのまにか大人の言葉が身についていく。
これさえ読めば、もう敬語なんかこわくない。
[ 目次 ]
「先生がいらっしゃった」と言いますか?
「ねェ、先生」はいけないのか?
敬語がはやらなくなったわけ
三種類の敬語
正しく使うとへんになる敬語
見上げれば尊いけど、見上げないと尊くない先生
「目上の人」ってどんな人?
「えらい人の世界」はたいへんだ
敬語ができあがった時代
尊敬したくない相手に「尊敬の敬語」を使う理由
えらい人はなぜ「先生」と呼ばれるのか
「えらい人」がえらそうなわけ
だれがだれやらわからない日本語
「えらいか、えらくないか」しか考えなかった日本人は、「自分のこと」しか考えられない
日本語には豊かな表現がある
敬語は時代によって変わる
やっぱり敬語が必要なわけ
大昔の中国人は「丁寧」という楽器をボワーンと鳴らした
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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非常に読みやすくて、文体が柔らかく丁寧で、かゆいところに手が届くような内容の本でした。「ちゃんと話すための敬語の本」というタイトルですが、
本文中に書かれているとおり、「正しい敬語の使い方を教える本」ではなくて、「みなさんでそれぞれ、正しい敬語の使い方を考えてください」という本です。
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尊敬語→ヨイショ語
謙遜語→卑屈語
おお、ぴったりの名前。
丁寧語だけ残して後はすべて廃止すればいいね。
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職員室に呼ばれて、先生に「来たよ」と言うのか、「お召しによりまして参上仕りましてございます」と言うのか、どっちがどうなのかを考えましょうという本でした。
敬語は、人と人との「上下関係」や「距離」をしっかり認識し、TPOに応じて人間関係をスムーズに動かすためのものだと、改めて気づかされました。
「あなたとの上下関係はわかっていますよ」と示すのが尊敬語、謙譲語で、「あなたとは距離がありますよ」と示すのが丁寧語なのかなと感じました。
昔どおりに正しく使いすぎると時代劇みたいになりますが、社会人として重要な敬語。硬直的にならずに、現代版の敬語をスマートに使いこなしたいものです。
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敬語の成り立ちの説明が、とても「腑に落ち」てしまった。なぁるほど・・・という感じ。だからどうすれば使いこなせるのか、というのではないけれど、日常生活で悩まされる敬語というのは、実はこんなヘンなものだったんだということがよくわかった。で、私たちはいつまでこのヘンな敬語をつかいつづけるのだろう。と思う。これも「文化」といえば、そうなのかもしれないけれど。