紙の本
誠実な人生
2016/12/07 05:22
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投稿者:ももたろう - この投稿者のレビュー一覧を見る
101歳まで生きた日本画家奥村土牛が数えの86歳のときの自伝である。
土牛は両親が結婚してから12年めになる、父が28歳、母が27歳のときの子で、この前に1人母体内で、姉は1歳で亡くなっていて、実質の長子だった。
それゆえ、
「母は、せめてこの子だけは丈夫に育てたい一年ですべてを私にかけ、常に濃やかな愛情を注ぎ、深い注意を払ってくれた」
母は83歳で亡くなるまで、息子がどんな困った状況にあっても、不安を微塵も表さず、慈愛に満ちた表情で見守ってくれたという。
病弱な子供時代、なにもかも焼き尽くされた関東大震災、父の病気、妹の死、自分の病気、戦時中の空襲で逃げ回る生活の中での母の死、色々な苦難を誠実な態度で生き抜いてきた奥村土牛の絵には、
その人生観が表れている。
西洋絵画のような華やかさはないが、いつまでも鑑賞していたい日本画の巨匠、その語る人生は、私に静かに自分の生き方について考え直させるものだった。
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(1989.03.05読了)(1989.03.01購入)
(「BOOK」データベースより)amazon
「土牛、石田を耕す」―寒山詩よりつけた雅号のとおり、歩一符、地道な画業精進を重ね、日本画壇最高峰に至った奥村土牛。百歳にしてなお壮年をしのぐ流麗な描線と端厳な色彩で観る人を静謐の境地に誘い、さらに新境地に挑み続ける土牛芸術の秘奥を明かす自伝。カラー図版12頁、モノクロム図版24頁入り。
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山種美術館が広尾開館10周年の記念として、同年生誕130年をむかえる奥村土牛展を開催するとのことで、展覧会へいくまえに、と思って読みました。祖父の本棚からのゲット本。
人柄がにじみ出る文体。無知のため、出てくる知人友人を知らないことが多かったですが、詳しい人はより楽しいでしょう。
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10.5.1 久垣啓一 ブログ
山種美術館で開催中の「奥村土牛」展。
山崎種二(1893−1983)は、明治26 年12 月8日生まれ。米問屋につとめ,大正13 年独立して山崎種二商店を設立。昭和8年証券業に進出し,19年山崎証券(現山種証券) に改称。また15年辰巳倉庫を買収,ヤマタネの基礎をきずいた。41年山種美術館を開設。昭和58年8月 10日死去。89歳。群馬県出身。自伝に「そろばん」。
【格言など】信は万事の本を為す(信条)
このヤマタネは無名の頃から土牛に中目し、135点を所蔵している。新装・山種美術館は最初に速水御舟、次に奥村土牛の企画展を開催した。
父が土牛という名前をつけた。奥深い村で、牛が土を耕す風景。1889年生まれ、1990年没。101才の長寿。
「石ころの多い荒地を根気よく耕し、やがては美田に変えるように、お前もたゆまず画業に精進しなさいとの意味がこめられていたのだち思う」
日本美術院の院展への初入選が38才。代表作の多くは還暦後という遅さである。64才の「聖牛」から93才の「富士宮の富士」まで。
「芸術に完成はあり得ない。どこまで大きく未完成で終わるかだ」。
85才で書いた自伝のタイトルは「牛の歩み」というから徹底して、名前そのものの人生を歩んだ人だ。大器晩成とはこの人のためにあるような言葉だ。
「枇杷と少女」41才。「雨趣」39才。「舞姫」65才、「踊り子」67才。「那智」。「鳴門」70才。「蓮」72才。「稽古」。「朝市の女」80才。「僧」89才。「吉野」88才。「海」92才。
「踊り子」はバレリーナ・谷桃子がモデル。「かなしみ、いかりのような、、。これはもう私ではない。先生はこわい」
「稽古」のモデルは、第44代横綱・栃錦(1925-1990年)の引退に際しての素描から始まった作品。
* 人間の出来ている人の描いたものは絵でも矢張り出来ている。
* 優れた作品から受けるものはやはり芸術の持つ何か非常に高貴な、霊的な気持ちのものである。
* 技術的にしっかりした人はいくらでも出ます。一応は誰でもうまくなると思います。そこから抜け出ることで違ってくるわけです。
* 草花でも花屋の店頭に飾られた艶やかな西洋種の花よりも、いっそ名もない野花の方が好きである。
* 今日私の座右の銘としている−−絵のことは一時間でも忘れては駄目だ−−という言葉は、その頃先生(小林古径)からいただいたものです。
* 「君、絵というものは、山水を描いても、花鳥を描いても、宇宙が描けなかったら芸術とは言えないよ」(横山大観)
* 古くから残ってるものには、やはり作者の魂がこもっている。
* 私の仕事も、やっと少しわかりかけてきたかと思ったら、いつか八十路を越してしまった。かつて横山大観先生かに、「天霊地気」という書をいただいた。私は日ごろからこれを座右の銘としている、、
* 今の私の心境は、さびしい広い海に向って俗念を去り、残り少ない人生を一筋に生きたいと思うばかりである
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奥村土牛は、物腰の柔らかな人柄が作品ににじみ出て大好きな画家です。特に、醍醐寺の桜は力作でしょう。
奥村土牛の土牛は父親がつけた雅名。
牛がゆっくりと土を耕すように成長していって欲しいという思いが込められているのです!
なんて、優しい父親!!!
この本と出会って、奥村土牛のことをさらに知り、1つ1つの作品・モチーフに向き合う姿勢に感銘を受けました。
売り絵ではなく、きちんと思いを込めて描くこと、その姿勢を最後まで貫いた画家ではないでしょうか。欲を画面に出すのでなく、モチーフから感じたことを素直に描いた画家だと思います。