投稿元:
レビューを見る
内田氏の「学び」に関する考え方は、非常にしっくり来る。
学ぶ前には、学んだ後に得るメリットを知ることはできないのだから、四の五の言わず学べ!ということ。
また、弟子は師匠が伝えようとしていること以外のことを学ぶ力を持っているということ。
今後学ぶ上で、非常に参考になる意見であった。
投稿元:
レビューを見る
なぜ先生はえらいのか。実際の内容はコミュニケーション論だった。高校生向けに書かれてるので読みやすい。
投稿元:
レビューを見る
冒頭に「中学生や高校生に伝えたいこと」みたいに書いてあって、おいおい私大学生なのに買っちゃったよって思ったけど、結構勉強というか、ためになる部分もあった。
映画に「伝えたいこと」がない映画もあるって、芸術は「どうして」じゃなくて、「気づいたらできあがってたもの」だって、確かにモーツァルトの作品のこと想像したら納得できた。
今までなにが言いたいかわからんって作品は不満だったけど、その世界観を楽しめばいいんだなーとも思った。
言語においても、人間のやりとり(コミュニケーション)においても、芸術作品においても、「わからない」世界が人間を生かしてるんだな。
投稿元:
レビューを見る
おもしろい!!
物事を本質的に考えるってこういうことね。すいません甘く見てました。
最後のほう、よかったなあ。
投稿元:
レビューを見る
中高生がこの本を読んで本当に内容を理解できるのだろうか。文体こそ優しいが、言ってる内容はあまりに根源的すぎて多くの中高生にはとっつきにくい気がする(いやそういう僕も完全に「誤読」をしているわけだし、まあそれこそが本質なんだろうけど)。
内田樹の書物(特にこの本とか)はまともにレビューさせてくれない構造にその最大の特徴があるように思う。そう僕が思ってしまうのも、レビューはそもそもその対象を卓越、というか俯瞰できるようなポジションになければならないと思っているからだろう。内田樹はそれを許さない(そう感じる主体は「僕」であるという、それこそが本質なのだと言われればもはや何も言えないわけだし)。
だからこそ構造上、この人は言論市場の主流になることはないんだろう。面白いし、好きなんだけど。なんだかんだ言ってまた僕はまともなレビューをさせてもらえなかった。そしてこれからもできない。
(2006年05月25日)
投稿元:
レビューを見る
● まず、はじめにいちばん大切なことから。「誰もが尊敬できる先生」なんて存在しません。
● 技術には無限の段階があり、完璧な技術というものに人間は決して到達することができない。プロはどの道の人でも、必ずそのことをまず第一に教えます。では、どうしてそれにもかかわらず、プロを目指す人は後を絶たないのか?それは完璧な技術に到達しえない仕方が一人一人違うからです。
● あなたがその「オチのない話」を思い出したのは、自分が何者であるのかが、この人に話しているうちに、わかりそうな気がしてきたからです。
● コミュニケーションを駆動しているのは、たしかに「理解し合いたい」という欲望なのです。でも、対話は理解に達すると終わってしまう。だから、「理解し合いたいけれど、理解に達するのはできるだけ先延ばしにしたい」という矛盾した欲望を私たちは抱いているのです。
● おそらく、コミュニケーションはつねに誤解の余地があるように構造化されているのです。うっかり聞き間違えると、けっこう深刻な影響が出るように、ことばはわざとわかりにくく出来上がっているのです。
● 人間の個性というのは、言い換えれば、「誤答者としての独創性」です。あるメッセージを他の誰もそんなふうに誤解しないような仕方で誤解したという事実が、その受信者の独創性とアイデンティティを基礎づけるのです。
投稿元:
レビューを見る
なんか読みながら研修の講義を受けている感じ。
内容はわかりやすくすいすい読める。
終盤では誰でも師匠になれるのだという妄想に駆られる。
投稿元:
レビューを見る
教育って教えられるものじゃなくて発見して解釈するものなんだよなぁ。
発見して解釈したそれは無限通りある。
ダイナミズムがあるものが好きなのかも。
って思った。
今の仕事しかり。
同じパターンが存在しないから、その都度カスタムするのが面白い
そんなのと似ているなって。
投稿元:
レビューを見る
ちくまプリマー新書の一冊(002)。フランス現代思想を専門としつつ、『下流指向』など教育についても積極的に発言している著者による教師-生徒論。ラカンの思想などを下敷きに、持論をていねいに展開しています。要するに、えらい先生(恩師・運命の先生)に出会うためには、誤解でも何でも「先生はえらい」とまず信じるしかない、ということでしょう。逆説的ではありますが、確かにそれはひとつの真理だと思います。言い換えれば、昨今よく見られるような、税金・授業料分の対価としての知識を提供する教師と、ユーザー・消費者としての生徒、という発想では、表層的な学びしか得られないということです。主張が明確で字数も少ないので、サクッと読めてしまう本。生徒や学生に一読して欲しい本です。
投稿元:
レビューを見る
久しぶりの内田樹さん。
中高生向けということもあり非常に読みやすい。
で。
わたしは
「なんとなく言いたいことが分かった。」
と思ってしまった時点でダメなのかなとw
なんとなくだけど。
わたしは生徒に、どのように思われているのだろう。
うん、つまり、私のいる学校の生徒は、「先生」をどのようなものとして受け止めているのだろう。
師と仰げるような学びの態度を持って、その眼差しを受けている先生、いるのかなぁ。分かんない。(←思考のシャットアウトw考えたくなったら考えましょう。)
わたしは、「人物」の中にその様な人と出会う態度を取ってこなかった。
先生は「何かを私に教えてくれる人」というスタンスを常に取ってきた感じだなぁ。
アトリエの、先生だろうか。哀愁に満ちたオヤジに過ぎないが。
先生の描く絵から、色んなもの盗もうとしたりしたところは、そう言えるかもしれない。
今度、会いに行ってみようかな。
投稿元:
レビューを見る
・「先生」に当たりはずれなどありません。
・師弟関係は誤解と思い込みから生まれる。
・先生はえらい。たとえ何一つ教えてくれなくても。
わたしたちにとって身近な職業である学校の「先生」。
そもそも「先生」って何なのか、「学ぶ」ってどういうことなのか、そんなことを教えてくれる一冊です。
(福岡教育大学 学部生)
投稿元:
レビューを見る
【附属世田谷小学校 図書新聞から 「先生特集」】
「先生はえらい」のです。たとえ何ひとつ教えてくれなくても。「えらい」と思いさえすれば学びの道はひらかれる。
【目次】
先生は既製品ではありません。
恋愛と学び
教習所とF-1ドライバー
学びの主体性
などなど
投稿元:
レビューを見る
締めがうますぎるw
最後の3行で笑えるかどうかで、この本を読めたかどうかがわかる。
中・高生向けの本らしいけれど、大学生が読んでも面白かった。
投稿元:
レビューを見る
この本から私が勝手に学んだことによると、レビューなんて果たして微妙なものなのだけれど、いつかの他我のために書きます。
先生と生徒の関係は、買物のようにお金を払ったらその決まった対価がでてくるものではない。だから先生も、いい教師というのが事前にいて、そこで生徒が学ぶということではない。寧ろ結果と手段は逆転しているのだ。つまり生徒の学びは無限であるのだ、そう「先生は偉い」と一言信じれば!
中学生高校生向けだそうだが、筆者は中学生高校生の知識をちょいちょい馬鹿にし過ぎじゃないだろうか。面白いからいいけど。しかしたぶん実際に高校生のときに読んだらイラっとすると思うのでそれ以上の人に勧めたい。
投稿元:
レビューを見る
誤解を真っ正面から、肯定するなんて大好き。真実はいつもひとつ、なんて言ってる少年に読んでもらいたい本だな。すんごいおもしろかった。