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投稿者:七無齋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
藤沢周平が描く新井白石の物語。人間性や思想が独自の視点で語られる。著者の歴史もの。哲学よりもその時代を生きた人間として著わしている。
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民や国のための政治をしていく白石。しかし、家宣が亡くなると、権力も次第に弱くなっていき、吉宗が将軍になると、政治に関与できなくなる。そこで、白石は市井に戻ろうと決意し、執筆に力を注ぐ。白石の生き方を通して、人生について考えさせられた。
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江戸中期、正徳の治を行った新井白石の物語。おもに白石の回想録「折たく柴の記」(未読)をもとに書かれている。藤沢周平の筆なので、安心して読むことができる。
はるかむかし教科書で、正徳の治への評価は否定的であり八代将軍吉宗によって改められた、というように教わったような記憶がある(もしかするとテレビの時代劇の影響か?)。
しかしこの「市塵」を読む限り、白石は綱吉の生類憐れみの令などをただし、経済政策も積極的に行い、理に基づいた政治を行ったらしい。
なるほど、正徳の治を肯定的に評価する方が正しいのではないかと思う。どうやら、彼が自分の学問的信念に基づき政治を行い、一定の効果を上げたのは客観的に確かなようだから。
この本を手に取ったのは、藤沢周平の本を読みたかったのと、くわえて間部詮房と白石について知りたいと思ったから。
時代は流れて江戸末期。
安政の大獄の際、大老井伊直弼が赤鬼、老中間部詮勝(間部詮房の子孫)が青鬼と称され討幕派に恐れられていた。
このときの彦根藩(井伊直弼)の記録に、「鯖江藩(間部詮勝)の儒者が自分を旗本にして欲しいと言って来た、不埒な」というような記述を見つけたのだが、ちょっとこの部分の意味が分からなかった。
なぜこの時期にたかが儒者が旗本になりたいと?あまりに分をこえた不埒なのでは?
旗本の位置づけも実感として解らなかったので調べてみたところ、この「市塵」の主人公白石も旗本だったことがわかった。白石は藩士(武士)からスタートしていて、途中で旗本になるわけだが、どうやら旗本はその家禄よりも将軍にお目見えできるという点で白石に必要だったようだ(勝海舟なんかもそういう口だろうと思ったら、すでに江戸末期のこと、勝の曾祖父の代に御家人株を買って勝の父は旗本に養子に行っていたという顛末だった)。
つまり、鯖江の儒者も間部の殿様とともにタッグを組んで正徳の治のリバイバルみたいなことをやりたかったのではないだろうか、そのためには自分も将軍直参である必要があったと。
そうだとすると、正徳の治はきっと後世の武士にとっても肯定的に評価されえたのだろう。そうでなければ、いくら何でも儒者ともあろうものがトレースしたいと公に言うことはできないだろう。
ウィキに「正徳の治と享保の改革には断絶があると考えるのは相当ではない。前者の有用な部分は後者によって承継され、吉宗主導の改革と共に後世に残ったとみるのが至当である。」とあるのも頷ける。
今回、藤沢の小説によって、白石の主観的認識のみならず時代の空気的なものにも合点がいった。
藤沢の筆は素晴らしい。
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吉宗の将軍就任に伴い市塵に帰る。政治と著作の双方に巨大な足跡を残した中国の政治家のような儒者新井白石。
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家宣、家継と、間部詮房とともに、政敵を押し除けて、難題、経済立て直しに取り組んできた新井白石。
吉宗に代替わりして、白石もまた、政権の中枢から追いやられる。
ただし、市塵の中に帰るべし、白石は再び意識し、儒者として、市塵の中で生きていく。
新井白石、その苦悩と生き様を、人間らしく、活き活きと描いている。
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2020/1/11読了。最後まで読み上げると結局⭐️4を
付けたくなるのが藤沢先生の作品だ。本作の主人公は江戸中期の儒家、学識才幹の人新井白石の物語だ。18世紀初頭第6代将軍徳川家宣に仕えた政治家でもある。
物語と言うには軽すぎるから、時代考証をしっかりと検証された歴史小説とも言える。山本周五郎の田沼意次を描いた栄花物語に次いで政権を支えた側近ものを読みたくて手にしたのが本作だ。新井白石とは名前は知っているがまさに日本一級の知の巨人だ。しかし、彼の運命を変えたのは政権の側近に抜擢された時から大きく運命は変わる。彼の類稀な向上心が野心に変わるが一転将軍の死と共に政権交替の中で自負心は破壊され市井の中に戻って行く。まさに人間新井白石を見るのだ。藤沢先生は、そんな彼を市塵の中に帰るべしと説く。いいではないかあんたは頑張ったしまだまだ素晴らしい仕事をしていると…。しかし、昔も今も日本国は変わらないなあ。