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意外と読んだことない詩いっぱいあった!できれば教科書と同じように注釈がついててほしかったなぁ。あめゆじゆとてちてけんじや。とか知らんかったら確実に意味わからんやろ、東北の人以外。
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戦後の教科書全部から集められているので、もちろん知らない作品も沢山あるけど、やっぱり名作揃いです。
中学生・高校生の教科書に載っていたものだからやはり青春真っ盛りの人に送る言葉的なものが多くてなんだかこっ恥ずかしかったりもするのだけれど・・・。
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詩は好きなのに、日本人の詩をあまり読んだことがなかったので買ってみた本。わかりやすく有名な詩がそろってるので手軽にふれられてよいです。
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上田敏や森鴎外ら、明治の文豪が翻訳した異国の詩が特によかった。勿論元の作品の素晴らしさあってこそなんだろうけど、文語の格調高い美しさにうっとりしてしまう。翻訳とは思えない、韻の踏み方や流れるようなリズムが見事。
教科書ってなんて贅沢なんだろう。今思うと、中高生の頃の読書って現在よりよほどバラエティに富んでいたんだなぁ。
注釈がついてたらより嬉しかったです。漢詩とか自力で読解できない…!
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知らない詩も多いけれど、懐かしい詩と再開できる一冊。定型詩や漢詩の方が覚えているものが多いですね。今読むとあの頃感じた雰囲気とまた違った印象を受けました。
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国語の授業で、「詩」はあまり好きではなかった。
オトナになって、国語のセンセイになって、
しゃべることをお仕事にし始めて、
ようやく「詩」におもしろさを感じるようになった。
好きでなかったはずなのに、
この本に並んでいる詩のほとんどを知っていることと、
これ以上に多くの詩に触れてきたことに驚く。
そして、わからないながらも
それだけの詩に触れてきたことが、
「今」につながっているのかなと思う。
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近くの書店にはなかなかなくて、新宿紀伊国屋書店でやっと見つけました。
この本に載っているものは、昭和20年代から平成8年までの中学・高校の国語教科書1500冊あまりから厳選されたとのこと。俳句、短歌、漢詩もあります。
授業で読んだことのある詩、聞いたことのある詩、初めて知った詩。どれも厳選されているだけあって、心に響くものばかりです。
鞄に入れて、持ち歩きたい一冊。
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『201201 詩歌強化月刊』
流石に知っている詩ばかりかと期待したが、そんなことはなかった。
お風呂で半身浴をしながら朗読。
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学生時分、教科書や授業で触れて心揺さぶられた、もしくは強烈に印象に残った詩を手元に置いておきたくて、本屋さんで必死に探し回った1冊。読むたび、原点に返ったような気持ちになる。
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この本に載っているのは有名な詩歌ばかりです。
高村光太郎の「道程」で始まり、ヴェルレエヌの「落葉」で終わります。漢詩、俳句、短歌もでています。
かつて教室で学んだ詩と再会できます。
有名なのに知らなかった詩と出会えます。そして今心に響く詩に出会えたりします。
いつも鞄に入れておきたい一冊です。
【野菜ジュース】
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道程
国破れて山河あり
みぞれはびちよびちよとふつてくる
懐かしいのばかり。
詩って不思議と文より記憶に残る。
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実際に自分が学習した詩もあれば、初めて出会う詩もあり。意味がわからないものもあるけれど、考えてみることが楽しい。
例えば、冬になれば俵万智さんの短歌を思い出すように、ふとしたときにこれらの詩を思い出すことがある。学校で習うことは使えないなんて言われるけれど、一概にそうとは言えない。自分でどう活用するかが大切なのだ。
以下は、フレーズにはおさまらなかったけれど、詩の一部をフレーズに入れるのも…と思った、気に入った一節。
一個の人間(武者小路実篤)
自分は一個の人間でありたい。
誰にも利用されない
誰にも頭をさげない
一個の人間でありたい。
他人を利用したり
他人をいびつにしたりしない
そのかはり自分もいびつにされない
一個の人間でありたい。
落葉松(北原白秋)
山川に山がはの音、
からまつにからまつのかぜ。
月夜の浜辺(中原中也)
月夜の晩に、拾つたボタンは
どうしてそれが、捨てられようか?
頑是ない歌(中原中也)
此の先まだまだ何時(いつ)までか
生きてゆくのであらうけど
生きてゆくのであらうけど
遠く経て来た日や夜の
あんまりこんなにこひしゆては
なんだか自信が持てないよ
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叔母の読んでいた本だったので借りてみました。
教科書でおぼえた・・というだけあって、学校で習って知っている詩が多くてなんだか懐かしい気持ちに。
大好きな長田弘さんの「世界は一冊の本」がお気に入りです。
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「ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの」
室生犀星『小景旅情(その二)』より
こういう感じの、ああ知ってる知ってる習った習った、という有名な詩がどっさりの、国語好きにはたまらない一冊である。
『教科書でおぼえた名詩』 文藝春秋編 (文春文庫)
中高生の多感な時期にこういう美しい日本語と出会うのはいいことだ。
とは今になって思うことだ。
勉強しているまさにその時には、何も考えずテストのためにただ丸暗記していたり、やたらほじくり返して文法だの直訳だので文章の雰囲気ぶち壊しにしてしまったりしていたんだよねきっと。
昭和20年代から平成8年までの、日本の中学・高校の国語教科書1500冊余りの中から精選された250篇の作品が、一気に読めちゃいます。
しかも親切な「うろ覚え索引」つき。
詩、俳句、万葉集、古今和歌集、新古今和歌集から、漢詩、翻訳ものまで。
作者も、よみ人知らずから俵万智まで幅広い。
今回嬉しかったのは、土井晩翠との再会。
以前読んだ、北村薫さんの『詩歌の待ち伏せ2』で、土井晩翠の「星落秋風五丈原(ほしおつしゅうふうごじょうげん)」が紹介されていて、男性的な漢詩調のかっこいい詩を書く人だと覚えていたのだ。
「一つの太陽隠れさりて
千万の太陽現るる時、」
で始まる『夜』が、まーほんまにかっこいいのですよ。
『星と花』も好き。
「み空の花を星といひ
わが世の星を花といふ。」
なんとさっぱりとした、清らかな無駄のない言葉たちなのか。
では、聞き覚えのあるものをいくつか挙げてみよう。
「おうい雲よ
ゆうゆうと
馬鹿にのんきそうぢゃないか」
(山村暮鳥)
「からまつの林を過ぎて、
からまつをしみじみと見き。
からまつはさびしかりけり。
たびゆくはさびしかりけり。」
(北原白秋)
「幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました」
(中原中也)
「子供たちよ
これは譲り葉の木です。」
(河合酔名)
「春眠暁を覚えず」
(孟浩然)
「国破れて山河あり」
(杜甫)
「私の耳は貝のから
海の響をなつかしむ」
(コクトオ 堀口大學訳)
「秋の日の
ヴィオロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し」
(ヴェルレエヌ 上田敏訳)
こういう本のいいところは、知らない作品にも出会えることだ。
草野心平『窓』。
草野心平といえば「ケルルンクック」がぱっと浮かぶ、“蛙の詩人”だと思っていたから、これはとても新鮮に感じた。
「波はよせ
波はかえし。」
とい���リフレインが印象的で、まるで波の音が聞こえてくるようだ。
薄田泣菫(すすきだきゅうきん)。
いたいたそんな人(笑)
作品は覚えていなかったけれど、今読むと、漢字をたくさん使った何だか難しい文章を書く人だ。
「いにし代(よ)の珍(うず)の御経(みきょう)の
黄金文字(こがねもじ)
百済緒琴(くだらおごと)に斉(いわ)ひ ……
めんどくさくなってきました(笑)
次は伊藤静雄。
この人も知らなかった。
とても優しい綺麗な詩を書く人だ。
作風は“耽美”だそうで。
「太陽は美しく輝き
あるひは 太陽の美しく輝くことを希(ねが)ひ
手をかたくくみあはせ
しづかに私たちは歩いて行った」
なるほど確かに。
「すぐれた人の書いた文章は、それを黙読翫味(もくどくがんみ)するばかりでなく、ときには心ゆくばかり声をあげて読んでみたい。
われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を音読することは、愛なくてはかなわぬことだ。」
これは、本書の最初に書かれている島崎藤村の言葉だ。
昔読んだ朗読の本(『演劇と教育8 臨時増刊』 1986年 晩成書房)の中で、島崎藤村について書かれていた話を思い出した。
「小諸なる古城のほとり
雲白く遊子悲しむ」
これは、藤村の『千曲川旅情の歌』の冒頭の部分だが、ほとんどの母音が「O」と「U」で構成されている。
「KOMORO NARU KOJYO NO HOTORI」
と、ローマ字で書くと分かりやすい。
やや重く内省的な感じを持つ「O」と「U」が、当時の青年の心の不安のようなものを表現していて、音読をすることで、言葉の音声的働きがみごとに生かされている、よい例なのだそうだ。
言葉の美しさを楽しむ、という高尚な大人の道楽を、この本は教えてくれる。
本書に掲載されている作品には、内容に関する解説は一切ない。
勉強じゃない、というのがポイントなのだ。
旧仮名遣いの優しさに癒され、文章の流れをゆるく楽しむ。
この歳になって、こういうものが読めるのは、とてもありがたい。
できれば、もう少し涼しい季節になってから読めばよかった。
本日気温35度。猛暑(笑)