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紙の本
僕にも「こういう」少年の時があったんだ。六つの短編にはいずれもどこかに既視感を覚えるような懐かしいところがあった。
2005/09/09 00:54
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
それは怪異現象そのものの体験ではないのだけれど、子供がうけとめる不思議現象というフィルターを通して語られる懐古談に、事実としての記憶はますますぼんやりしてしまうのだが、むしろ感性だけは浄化されて、登場する少年少女とおなじような心の働き、感情の揺らぎが僕にもまちがいなくあったんだと妙にそこだけはしみじみとして浮かび上がった。
「こうでない」少年の時もあったはずだ。児童文学風に言えば、夢・希望・友情・勇気・冒険であり、無邪気で汚れない純真であり、将来への無限の可能性といったプラスのベクトルが強く働いている「子供の世界」があった。「大人の世界」との境には頑丈な隔壁があって、純粋な「子供の世界」に躍動する少年少女がいた。「子供の世界」といえば僕たちはこうであってほしいと願っているものだ。
ところがこの隔壁が徐々に徐々に崩れる時がくる。その破れ目からじわりといやらしい大人の臭いが滲み込んで、それはマイナスのベクトルで微妙に子供の感性に「こういう」作用をする。
僕たちにとってそれは経験済みのことで、当たり前のことで、大人になっているから承知しているはずなのだが「子供の世界」のプラスイメージが定着しているものだから忘れていて、この作品を読んで「あぁそうだったんだ」とハッとする。そしてノスタルジックに、マイナスベクトルにふれたあのころのちょっと憂鬱なおませになった恥ずかしい気分をよみがえらせるのだ。
やさしさにあふれた静かな語りは破れ目から滲み込む大人のうしろめたいものを見せる。それは朝鮮人や部落に対する差別や偏見、ばつが悪い性衝動、生臭い男と女の関係、分別ある三角関係、失った子に対する妄執、死の恐怖・苦痛など大人が隠しておきたい生活の陰影だ。
すると「子供の世界」へマイナスのベクトルを送った張本人こそ僕ではないかと気がついて、疚しさがあるからこんどは大人としての僕の気分が揺さぶられる。それが大人になるってことなんだよといいわけまじりの独り言をつぶやいたりする。読者は子供と大人と二重の感受性を交錯させながらこの物語にのめり込むことになるのだ。
さて、舞台はいずれも昭和40年代はじめの大阪下町裏で、そこで暮らしている小学生が主人公だ。帯には「大人になったあなたは、何かを忘れてしまっていませんか」と問いかけがある。しかし、失われた少年時代をなつかしく思い出すのは大人になったからという理由だけではない。
今私たちが住まいする都市型の暮らしには隣人たちの顔がみえる共同体の気配がなくなってしまっている。人情の機微や地域の伝統的オキテがそれぞれの生活の共通の空気として作用する場はもう存在しないのだ。さらに「子供の世界」と「大人の世界」を隔てていた壁がなくなってしまっていて、彼らは免疫力が身に付かないままに裸で放り出されているのが現実なのではないだろうか。うしろめたいという思慮の働いた感性にではなく剥き出しの禍々しい情動にさらされるのかもしれない。
ある年代以上の読者だけが実感できるこの深いところの喪失感があるから、これほどのインパクトで郷愁の思いがかきたてられるのであろう。
近所で時々見かける少女の、眉に憂いをひそめた風情に
「おとなになったんだねぇ」と話しかける。
「おじさんありがとう」と少女はにっこりする。
………もうそういう情景はなくなってしまったんだ。
勘違いされて大声で叫ばれるか
「うざってぇんだよ、クソじじい」
と罵倒されるか…だねぇ。