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紙の本
期待が大きかっただけに、辛目の評価。なんといってもロマンがありません。武士は偉い、愛こそ全てというステロタイプにはまり込んだお話に、夢も希望も消えうせて。でも荻原ならもっと書けるはず
2005/08/17 17:37
13人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:みーちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
さてさて、期待の本です。我が家では長女も次女も『西の善き魔女』シリーズの愛読者です。私にしても、荻原の『樹上のゆりかご』を書評で絶賛した記憶があります。おまけに、いとうひろしの表紙画がいい。ちょっとカンディンスキーしてて。
さあ、困りました。まず、わたしは源氏が大嫌いなのです。色狂いの源氏物語も嫌いですが、源氏の武士が厭なのです。頼朝もですが、義経も反吐が出るほど嫌です。なんといっても、彼らの眼には士農工商の士、しかありませんから。今で言ったら、代議士か官僚ですよね。ま、彼らには金さえだせば一票をくれる医農工商は大切にしても、リーマンは眼中にない、ね、同じでしょ。
それに武士といえば、要するに人殺しです。働く、といっても民百姓からあがりを掠める点は、搾取する相手がサラリーマンではあっても、現在の役人と同じですし、女と見れば犯す対象でしかありません。しかも、後白河です。ふしだらで遊びと陰謀しか知らぬ上皇、ゲッです。
で、主人公がガチガチの武士至上主義者。武士にあらずば人にあらず。天上天下唯武独尊ですから。しかも、汗水たらして働くよりは笛吹いて遊びたがる。昔の14歳といえば十分に大人のはずなのに、考えが凝り固まっていて、武士や権力をやたら有り難がります。しかも軽率。何が大切か、というところで完全に視野狭窄に陥ります。
自分を客観視できませんから、自分の行動の意味が理解できません。やりたいから、やる。誰が考えたって危ないだろう、というのに自分の特技を披露する。しかも、愛する人を巻き込むことに何の反省もありません。ま、愛する人といっても、それは武士ではないのですから、気にもならないのでしょう。
で、彼は自分の軽率な判断で取り返しのつかないことをしてしまうのですが、それを取り返そうとする態度が、まさに倣岸です。偉そうに自分の大切なものを投げ出す、と言いますが、社会に対して行なってしまったことについては、エラソーに反省する気配さえありません。大体、ひっそりと暮らすことができるのに、権力を過大評価するあまり、ただただ権力に擦り寄っていきます。
ちょうど、同時期に『アンデルセン自伝 ぼくものがたり』を読んでいたのですが、草十郎はまさにアンデルセンですね。まず働かない。他人のいうことに耳を貸さない。有名であることに拘る。ま、アンデルセンよりましなのは、喧嘩に強いことでしょうか。それにしても、逃避行をしているのに、わざわざ都に舞い戻るんです。誰だって分りますよね、捕まるの。
それの繰り返しです。アンチ・ビルドゥングス・ロマンとでも言いましょうか。ま、主人公の草十郎以外は、魅力的です。糸世も「鳥の王」も、その許婚たちも、です。草十郎に比べれば、上皇後白河が普通の人間に見えてきます。アンデルセンに対する校長みたいなものでしょ。主人公が悪すぎて、周囲の悪人ですら、いい人に見える。
何で人間的に成長しない人間を主人公に据えたのでしょう。いや、最後に草十郎は大切なものを捨てているではないか、それが出来なかったことに比べれば、人間としての大きな成長である、というかもしれません。そうですか、結局、草十郎は無名の人々の生命を放置し、ただ自分たちだけの幸福を選んだだけではないですか。いつか、こういう人間は言うのです、俺はお前のために自分を犠牲にしたんだぞ、と。
一人の人間を救えないものに、無数の民を救えるはずがない、それは真実ではあります。でも、一人を人間を救うことが、実は自分のためだけだとすれば、その人には自分しか見えていなかったことにしかなりません。残念ですが、凡百の物語、そう私は断じます。