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2007/6/10。大阪・船場の商人の雰囲気が手にとるように伝わってくる。風俗の描写ひとつひとつが素晴らしい。大正時代の設定なのに、人々の暮らしはいつの時代も毎日の積み重ねなのだな。
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2010/02/12
初 山崎豊子。
船場の古いしきたり
関西人は野暮だと聞くけど、これは粋な文化だと思った。
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山崎豊子らしい重厚さ。船場の一族の姿を描く。
女系家族おどろおどろしいと思いつつ、最終的に、女系が終わって、男系に変わってしまうところは流れ的にはしょうがないのだろうけど、少々残念。
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再読。
船場ものの中では一番読み応えありますね。
「ぼんぼんではあきまへん。遊びも商売も帳尻をぴしっと合わせるぼんちにならなあきまへん。」
とにかくおもしろい。
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面白かった!!!
粋で華やかで人間くさくて嫉妬ぶかくて、どきどきした。
芸妓のきのきいた振る舞いや戦前のしきたりが描かれてて読んでてたのしかった。
ラストも素敵。女は強いなあ
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最早この手の世界は現存しないんだろうなぁ。
それにしてもまさに山崎豊子の世界、とにかくねちっこい描写。
そしてキャラクターのデフォルメが非常に上手い。
自身がどう思っているのかは分からないが、この作家の作品の本質は上質のエンターテインメントであり、故に大衆的映画・テレビでの映像化が今なお行われているのだと思う。
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1959年に発表された作品なので、もう50年以上前のものになるから驚き。「暖簾」「花のれん」に継ぐ、大阪ものの第三作。前二作はまだ未読だが(たぶん…)、船場や花街のしきたりについて精緻に描かれている。
そもそも船場とは、今の大阪市中央区あたりにある、四方を川と堀で囲まれた四角い町で、江戸時代に大阪城の築城にあたって、大勢の家臣や武家が移り住むことになったことから、武器・武具をはじめ大量の生活必需品を集めるべく、商業者を半強制的に移住させたのが、商人街として栄えた船場の発端らしい。
物語は、そんな船場の老舗足袋問屋の一人息子として産まれ、暖簾をささえる喜久治を主人公とし、彼を取り巻く五人の女たち(ぽん太・幾代・お福・比沙子・小りん)と、女系主義の祖母と母(きの・勢以)の、船場ならではの厳しい風習と女の戦いがテーマ。
そもそも、大阪では良家の坊ちゃんを「ぼんぼん」というが、その中でも器がでかいぼんぼんを「ぼんち」という。豊子さんの言葉を借りれば、「根性がすわり、地に足がついたスケールの大きなぼんぼん、たとえ放蕩を重ねても、ぴしりと帳尻の合った遊び方をする」のが、ぼんち。
女系におされ、古いしきたりに束縛されながらも、女遊びに明け暮れるが、結局は戦禍を被って新たに人生を切り開く。
「女の道で苦労して、何かものを人に考えさせるような人間にならんとあかん」という言葉を金科玉条にして生きようと決意した喜久治だが、結局、何かものを人に考えさせる人間になったのだろうか?その結末が、きのの自死と女たちの自立ってこと?それがよくわからなかった。
とはいえ、やっぱり豊子作品すごい。圧倒的な知識と人間関係の機微を描ける人ってそうそういない。
あとがきの一言がとても印象的だった。
「一千枚近く書き終えてみて、今さらのように私が、故郷である大阪に深い愛着を持っていることを思い知りました。それは愛するというような生やさしいものでなく、もう一種の執念のようなものかも解りません」
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今は存在しないであろう船場商屋の厳しいしきたりの中でのお話。
船場の世界観は現在では無くなってしまっているだろうが、女性のしたたかさや我が儘などは何時の時代でも変わらず。男性は男性で、こんな風に放蕩してみたいなぁーなんて気持ちを少なからず誰しもが持っているのではないだろうか。
だいぶ前に書かれた作品だが、読み応えがあった。
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「ぼんぼんになったらあかん、ぼんちになりや」
放蕩を重ねても帳尻の合った遊び方をするのが「ぼんち」。古い暖簾を誇る足袋問屋の一人息子「喜久治」を巡る五人の女達、大阪「船場」の世間の常識からかけ離れた思考・風習を描く。
まあ、金持ちのただの女狂いの物語とも言える。
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大阪船場のぼんぼんの話。
山崎豊子の船場ものの中ではちょっと異色かな。商いの話よりも女遊び方が内容としては濃い。こういうしきたりって今でも残ってるのかな。女も女でちゃっかりしてる。
喜久治が新しい女に手を出すたびに、おいおい、もういい加減にしとけよと思ってたのが本音。
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大阪船場商人の放蕩を扱った本。
お金で女を買い仕事ではきっちり帳尻を合わせる、こやつ、ただの男やない。
しきたりが非常に厳しい大阪の船場。女系家族で旦那さんを婿養子にして商売を拡大させてきた。でもここにあるのはえげつないしきたり。伝統を重んじるのは結構なことだけど、あまりにもそれに囚われていてしまっては、本人に自由さがなくだから放蕩に走ってしまうのか?
金で女を囲うというのはいかがなものか?それも単なる放蕩ではないからね。仕事ではたんと成果を出している。これなら文句は言われない?
僕には本当の満足が喜久治にあったかというとそうは思わないな。やっぱり愛はお金では買えないと思う。4人の妾を持つその意味もよくわからないし、それがどれほどの満足感をもたらしてくれる?
でもしきたりで縛られた生活をしていたら、それは許されるのかな。母親も祖母も妾を持つことに反対していないし。逆に奨励している感があり、これは時代が違うとこうなのか。
一つ喜久治のいい所は、責任があったこと。女遊びにも責任があった。これは勉強になりました。
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船場のボンボンの話で妾がつぎつぎとでてくるけれど、ストーリーより大阪船場の商家や世俗がよくわかりとても興味深かった。
鰻谷や道頓堀の様子もわかり、今の大阪と色々思い比べて楽しむことができた。
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もはやストーリーがどうこうより、当時の大阪船場の風俗の勉強にすごくなった。ほかにも船場の話はたくさんあるがこの話が一番濃厚。
山崎豊子長編作品はこれで全部制覇したのかな。お疲れ様でした。
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市川昆監督の映画ぼんちを観たあとに原作を読んでみた。映画のぼんちよりも、もっとお家はん、御りょうはんの家付き娘の恐ろしさが感じられてよかった。山崎さんは映画ぼんちをみて「主人公はあんな男性ではない」と言ったそうだけど、確かに原作のぼんちは気骨のあるボンボンだった。
大正から昭和初期にかけての大阪船場の大商家に伝わる、しきたりの数々も圧巻だった。そして、現在の浮気不倫と、当時の商家の旦那として妾をもつことの大きな違いは、女性とそういった関係になるということは、その女性の生涯の面倒を最後まで見るという腹をすえたうえでの関係だということ。それぞれに個性的な五人の女性との関係をまっとうしようとするぼんちは、本当に旦那甲斐性のある男だと思った。
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結局人は時代の波の中で生きていくんだな~と改めて思いました。大阪の船場や芸者文化などに重ねて、明治大正昭和と激動の時代。喜久治と5人の女のつきあい方、祖母、母とのかかわり方、今の時代では考えにくいけれど、きっとそれぞれ強い信念のもと、相当な覚悟を決めていたに違いない。男の強さ、女の強さを感じました。もしかしたら、この強さは作者の強さかもしれません。自分がそこにいるかのように感じさせる表現など、山崎豊子の本をもっと読みたくなりました。