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真っ白い甲冑の中はがらんどうの「不在の騎士」——しかし、意志の力で君主に仕えるという彼の「存在」は果たして何のたとえなのか。「読む楽しみ」「社会的視座」が互いを損ね合わない傑作。
2006/01/31 00:08
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
「我々の祖先3部作」と呼ばれる空想的な「歴史」3部作として世に出された最後の巻であるが、訳者による解説で、3巻の特徴と並びについて注目される記述があった。
カルヴィーノは、この3部作を人間の在り方の歴史的進化を示す「系統樹」として意味づけようとしていたというのだ。系統樹とな?
そして3作は執筆順でなく、各々の作品の背景を時代順に並べると、中世の『不在の騎士』→17世紀末『まっぷたつの子爵』→18世紀『木のぼり男爵』となる。何がどう系統樹なのかというと、自由意志を貫き通しながら真に人間的な「完全」に至ろうとする人間が書かれているからだというのである。自由への3つのステップというわけだ。
本作に描かれた中世の場合、「自由」に先立ち、「存在しない」という状態からとりあえず「存在する」ことを目す人間が寓話的に書かれているということになる。
真っ白い甲冑に虹色の羽飾りという派手ないでたちにも関わらず、騎士アジルールフォは中身が空洞の不在の騎士なのだ。「頭がからっぽ」という中身が空洞ではなく、肉体が不可視なのである。だが、王シャルルマーニュに忠誠を誓う。どのように奉公するかという王の問いに、「意志の力によって」と言い切る。
「寓話」「寓話的」と言うは易しだが、では果たして、この奇想天外な騎士は一体何の寓意なのかとまともに考えてみると、これが案外やっかいなものではないか。たとえ肉体が不可視であっても力強い意志の力を持つ者を理想とするのは、自己なき現代人への皮肉であり、それはやはりファシズムへの否定につながるものだったのかもしれない。その視点を取り入れながら、自由をめぐる人間の進化形を描いたという解説に拠るとするならば、「存在しない」から「存在」を目指していた中世の人間たちとは、農奴のような身分を指して言ったのか。
「寓話だ」と本の紹介をすると収まるところに収まって、表現した方もそれを受け止めた側も着地した安心感を得るのだが、さぼらずに改めて解読してみようという気になると、このような野暮は免れない。だがしかし、カルヴィーノが単に物語にこだわり、メタフィクションで物語の新たなる位相を追い求めていたという認識では、この「歴史」の3作が意図するところはつかみ切れない気もする。この作家の根はパルチザンであったゆえ…。
そして、もう1つ。パルチザンの根であったとも言える、家族や同胞や郷土への「愛」が彼にとっての重要なテーマであり、思わずそれが表出した箇所。これも、とてもカルヴィーノらしい。
——青年はいつもこんなふうに女を目がけて走ってゆく。彼を駆り立てるものはほんとうに彼女への愛なのだろうか? それとも、むしろ何よりも自己への愛、女だけが与えることのできる生きて在ることの確かさの模索なのではないだろうか?(96-97P)
ここに書かれているのは、異性への愛がどういうものかというセンチなものではなく、相手の存在は自己への愛を写す鏡のようなものだということなのだろうか。さらに踏み込んでみれば、闘争に駆り立てるものは、実は身の回りの人びとの存在に反射されるところの「自己愛」ということになる。愉快でユニークな物語の展開と見せかけるようにして、この部分から数ページあとに作者は「戦争というもの」について筆を運んでいる。自由意志を巡る系統樹に絡めて「戦争」の解説はなかった。しかし、「自由」の対として明らかに「戦争」への意識があるだろう。そのことを考えると、馬の背に乗って「未来」が辿り着く「黄金時代」はいかなるものかと問う結末は、より深い響きをもたらしてくれる。
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時は中世、シャルルマーニュ麾下に、白い甲冑の中身は誰も入っていないからっぽ、という騎士がいた。その名はアジルールフォ。……という奇想天外な物語だが、イタロ・カルヴィーノ、さすがである。『木のぼり男爵』も欲しいんだけどな、ハードカバーだからな……これを文庫で出版した河出文庫、偉い。
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以前、国書刊行会からハードカヴァーで出ていたものが、河出書房から文庫で出直していた。よかった、絶版になってなくて。(私の蔵書は国書版)
一言で言ってしまえば、中身が空っぽの騎士が繰り広げる奇想天外な冒険譚。『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』と一緒に読んで欲しい。カルビーノ中毒になります。
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中身が空っぽの騎士の冒険談
奇想天外なお話だけど、子ども向けではない、立派な大人向けの本
「存在しないが確かにある」って?
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鎧の中はからっぽというアジルールフォ騎士が、まっとうな騎士道にのっとって愉快な行動をとって消えてしまう奇想天外な寓話だ。海の中を歩いて戦地に到着する冒険が面白い。読み手をぐんぐん引っ張っていく筆致が素晴らしい。これでカルヴィーノ三部作を読みきった。
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「われらが祖先」3部作の第3作目。中身が空っぽの鎧だけの騎士、アジルールフォが主人公。『狂えるオルランド』のパロディというだけのことはあり、奇想天外な筋そのものも面白い。この小説で扱われているテーマは「存在」。相変わらずカルヴィーノは、深く考えても、さらっと読み流しても有益な小説を書く。
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戦争はこの世の終わりまで続いて、誰ひとり勝ち負けもしないさ、双方いつまでもじっと向かい合っているままなのさ。一方がかければ、もう一方も何もできなくなってしまうだろうさ。もう今は僕らも、やつらの方だって、何のために闘っているのかを忘れちゃっているのさ。
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イタリアの作家、イタロ・カルヴィーノの「歴史三部作」の作品の1つ。
「鎧の中は空洞」という「存在しているのか、いないのか」という微妙な騎士が主人公アジルルーフォ。
これと対象的な存在(そして、主人公よりキャラクターとして魅力があると思う)として描かれているのが、確かに人間として存在しているが、自分が何かわかっていない人間、グルドゥルー。カエルを見れば自分をカエルだと思い込み、梨の木を見れば自分を梨の木だと思って梨の実を実らせ、スープを見れば自分がスープだと思って皿に入る。
この2人を柱に物語が展開すれば相当面白いのだと思うけれど、後半からストーリーが別方向に進んでしまうのが残念。(エンタテインメント作品ではないから仕方ないが)
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昔読んだことがあると思っていたら、それは「まっぷたつの子爵」の方でした、たぶんね。
こちらの主人公は、肉体をもたず、ただ堅固な意思の力によってのみ自らを存在せしめている騎士道の権化アジルールフォ。自身が何者かわからぬ従者グルドゥルーをしたがえて、<存在>をめぐる哲学的な寓話が展開するかと思いきや、そんなこともなく、最終章の農民の言葉にはいささか肩すかしをくらいますが、楽しめる物語です。特に、色仕掛けで騎士たちを骨抜きにしてきた美女プリッシッラと、アジルールフォ殿の一夜の契りは抱腹絶倒の面白さ。そういえば騎士道の神髄はプラトニックにあるのでしたな。
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神聖騎士団の描写は最高。ほとんどモンティ・パイソンw アジルールフォとプリッシッラとの一夜もほとんどドリフ。ラストはまさかの~。テリー・ギリアムなら映画化できると思う。
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前に「見えない都市」を読んだのだけれど、すごくわかりにくく,それ以来敬遠してた作家。でも,面白い。もっと読みたい作家です。
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人を「その人」たらしめているものというのは一体何なのだろうか。第三者がある人を特定の人物と認識するのは、例えば容姿だったり、声音だったり、その振る舞いだったりと、肉体的な要素が多いように思う。
一方、「自己が何者か」を認識するのに一番重要なもの。私にとって、それは記憶だ。記憶がなくなってしまったら、自分が誰なのか何者なのか確かめるすべはなくなる。勿論現代科学のうえでは私が「私」であることを証明することはいくらでもできるのだろう。だがそうなった時、私自身の中では何処か信じきれないまま、もやもやした気持ちになるだろうなと思う。結局私が私である、と実感できるのは、「私」を名乗りながら生きてきた人生の記憶があるからだ。
この作品の主人公であるアジルールフォは、高潔な人柄で武術にもすぐれた、理想的な騎士だ。
だがタイトルが示す通り、彼には実体がない。
眩く輝く白い甲冑の中は空洞で、彼の存在と言えば騎士としての強固な意志のみ。それが唯一アジルールフォを彼たらしめている。
主題だけ見ると重そうだが、軽妙な筆に乗せられて終始楽しく読み進んだ。騎士物語の王道的展開をパロディにしたところも見受けられ、思わずにやりとすることもしばしば。ランバルドがブラダマンテに一目惚れするシーンや聖杯の神聖騎士団の描写は、人が悪いなあと思ったけどね。
結末まで読むと、アジルールフォの「存在」の拠り所って何だったんだろうと少し切なくなった。
重い筆致じゃないのに、読後却って、冒頭に書いたようなことをつらつらと考えてしまう。
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イタリアの作家イタロ・カルヴィーノの1959年の作品です。
シャルルマーニュの時代、彼の廷臣の中に存在しないのに存在している「不在の騎士」アジルルーフォを中心に、それぞれの存在を確かなものにするために、証しを求める冒険譚です。
存在をキーワードにしていますが、小難しい話ではなく、奇想天外な展開、ユーモアもあればエロスもあります。そして、話は意外な展開を見せます。ファンタジーとしてしっかり楽しめますよ。
原書名:IL CAVALIERE INESISTENTE(Calvino,Italo, 1923-1985 )
著者:イタロ・カルヴィーノ(1923-1985)
訳者:米川良夫(1931-2006)
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9/14 読了。
舞台はシャルルマーニュ率いる中世の仏軍。磨き上げた白銅の鎧を身に付け、冑の上には虹色の羽根飾りを差した騎士が目庇を上げると、その中は空っぽだった。不在であるがゆえに正確無比で完璧すぎる騎士アジルールフォと、彼に恋する女騎士ブラダマンテ、ブラダマンテに恋する青年ランバルド、そして人の体を持ちながら何にでもなれる下男のグルドゥルー。同じことの繰り返しで様式化した戦の中、一行は騎士としてのアイデンティティを問う旅に出る。
空っぽ騎士アジルールフォの偏屈キャラがかわいい。宴会でご飯食べないのに料理運んで来させて、肉をひたすら細かく切り分けたりパンを粉になるまで裂いたりする。民話を題材にした人形劇を見るようなコミカルさと愛嬌がありつつ、かなり強引な語り口でメタフィクショナルに終わるカルヴィーノらしい物語。
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中世騎士道の時代、シャルルマーニュ麾下のフランス軍勇将のなかに、かなり風変わりな騎士がいた。その真っ白い甲冑のなかは、空洞、誰も入っていない空っぽ…。『まっぷたつの子爵』『木のぼり男爵』とともに、空想的な“歴史”三部作の一作品である奇想天外な小説。現代への寓意的な批判を込めながら、破天荒な想像力と冒険的な筋立てが愉しい傑作。