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紙の本
涓滴岩をも穿つ
2006/02/28 17:13
8人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ふたりの侍従 - この投稿者のレビュー一覧を見る
本書をロックと言わずに何と言おう。
琉球王国の成立期と倭寇のかかわりは、すでに折口信夫、稲村賢敷、富村真演、谷川健一などが、これまでも論じている。これらの研究史を踏まえながら、16〜17世紀に首里王府によって編纂された古歌謡集『おもろさうし』を文学としてではなく、一定の操作を加えることによって歴史史料として利用して論じるのが本書である。『おもろさうし』が難しいのは良い。その対訳を読むことによってしか理解できないのも良い。おもろの解釈が正当かどうかはわからないのも良い。いずれにしてもわからないんだから。
また、刺激があって良い。面白くって良い。とは言っても、内容は重い。
本書が琉球王国と倭寇とのかかわりを論じた従来の議論と大きく異なるのは、倭寇に関する近年の研究史を参照しながら、日本と朝鮮の連合体とみなしていることにあり、当然、琉球王国への影響は、日本ばかりではなく朝鮮半島のものまでも含まれるとする議論であろう。この日本という部分を軽視し、あたかも朝鮮半島を強調しているかに読んでしまうと大きな誤解が生じることになる。そこが重い。なぜ、『おもろさうし』は日本語なのかという、あまりにも基本的な問題が出てしまうことになる。
また、著者たちは、あっさり述べるに過ぎないが、倭寇が、もとから琉球に住んでいた人々の上に、上澄みのように支配者として君臨したにすぎないと考えなければ、現在の沖縄の現実を説明することは不可能に近い。そこもまた重い。もう少し丁寧に書くべきであったろう。
こうした問題(ほかにも確実に実証しなければならないいくつかの問題がある)は残すが、本書で展開している議論は正しいのではないか、と思える点がある。
本書の冒頭に掲げている「万国津梁の鐘」の銘文の問題である。
二〇〇〇年の九州・沖縄サミットの会場が「万国津梁館」であったように沖縄の人々から、ことのほか愛されているように思われる銘文である。この銘文の扱いをいつも不思議だなあ、と思っていたのである。
大意は次のようなものである。
琉球国は南海の勝地にして、三韓(朝鮮)の秀を鍾(あつ)め、大明(中国)を以て輔車となし、日域(日本)を以て唇歯(輔車も唇歯も、非常に深い関係にあることを表現する)となす。此の二つの中間に在りて湧出するの蓬莱島なり。舟楫を以て万国の津梁(かけ橋)となし、異産至宝は十方刹(国中)に充満せり。地は霊、人は物(ふ)え、遠く和夏の仁風を煽ぐ。故に吾王大世主(第一尚氏第六代王尚泰久の神号)、庚寅(1、410年)慶生の尚泰久、茲に王位を高天に承け、蒼生(人民)を厚地に育む。
この銘文は尚泰久をわが王とみている人間によるものであることは間違いない。ここで問題になるのは、「南海」「湧出」「蓬莱」という三つの言葉である。なぜ、尚泰久王はみずからの居る場所を「南海」と称するのだろうか。どこから見て「南海」か、ということである。また、「湧出」とは、突然に現れるという意味ではないか。「蓬莱」とは中国では北方的な文化の厚い地域で用いられる言葉だったのではないか。実際、山東半島には「蓬莱」という都市がある。この琉球の自己表現は、「蓬莱」という中国北方に起源のある言葉を用い、みずからの出自からみて琉球国を「南海」にあると考え、突然に「湧出」した(あっという間に成立した)と考えている琉球の支配者という像を結ばせる。「三韓の秀を鍾(あつ)め」という文言を考えると、やはり九州と朝鮮をまたぐ地域に暮らす人々の認識が、この銘文に反映されていると考えられるのである。
「尚」を王家の家紋である「三つ巴紋」を漢字にしたという議論はご愛嬌か。ここは軽い。
すべてにおいて実験的な試みを行っているのが本書である。やっぱり、これをロックと言わずに何と言おう。まあ、いずれにしてもはじけてます。
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