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僕の人生を変えた1冊です。世界の歴史に残るヘッセ作品の中でも最高傑作だと思います。本当に大きな大きな出会いでした。
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新訳版。 リズムよく心地よい文体と、目が覚めるようなすばらしい内容で、水を飲むようにごくごくと読み進められる。大満足。 これを読んだら、強く、やさしく、たくさんのものを愛せるかな。
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ものすごく衝撃を受けた。こんなに動かされた本は久しぶりである。図書館で借りて読んだが、古本屋で購入して何度も読み返そうと思う。きっと読むたびにその時の環境や考えなどで本から学ぶことは変わってくるだろうと思う。もう既に読み返したい気分だ。傑作である。
具体的な感想を書きたいところだが、うまく表現できない自分がもどかしい。自分の教訓とするところがたくさんあった。聴くことの上手な人になりたいと思った。
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ヘルマンヘッセによるブッダと同時代に生きたブッダと同名のシッダールタが悟りを開くまでの物語。
人はなぜ生きるか、何のために生きるのかという問いに、
人生を賭けて向き合っていくシッダールタの生き様が描かれている。
とても一読して理解できるような本ではない。
おそらく読む度に発見があるだろう。
これからも折に触れて読み返したい。
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長いレビューを書いたけど、引用登録したら消えたので短く書く。
インド哲学を題材に「もう一人の仏陀」を描いた作品。インド哲学は仏教に始まる、東洋思想の基礎でもある。老若男女問わず(ましてや日本人であるならば)必読の一冊。
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2008年06月18日 22:40
ヒンディー語専攻だし、と思って挑戦してみた。
・・なんか何言ってもどうしようもない感じです。
金持ちの家のシッダールタ。
色々あって友達と出家。
いわゆるブッダに遭遇。
色々あって友達と別離。
すごいいい女と出会う。
色々あって堕落。
金と欲にまみれて生きる。
色々あって改心。
落ち着いてたところに妻子現る。
妻死ぬ。
息子に迫害される。
シッダールタも死ぬ。
別にふざけてるわけじゃなくて本当にこんな話。
多分、この”色々ある”間の彼の純粋かつ高尚な葛藤に、現代の私たちが忘れている、純粋かつ高尚な生き方の教義がちりばめられているんでしょう。
けど(前もなんかのレビューに書いたけど)、さまざまな事物に慣れすぎちゃって、結果ひねちゃった人間たちは、ここまでシンプルに、かつどストレートに書かれると、いたって普通に読み流しちゃうんですね。
なんていうかちょっと思ったのは、シッダールタが生涯をかけて探した悟りとか涅槃とかと、
その辺の人が仕事や勉強の中に見つけた目的(たとえば「人を救う!」とかならちょっと近いけど、もっと言えば「金を儲けて女をはべらす」とかいわゆる俗物的なものですら)って、同じじゃないかなって。
一人の人間が一生をかけるって決めた目的に貴賎はないんじゃないかな。シッダールタとかカワカミマイとか関係なく。
・・・不遜すぎかな?
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ノーベル賞作家のヘッセの作品。
最初は独特の言い回しが読みにくかったけど、読み進めていくうちにその言い回しが心地よいリズムとなり読み進んでいくようになった。そして、そのリズムを刻む言葉たちの意味が厚く、これをしっかり読み込みながら読んでゆくとさらに話に入り込む、すばらしい作品でした。
内容はシッダールタという主人公(いわゆる仏・ゴータマシッダールタとは別人)の人生を描いたものです。賢い若者だったシッダールタは真理を求め沙門となった。そこで色々な師に会い、目覚めた人ブッタにも会ったが教えに満足せず、女・酒・金・賭博にのめりこんだ時期を乗り越え、最後は川の渡しの弟子となり、川から求めていた答えにたどり着いた。それはすべてをあるがまま受け入れる。そしてすべての物を愛する事であった。
シッダールタがたどりつた思想というのがとても面白かった。
あるがままを受け入れるというところで、「父であっても子供の人生になんの影響が与えられるというのは思い上がりである」というところは、今の私にはちょっとドキッとする内容であった。
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シッダールタといっても、所謂“ブッダ”ではなくヘッセのオリジナルキャラクター。つまり、ヘッセ独自の宗教的体験を綴っているかのような内容でした。
知識と違って知恵は教えられ得るものでない。知恵は見出すものだ。そして教えや思想についても同様のことがいえようーーという旨は伝わったけども、、一読じゃすっきりくるまで消化できなかった。
またりべんじだー*
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何ものからも祝福され愛されるバラモンの子、シッダールタ。
たくさんの愛を受け、満ち足りた暮らしを送っているはずの少年シッダールタだが、完全な満足、安らぎ、癒しはなかった。
真我への到達の道を探して、家族と別離して沙門になることを決意する。
シッダールタの友、ゴーヴィンダ。誰よりもシッダールタを尊敬し愛す彼もまた、シッダールタとともに沙門になる決意をする。
二人は沙門たちのもとで、あらゆる苦行を経て、仏陀に出会う。
完全なものと思える仏陀。しかしながら、シッダールタは仏陀のもとを去る決意をする。
ゴーヴィンダは仏陀のもとに残り、二人は別離する。
そしてそれぞれに全く違う生き方、ゴーヴィンダは仏陀から、教えを得ようとし、シッダールタは自分自身で真理をみつけようとする。
老人になった二人が再会したとき、言葉を超え、二人の間に様々な姿が浮かび上がる。
二人は、この段階で、それぞれの真実、満足に達することができたと思う。
シッダールタとゴーヴィンダは、それぞれの生き方を、それぞれの方法で生き抜いたが、言葉を超えて、それぞれの真実を認識しあえた。
目に見えない形で、ありとあらゆるところで真実は存在しているのだろうが、それを形としてとらえることはできない。
必死になって追い求めているときは、ふわりと逃げて、遠いところから微笑まれている。
河を静かに見つめ続けて暮らす渡し守には、水の真実が垣間見えているようだ。
私も、自分自身を静かにみつめて、毎日をまじめに生きていきたい。
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車輪の下などで有名なヘッセ中期の作。
厳密にはヘッセが仏教に影響を受けた小説で、
主人公は、釈迦と同じ名前のシッダールタ。
彼が司祭である父の元を去り、
悟りに至るまでの生涯を詩的に描いている。
内容は仏教的ではありますが、
古い逸話や昔話に出てきそうな話が散りばめられていて、
それほど難しい小説ではないです。
草思社版は、2005年に新訳されたものですが、
訳が非常に読み易く、おすすめです。
[1922年、ドイツ、209P]
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釈迦が生きた時代に、釈迦ではないジッダールタという聖人がもう一人存在した、という物語。
主人公はそのもう一人のジッダールタであり、子供の頃はバラモンの子供として異才を放つほどのオーラを放ちながら、ひたすら「知ることを足る」ために沙門に入って辺境の人生をたどる。
ヘッセというヨーロッパ人が書いているからだろうか。修行僧から商人となり金を持って女にハマり、最後は渡し守になるなど、とにかく「本当に真理を追求しているのか?」と思うような人生。ただしその先に、人として生きること、今を生きることが真理である、という叡智にたどりつく。
ガンガーに祈りをこめて答えを求めたり、万物流転の考え方や解脱の意味など、インドの宗教観は非常にうまく書かれていた。
生きることは今を生きることであり、全てを受け入れ、許すことで叡智を得る。厳しい修行をしないとたどり着けないわけではない、というメッセージを、私はこの本から読み取った。
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バラモンの家に生まれた仏陀と同じ名を持つ青年シッダールタは、家族や友、僧侶から愛されるが魂の安らぎを得られず家を捨て沙門となり、苦行を積む。現世的な利益から離れ自己を空くし、瞑想により自然と一体化し輪廻の悲哀を体感することができるようになるが輪廻から抜ける道筋は見つからないのだった。
仏陀の評判を聞き、シッダールタは沙門たちに別れを告げ教えをこう。仏陀は不滅の平安の中で微笑み、存在自体が悟りであったがシッダールタの疑問は解決されず世俗に身を投じ、冷笑を持って商業に勤しみ、遊女カマラーの元へ通う。シッダールタは、世俗の利益を軽蔑しており稼いだ金を賭博に費やし放蕩の限りを尽くすが、空虚な生活に倦むようになる。
ついにシッダールタは惑乱しあらゆる知識に見捨てられ死を憧れ求めることができるほどに、自分の体を抹殺して休息を得たいという子供じみた願望が大きく心の中で育つほどに堕落する。そして河に身を投げようとした瞬間、「オーム」という神の言葉を見出し悟りの緒をつかむ。そして身を投げようとした河の渡し守の弟子となる。穏やかな生活を送っていたが、遊女との間に生まれた息子を引き取ったシッダールタは一人の生身の親として、反抗的な息子に手を焼き苦しむ。愛そうとすればするほど、息子はその愛を拒むのだ。シッダールタは平穏を失い一人の親として苦しむが、人を愛することを知りそれでも幸せだった。シッダールタは愛ゆえに息子をあらゆる苦しみから守りたいと考えるが、息子はことごとくシッダールタに反抗しついには出奔してしまう。それはかつて家を捨てたシッダールタそのままだった。ひとりの人間となったシッダールタは、思慮や洞察ではなく衝動と願望に突き動かされる人間の生き方を理解し、自分と同じであることを感じ同情した。人の虚栄心や欲望を取るに足らないくだらないものとは思わなくなり、理解し愛すべきものと思い尊敬に値するとさえ思うようになった、母親の盲目的な愛、父親の盲目的な息子への誇り、若い娘の美への羨望、これらのすべての衝動、欲望、行為が単純で馬鹿げているが途方もなく強い活力をもちすべてのものを制圧し、ときには無比の事業を成し遂げさせ、旅をし、戦争をし、途方もない苦しみにたえさせることがわかったのだ。シッダールタはどんな煩悩のなかにもどんな行為の中にも命を、破壊できない実在、梵を見た。人々は盲目的な忠実さ、強靭さと忍耐力に置いて愛すべきであり感嘆するものであった。彼らはすべてを持ち合わせているのだ。
シッダールタは渡し守から河の声を聞くことを学んだ。河の流れにはシッダールタ自身の姿に、父の姿、息子、遊女カマラー、様々な人々が姿を現し、憧れしたいつつ求めつつ、苦しみつつ流れて行き、痛みと渇望と憧れと歓喜と善と邪、笑いと嘆きの声に満ちて何百何千の声が重なって一つに統合し、一切が集まって一つの生の音楽を奏でていた。河の無数の声の合唱する大きな歌はただ一つの語、「オーム」完成だった。シッダールタがこの声を聞くことができるようになった時、渡し守は静かに森へ向かい入寂した。
シッダールタは聖者として評判となり、旧友の僧侶がシッダールタの元を訪ねた。シッダールタ��、すべての存在の中に神も罪人も聖人もあり、時は存在せず現在に未来も過去も存在するとといた。世界はあらゆる瞬間に完全で罪業の中には恩寵が、子供のなかには老人が、瀕死のものの中には永遠の生がある。すべての存在は善であり完全であり梵だととく。シッダールタは、ひとつのものはすべてであり、世界であり、ただ世界をありのままに受け入れ愛せば良いと友人に告げた。大事なことはただ一つ、世界を愛することができること、世界を軽蔑しないこと、世界と自分自身を憎まないこと、世界と自分、あらゆる存在を愛と感嘆と敬意の心をもって見ることができることだ。友は頭をたれた。シッダールタの微笑みは、生涯において愛したことのあるすべてのものを、大切であり、神聖であったすべてのものを、友に思い起こさせてくれたのある。
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人生を深く考えさせられる本。この本の中に悟りのヒントがあるとか、仏教思想の説明を試みという狙いはなく、シッダールタその人の人生、ストーリーである。大昔、学研の漫画でブッダを読んだ時と同じストーリーを辿る。懐かしい感じがした。
バラモンは皆、様々な形で人生の意味や宇宙の成り立ちの解読を試みようとしており、科学という概念よりも言語や即物の連関でそれを示そうとした。認知革命の神話、拠り所を探ろうとしたという事だ。各々に体得した思想を披露しながら、切磋琢磨し、世尊を目指す。思想の競争社会、思想至上主義という雰囲気だろう、その中で名を残したのがシッダールタだ。その時代で一番、しっくりくる解説ができる解脱者がいるぞ、と有名になる。
ブラフマンとアートマンを自分の身体の内奥から、想像してみるだけで、この広い宇宙の一部としての自分自身を改めて感じる事ができる。そんな読書体験だった。
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主人公のシッダールタは、ゴータマではありません。ゴータマとは別の、悟りや真理を求める求道者です。
読み易いので、気軽に読めると思います。
悟りに至りたいと思っている現代人は少ないと思いますが、人間関係や、ありたい自分というものに悩んでいる方は沢山いると思います。
そのような時に、この本を読むとヒントに巡り合えるかもしれません。
本棚に置き、読み返したい。と、思える本でした。