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紙の本
極限状態における「罪」
2006/04/30 14:51
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:吉田照彦 - この投稿者のレビュー一覧を見る
100日間に100万人が犠牲になったといわれるルワンダ大虐殺に現地で遭遇し、過酷な運命の波に翻弄される一人の修道女の姿を描いた小説。
遠藤周作さんと曽野綾子さん、それと三浦綾子さんというのは、どうも作品から受ける印象がそれぞれ違う。僕のイメージでいうと、遠藤さん・曽野さんは、宗教上の戒律をまず作品の前提として読者に提示しておいて、人間にはやむなくその戒律を破らざるを得ない場合があり、宗教上の戒律をもって一律にそのことを責めることはできない、という立場から物語を語る場合が多いように思う。
一方、三浦さんは逆に、宗教上の戒律の外にいる人間を描き出しておいて、あとから宗教上の戒律をもって来、ある意味、その戒律をもって一部の登場人物を罰してしまう、という傾向が伺える。
本書は、今年日本でも上映され、話題になった映画『ホテル・ルワンダ』においても描かれたルワンダ大虐殺の悲劇をテーマにした曽野綾子さんの作品である。作中では、フツとツチといった具体的な固有名詞が上がっている一方で、「ルワンダ」という国名は一切出て来ず、「この国」とか「隣の国」などと標記され、同国の大統領の名前などもみな仮名になっている。
作中、特に印象に残ったのはこんな場面。修道院長のスール・カリタスが民兵に脅され、人間ごと教会を焼くための灯油を差し出したという話を聞かされ、動揺する主人公の日本人修道女・春菜に、同じ修道女のスール・ジュリアがこういう。
「あんたは苦労知らずだから、そういうことを言うんだよ。一人でも助かった方がいいじゃないのさ。灯油をどう使うかは、私たちの責任じゃない。それに、修道院から灯油を取り上げなくたって、やつらはどこかから必ず持って来て教会を焼いたんだよ」
(中略)
「私たちは聖人にはなれなかった。けど普通の人だった。それは神さまもご存知だったと思うよ」(下巻94-95頁)
誰しも自分が極限状態に置かれたときにどう行動するかを確言することはできないと思う。確言できると思うのは、自分がいま現在平和の中に身を置いているからであって、たぶんそれはとても幸せなことなのだ。曽野さんは常々自らのエッセイの中で、例えば誰かに殺すぞと脅されて言葉の撤回を求められたら、自分は生命惜しさにすぐその言葉を撤回するだろうといっている。プロの作家として、こういうことを率直に語れるというのは、とても勇気のあることだと思う。
極限にあって人がやむなく犯す罪を裁こうとするのは人の裁きであって、神の裁きではない、というのが、たぶん曽野さんの作品にこめられたメッセージなのだと思う。
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