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ちきりんさんのブログの紹介を見て図書館で借用。
時代の流行は移行のスパンが長すぎてその曲率変化点をひとは見逃してしまう。ホリケンさんは誰もが気づかなかった時代の変化点を資料を丹念に浚って明らかにしてくれた。
クリスマスが家族のイベントから恋人たちのイベントに変わったのはanan 1983年12月号の特集「今夜こそ彼の心(ハート)をつかまえる」に端を発する。男性誌がクリスマスを彼女と過ごすイベントとして捕らえ始めたのは1987年のポパイ誌であった。
商品化されたクリスマスは二度と家族だけのイベントには戻らない。さみしさや郷愁を感じているのは同時代に生きるわれわれだけなのだ。その断面を切り取ってくれた著者の功績は大きい。
フジテレビでクリスマスの深夜に必ず放送されている「明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー」を思い出した。wikipediaに項目まで立てられていた。
『1990年から毎年、クリスマスに近い時期にフジテレビ系列で生放送される特別番組(バラエティ番組)。1997年からは毎年12月24日のクリスマス・イヴの深夜(日付上は12月25日、クリスマスの未明)に放送されている。』
あの番組で恋人たちのクリスマス狂想曲が面白おかしく取り上げられていた。1990年代、クリスマスイブの日はホテルの予約が取れなだったんだよ。バブルを知らない世代にはぴんとこないエピソードだと思う。
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Tumblrで流れてきた抜粋で興味を持ったので読んでみた。
内容については触れないけれど、個人的には「自分って結構うまく社会から"逃げて"るかも」と感じた。
まあそう思わないとやってられない、というのが本当のところかwww
図書館にて。
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この本はむちゃくちゃ面白かったよ。
「若者」の●●離れという文脈がいかにへんてこなものなのか、
なぜ女性が恋愛のレートをあげ続け、
それにより女性の性が一大産業に発展したのか、
そこらへんが雑誌という切り口で書かれている。
慧眼だと思います。僕にはとても面白く読めた。
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文化を切り口として、タイトルとなる「若者殺し」を語っている。
非常に読みやすく、何気なく接していた文化の歴史などを
知ることができたが、それが「若者殺し」になるというのは
しっくりこなかった。
自分を含め、現代の日本の若者には何かを生み出す、何かを変える
力が欠けている気がする。自分はそれが若者を覆う暗い影の
原因ではないのかと思う。
つまり、殺されているのではなく、自滅であると。
但し、最後に書かれていた伝統文化に逃げるというのは共感できた。
自分も何かに取り組みたいと思う。
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これは、、、。
いろんな意味で笑える内容でした。
タイトルは少し意訳し過ぎかな。
バブル時代を謳歌した人びとには、腹が立つ内容かもしれないが、嘘は書いてないので、人生のレビューとして読んでみては?
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面白おかしく読めるが、面白おかしいだけの内容ではない。
若年者はどうやって自衛していけばいいのか、軽ーくアドバイスしてくれる本。
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「80年代、女の子がお姫様になった」
文章が軽妙で時代の軽さによく合っている気がする。そんな文体なのに、どこかバッサリと斬られるような感じがする。伸びよう、広がろうとするのにバッサリと斬られるような。読みながら、その時代の若者をイメージしながら読んでいると、確かに殺されているような気分になる。
バブルを通して、「若者」までもが市場として意識されたということだろうか、名前をつけられた途端にそれは世界の中に位置づけられて絡め取られてしまう。
バブルで生まれた金の多くが女性に捧げられ、女の子がお姫様にまつり上げられた。男の子はお姫様に好かれエッチできるように本を買い服を買い自分を磨いた。
大人が、若い大人を見つけ、「若者」という名前をつけ、意味を持たせた。
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著者は、1958年生まれのコラムニストで、週刊文春にて「ホリイのずんずん調査」を連載中とのこと。本書は、その連載をもとに、80年代から90年代にかけての若者と社会を論じたものです。
雑誌やテレビを丹念に調べ上げることから浮かび上がってくる事実と、実際に見聞きしたこととを重ね合わせながら、時代の風景や空気感をリアルに浮かび上がらせていくのが堀井氏の手法です。日常の些細な出来事の集積から、その底に流れる大きな潮流をつかみとっていく手口は見事です。一見、とるに足らないように見える情報もデータベースにして分析してみると、こんなに社会の実相を捉えることができるものになるのかと目が覚める思いがします。
本書で取り上げられるのは、「一杯のかけそば」、クリスマス、トレンディドラマ、連続テレビ小説、漫画、携帯電話、ビデオデッキ、アダルトビデオ、コンビニ、新幹線などなど。これらの変遷をデータで追いかけながら、背景にある事象や、その影響が分析されます。
1983年:クリスマスの恋愛化。ディズニーランド開園。おしん。
1989年:天皇崩御。天安門事件。宮崎勤逮捕。ベルリンの壁崩壊。
1995年:阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件。
2001年:同時多発テロ。
こうやって並べてみると、1983年以降、ほぼ5年ごとに社会を揺るがすような大事件が起きていることに気付かされます。昭和天皇が崩御し、ベルリンの壁が崩れてから、社会は静かに、でも、確実に崩壊に向かってきたのだと思います。80年代は、崩れる前の最後の馬鹿騒ぎの10年間だったのでしょう。
著者は、社会の寿命も人間の寿命と同じようなものではないかと言います。だとすると、戦後に作られた社会のシステムは一体いつまでもちこたえることができるのでしょう?既に戦後65年たっています。男性の平均寿命は79歳、女性は86歳ですから、せいぜいもってあと20年というのが妥当なところではないでしょうか。
タイトルにある「若者殺し」とは、「若者」が消費社会のターゲットとして「発見」され、消費社会のシステムに組み込まれていった過程のことを指しています。システムに飲み込まれることで、一見好きなように生きている若者が、どんどん息苦しくなり、希望がなくなっていった。つまり若者は社会によって緩慢に殺されていったわけで、その端緒が80年代にあったというのが本書の主題です。
そして、こうなった状況下で若者にできることは、システムを壊すことか、システムから逃げることだ、と著者は主張します。
なるほど。確かに、いつの時代も若者は社会を壊そうとして、文化に逃げ道を見つけてきました。では、若者達が逃げる先にある文化とは何なのか?著者の最終結論には意見が分かれるかもしれません。
本書には、確かに80年代から90年代にかけてのリアルな風景が描かれています。そして、再現されたその風景は多くの気付きを与えてくれます。滅法面白い本なので、是非、読んでみてください。
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▽ 心に残った文章達(本書からの引用文)
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1989年。
僕は、この年は『一杯のかけそば』の年だったとおもっている。
1989年は80年代最後の年で、昭和最後の年だった。(…)
春にいきなり消費税が取られ始め、春の終りに中国の天安門で多くの若者が殺され、美空ひばりが死に、夏に宮崎勤が逮捕され、横浜の花火大会で花火が暴発し、総理大臣が竹下から宇野になったかとおもうと海部になり、秋の終わりにベルリンの壁が崩れ、カルト教団と戦っていた坂本弁護士一家の行方がわからなくなった。
たいへんな一年だ。いろんなことがこの一年に詰まっているとおもう。
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動き出す時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうするべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった。女子が先に曲がった。それを追いかけて、僕たち男子も曲がっていった。
1983年4月15日金曜日。東京ディズニーランドが開園した。(…)
1987年、ディズニーランドが聖地化しはじめていた。ポパイがクリスマス特集を始めた年だった。
連続テレビ小説のピークは「おしん」である。
1983年のドラマだ。いろんなものが1983年に始まっている。
「おしん」の平均視聴率は52%だった。三百回以上放送されるドラマの平均視聴率が52%というのは、めちゃくちゃである。
80年代に目に見えて普及して、日本人の生活を変えたものは、ビデオデッキとコンビニエンスストアだ。(…)
ビデオとコンビニは、いくつかの楽しみを個人所有のものに変え、集団で行動する原理を解体し、家族を解体し、家庭をばらしていった。そのおかげで、女性は家庭からも家族からも自由になっていったのだ。
90年代は恋愛と携帯しか売られなかった。そして恋愛と携帯からは、何も生まれなかった。
空虚なドラマは、当時トレンディドラマと呼ばれた。88年からトレンディが始まり、1990年代の空虚な時代を支えていった。それ以前のドラマは家庭が舞台だった。ホームドラマだ。
90年代の女性の処方箋が恋愛ドラマなら、男の処方箋はヘアヌードだった。身も蓋もない。でもそうだったから仕方がない。
1991年11月13日、宮沢りえのヌード写真が新聞全面広告に載った。
日本中を衝撃が走った。
トップアイドルである。掛け値なしに一番人気だったアイドルだ。その彼女がヘアヌード写真集を出したのだ。おそろしい時代になった。日本史上、空前の出来事だった。
僕たちの社会がダイナミズムをなくしていく過程と、携帯電話が普及していく時期はちょうど重なっている。
たぶんベビーブーマーたちは、1968年に破壊できなかった何かを、もう一度、やんわりと破壊しようとしているのではないか。若者をゆっくりと殺していくことで、何かに復讐しようとしてるのではないだろうか。日本と、日本がもたらしたものと、近代のシステムと、そしてできれば近代そのものを、憎んでるだけではないか。
のぞみ、という命名には、いか��も90年代らしい気分が見てとれる。それまでの「ひかり」「こだま」というのは実にわかりやすいネーミングである。一番速いのが光速、次に速いのが音速。わかりやすい。
その光速より速い列車にどういう名前をつけるか。JRも悩んだのだろう。そこで、のぞみを出してきた。内的世界である。精神論だ。宗教的とも言える。60年代の科学的気分から大きく逸脱して、内側へ向かってしまった。
日本が近代国家を始めたのが1868年。そのシステムをやめたのが1945年。これは78 年もった。大敗戦後のシステムは1945年に始めて、さてどこまで延命できるだろうか。早いと2015年。もって2030年だ。
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●[2]編集後記
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先日、娘と宮崎駿のアニメ「となりのトトロ」を観ました。久しぶりのトトロです。この映画が上映されたのは、1988年のこと。バブルまっただ中の作品です。
明るい明日を皆が信じていた時代に、昭和30年代を彷彿とさせる内容の映画です。公開当時の配給収入は5.8億円、観客動員数80万人。興行的には失敗でした。トトロと言えば、宮崎駿監督の代表作の一つですから、今では信じられないことですが、当時の前向きな時代の空気とは明らかにミスマッチだったのでしょう。はっきり言って、貧乏くさい、単なる懐古趣味の映画に思われたのだと思います。
勿論、トトロは「昔は良かった」的な単なる懐古趣味の映画ではありません。描かれたのは、自然と人との交流であり、日本人の暮しに根づいた自然な霊性がテーマであったと思います。
例えば、主人公の少女・五月がお地蔵さんの祠で雨宿りするシーンがあります。五月は、お地蔵さんに手を合わせ、ここで休ませてください、と許可をとってから雨宿りをします。こういう暮しに根づいた自然な霊性、見えないものへのリスペクトが宮崎監督の描きたいものだったのでしょう。
それは、当時47歳の宮崎監督の、バブルに踊らされる社会に対する精一杯の違和感の表明だったのだと思います。そして、バブルが弾け、目が覚めるかと思いきや、自然とのつながりも、日々の暮しの中の霊性も、むしろどんどん失われていった。そのことに対する怒りが、その後の「もののけ姫」や「千と千尋の神隠し」に明瞭に表れているように思えます。
ちなみに、「千と千尋の神隠し」の興行収入は304億円、観客動員数は2,350万人でした。トトロが2000年代の映画だったら、どれだけ観客動員できたのか、興味深いところです。
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クリスマス・ファシズムの始まりは1988年。「若者はクリスマスを恋人同士で過ごさないといけない」という思想が日本の隅々まで行き渡ったとのこと。雑誌の特集により時代の流れを分析。
ちなみに、出発点は1983年12月、アンアンの「クリスマス特集 今夜こそ彼のハートをつかまえる!」。1983歴史的宣言。この記事から、クリスマスの若者向け商品化がスタートしたとのこと。男性誌ポパイでの特集が1988年。
バレンタインデーのブレイクは1977年。デパートで「バレンタインデー用の専用チョコ」が初めて売り出された。チョコレートと関係あるバレンタインデーは世界中どこにもなかった企画、1958年にメリーチョコがはじめたもの。
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[ 内容 ]
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。
そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。
「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。
若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった―80年代に謎あり!
ずんずん調べてつきとめた。
[ 目次 ]
第1章 1989年の一杯のかけそば
第2章 1983年のクリスマス
第3章 1987年のディズニーランド
第4章 1989年のサブカルチャー
第5章 1991年のラブストーリー
第6章 1999年のノストラダムス
終章 2010年の大いなる黄昏あるいは2015年の倭国の大乱
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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(「BOOK」データベースより)
クリスマスが恋人たちのものになったのは1983年からだ。そしてそれは同時に、若者から金をまきあげようと、日本の社会が動きだす時期でもある。「若者」というカテゴリーを社会が認め、そこに資本を投じ、その資本を回収するために「若者はこうすべきだ」という情報を流し、若い人の行動を誘導しはじめる時期なのである。若い人たちにとって、大きな曲がり角が1983年にあった―80年代に謎あり!ずんずん調べてつきとめた。
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北田暁大「嗤う日本のナショナリズム」で確か引用されていたので気になっていた。堀井憲一郎というと、僕には「テレビおじゃマンボ」でつまらないクイズコーナーを担当していた人、くらいのイメージしかなかったので、まさかそんな本に引用されるなんて思ってなかった。
読んだ。とても面白かった。良かった。別にアカデミックに裏打ちされた何かがあるわけではない。文体も軽快で、コラムみたいなものだ。ただ、1989年生まれの自分にはわかりえない生前から幼少期にかけての時代の「雰囲気」みたいなものはひしひしと伝わる。
クリスマスやディズニーランドが神聖化されていく渦中にいた人間の体験記として、平成生まれの人間が読んでおいて確実に損はしない。
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本書は,80年代から90年代にかけて,若者がいかにして消費社会に組み込まれていったのかを,クリスマス,ディズニーランド,マンガ,トレンディドラマなどいくつかの事例を挙げて分析したものである。
現代の若者を覆う閉塞感の根源が,この時代に形作られたとのこと。テーマはシリアスだけど(それにしても本のタイトルは大袈裟すぎかな。)着眼点のユニークさと文章表現の巧みさに感心しながら,あっという間に読了できる。また,著者の実体験を踏まえて綴られているため,当時の浮き足だった空気がありありと伝わってくる。
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もはやインパクトのあるタイトルで勝負!ってのは新書界での常識なのでしょうか。
非常に社会学的で、各年代の若者たちを追った内容は単純に興味深かった。雑誌アンアンの1983歴史的宣言が、クリスマスを「パーティー」から「恋人たちの夜」とするクリスマス・ファシズムの走りだとか。ホームドラマが衰退し、トレンディドラマが台頭してきたあたりに若者はアウトドア派(サーフィン、スノボ)とインドア派(オタク)に二分されたとか。1997年、若者が携帯電話で覆い尽くされてしまったとか。例を挙げたらキリが無いのだが。
自分のお誕生日に、いったいいくつメールが来たか。そのメールの数で「いま存在する世界の中で、あなたの誕生日を覚えていて、祝ってくれる気持ちのあったすべてのひとの数」が示されるのだ。逃げようがない。来てない人は、誕生日を知らないか忘れたかどうでもいいと思った人なのだ。それがきちんと数字になって示される。
こういう考え方をすると本当に生きにくい感じがする世の中。携帯電話を破壊して、ようやく世界と繋がったってうたってたのは誰だっけ。
最後までしっかり読めば、何故「若者殺しの時代」なのかわかる。平易な文体なので読みやすい。首尾一貫しているとは言えないがそこはご愛嬌。最後に「戦う」か「逃げる」かという選択肢が提示されているが、「ニート」とは逃げようとして現代に捕まってしまった若者たちの総称らしい。この本によると。
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若者は消費に絡めとられることによってオトナ達に搾取されていると主張する内容。
年代別の描写は良かったけど最後に説教されたので気にくわなかった。若者よ逃げろと説教された。実際に逃げ出した団塊世代の前後の信念のないふわふわとした軽薄な行動を見ると同じように逃げる気にはなれない。同じ失敗はしない。
どれだけ今の団塊世代の前後が軽薄でアホなのかが分かる本。消費しかせずに何も生み出さなかったことがこの本を読めば分かる。
でも40代以上とか世代で区切るの良くないな。これでは批判しているオトナと一緒になってしまう。
世代ではなく時代ごとに形成される同調圧力としての空気が諸悪の根源だね。空気じゃ説明つかないから世代や誰かのせいにしたがるんだろう。
そう考えみると団塊の世代前後がアホだったと収斂される世代論ではなく、この本に描写されているのは空気だった。つい世代や時代のせいにしてしまう同調圧力としての空気だった。