紙の本
田舎の人が純粋で親切……てのは誤解。国民が善で官僚が悪……て考えるのと同じにね。誰だっててめぇが一番かわいいモンさ、カッハッハ
2008/06/13 22:43
9人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:鳥居くろーん - この投稿者のレビュー一覧を見る
まずはこの本を紹介してくだすった塩津計氏に感謝。
食糧自給率、食品の安全性、農村の過疎化……最近よく聞くキーワードだ。しかしこれらはあまりに誤解されすぎている。農業者の端くれとして、この風潮を正したい、などと思っていたのだが……そういう私も農地という存在の特殊性とそのカラクリについては、まったくもって無知だった。
儲かるはずのない農業を形ばかりでも続けている、あるいは続けようとしている零細農家……もちろんそれは体面を守るためであったり、土地への愛着であったり、あるいは惰性であったりもするのだろうけれども、もうひとつ、大きな経済的要因が隠されている。それが何か……というのがこの本の骨子。
優良農地を持つものほど農業にやる気がない、というのは陰ながら(多分、いくらかの嫉妬をともなって)ささやかれていることであり、今の農業の現実でもある。郊外のあまりにやる気のなさすぎる小麦畑や大豆畑なんかを見て、昔はいぶかしんだものだけど、今にして思えば「ああ、なるほど」というところだ。
その辺のことを詳しく知りたい方はこの本を一読なさるといい。テレビや新聞では少しも語られない真実を知ることができる。もっとも、これを解決すれば日本農業は復活できるかといえば、そうでもない気もするが。
ま、でも、しっかし。
日本人は幸せだと思うよ。コメを毎日食べられる。本来高級品の肉や魚だって毎日食べられる。かつて貴重であった油や塩、砂糖も使い放題。そして世界一安全な水、これも使い放題。
こんな幸福はこの世にないね。こんな贅沢しておいて、このうえ安全・安心だって?……そりゃちょっとワガママにすぎるってモンじゃない?
今あるものに素直に感謝しようよ。
★ぶっちゃけ内容紹介
一・二章 食に対する誤解について:日本の食を乱したのは消費者自身
三章 農協について:護送艦隊JA
四・五章 農地と政治について:農地規制のカラクリ、大規模農家が育たん
六章 企業の農業参入について:規制緩和は誰のため?
七章 日本農業の国際的開放について:国際化すべし
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地権者エゴへの迎合という馴れ合い的農地政策で自滅へ向かう日本社会の構造的欠陥を検証する。日本の農業問題とは利益誘導型の土地利用方法であり、食問題とは利便性を重視した消費者市民の責任放棄であるというところから、食と農を通して日本社会全体を眺める。
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いやー、重たい本である。
重量もそうであるが、内容も、重たく、深く。
2007年に読んだと思うが、日本の農地に関することが、戦後の農地解放から詳細に書かれていた。この本を読んで、「先祖伝来の土地」といわれている言葉の裏腹と、人の記憶、常識というのは、わずか数十年、短ければ数年で醸成されるものであるということが、よくよく認識できた。
常識を疑ってかかれということが、この本によって、私の中でさらに裏付けられることとなった。
JA、農協についてもよく知らなかったが、この本を読み終えるころには、なるほどと思えることばかりで、日本の農業に対する見方が変わるとともに、日本の農業の必要性を再認識できると思う。
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悩ましく苦々しい農政という現実からこつこつ紐解く神門さんの論点から浮んできたのは、畑を耕す人が、汗をしてひたむきに土に向き合い働く姿だ。働かない土地持ち非農家がいない農地。その場所から、海のようにみんなから愛され、作物がそよぎ流れる畑が広がる情景が浮び出てきたのだ。とても素朴に、難しく考えなければ、畑も豊穣の海なのである。涙することのできる風景なのである。
耕すことで無から有を生み、国民のかけがえのない食を保障する農地というものは、国民のみんなから愛されて、その信託を受けて、農業者に預けられている。と考えると、少なくとも農業者は、土地転がしなんぞ考える不純な輩であってはならない! その信託に誇りを持って応えたい、という社会的な責任感と生きがいを持つ人から選抜されるべきだ。少なくとも全耕地面積の半分ぐらいはないと信頼されないんじゃないか。WTOだ規制緩和だと騒ぎ、同時に自給率50%など矛盾を抱え込んでいる今の日本で、その内実が土地転がしの耕作放棄となれば、国はどんな説得力も生むことが出来ずに総崩れ、この食料争奪の時代に、働かない農民が増えて自給も出来ず、かといって外国からも売ってもらえない総崩れの状況になっちゃうんじゃないか。
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神門さんのヒット作。個人的には受け入れがたい提言や主張が散見されますが,良い意味でも悪い意味でも刺激的かつ参考になる良書でした。是非読んでみてください。"
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本質を見抜く力―環境・食料・エネルギー (PHP新書 546) (PHP新書)で紹介されていたので、勢いで注文した本です。アワードものということもあり、現状分析、過去の分析は非常に面白く感じました。特に高度成長期の農協の役割と得た対価についての考察や1990年代以降の農地自由化論の後押しとなったのはだれが得をする構造だったのかというあたりは勉強になりました。残念だったのが未来への提言。若干「東アジア共栄圏」、「日本の侵略の贖罪としての途上国支援」「インテリは左派でなければ」「豊かな国は資金拠出して当然」「日本人がは外国人犯罪もコストとして受け入れねば」といった若干偏った考え方をベースに将来像を提示しているため「我が国にとってのメリット」が大きく劣後してしまうのではないかという懸念を抱かせるとともに、それを払拭する明確な論拠が書かれていない点でしょうか…。1962年生まれなら仕方ないかなぁ…。
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日本の食料・農業問題の根っこは農地の転用(公共事業や大手スーパーの出店)にあり!転用狙いのエゴまる出し農家に責があるのか、票田として癒着する政官業に責があるのか…。どっちもだな。
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・食の安全を叫ぶ前に食に対する基本的な知識を
・行政任せにするな
・JAはもはや役目を終えているが,零細農家の組織票のために生き延びている
・やる気のある農家が土地を使えず,零細農家が転売目的で荒れた土地を放置
・食糧自給率を上げる必要はない
-食料輸入が出来なくなる状況は存在しない
-近隣国家と協力して食物の相互輸出・輸入を行うことが食料安定供給につながる
-日本の技術の積極輸出を
・ルールをしっかり作った農地所有の規制緩和を
・異質性を受け入れる
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市民社会の成立が成されていない日本の社会に問題があるという目からウロコの議論。この問題は農業に限ったことではなく、むしろ日本社会の問題点を農業分野で炙り出してみただけなのかもしれない。
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[ 内容 ]
すさむ食生活、荒廃する優良農地。
明るい未来への処方箋を探る。
[ 目次 ]
序章 日本の食と農
第2章 食の議論の忘れもの
第3章 迷宮のJA
第4章 農地と政治1(農地問題の構造)
第5章 農地と政治2(農地政策の行く先)
第6章 企業の農業参入?
結章 明日の食と農を見据えて
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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ホントにこの人大学教授?
知的さが足りないというか癇に障る文章。特に「食」の分野について??な議論が多かった印象。
戦後の農政の流れについては、非常に参考になった。
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出だしから、雷おやじに怒られたような気分になりました。「イメージ」に弱い、その通りだなぁと頭をうなだれながら。
食の安全と安心についてニュースを聞くたびにしっくりこないものを感じていましたが。メディア、自分などをもう一度みつめなおすにはとても良い本です。
丁度、原発の事故で、農業のことがニュースで話題になっていたと思います。そのとき、JAが代表して賠償などにおついて話していることに、自分は疑問を持ちました。すべてはJAに集約されているのか?JAに加入していない農家はどうしているのか?どうやったらわかるかわからなかったのですが。この本を読んでいて、もう少し視点を変えた見方を考え始めました。著者のおっしゃることをもう少し考えてみたいです。
また、JAの農業体験のページを見て面白がっていましたが、いろいろ考えなおし始めました。農業は楽しむものではない、そのことも認めなければならないでしょう。興味を持つきっかけも大事だとは思いますけどね....。
安心安全についての考え方も、「ただちに影響あるものではありません。」というのは、何とも言えない気分になるものですが。もっと根の深い問題なんだなと改めて認識しました。
自分の結論はまだです。
昔と同じ生活を求めるのも難しいとしたら。核家族化・都市化をみとめて、あるべき姿を模索できるでしょうか。"家で作らないから"っていうのが、本当の問題なのかわかっていません。私の中では、相方君は「食を共にする人」という位置づけて、料理はそれなりにしていますけど。
ただ、労働に対して、適正な評価がない、それだけの対価を払われていないとは、常に感じています。自分のいいと思うものがなくならないように努力していきたいと思います。自分の愛するさまざまなもの...。
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「安全面から食への意識が高まっているというが、誰が作ったかわかれば安心なのか?国産なら安全なのか?食べ残しを捨てまくっておいて意識が高まっているといえるのか?」…ごご、ごもっとも。
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農業経済が専門の筆者による,ほとんどの人に耳が痛いであろう農業論。市民に寄り添うマスコミではタブーとされている,しかし極めてまっとうな持論を遺憾なく開陳。特に被害者を装いたがる消費者とそれに迎合するマスコミへの苦言は傾聴に値する。
農業経済の仕組みや改善すべき点にも触れられるが,「食の安全」を叫びつつ,手軽な外食・加工食品に流される消費者のエゴを何とかしないと,根本的解決は望めない。私権の主張と参加型民主主義はセットなのに,西洋の猿真似で,前者だけを導入してしまった戦後民主主義の失敗が痛い。「政府が案を出して対策してくれ,我々は私権を振りかざして文句を言うから」
「食の安心・安全に関心が高まってきている。」なんて,最近マスコミでよく言われるが,筆者によると,同じことがもう三十年も前から言われ続けているそうだ。食の安心・安全がなぜ確保されないのか,その答えを多くのマスコミは,官僚,農協といった権力側の不作為に求める。産直や有機栽培のとりくみも,昔からちょくちょく取りあげられてきているが,なかなか広くは根づかない。答えがみつからないのは,世論を形成すべきマスコミが,農水省や農協をバッシングすることに汲々として,消費者の責任を問わないからである。その上,多くの研究者がそれに荷担し,消費者はその居心地よさに安住している。おまけに,政府や農協はバッシングを組織防衛に利用する。
日本の食,日本の農業をこんなにしてしまった主犯は,消費者と農家のエゴであると著者は言いきる。安きに流され,批判ばかりで積極的に政治参加してゆかない消費者の意識を変えることこそ重要である。健康に関心が高いといいながら,手軽さやおいしさを求めて,外食や加工食品で食事を済ませてしまう消費者が多い。その行き着く先は,バッドフードによって肥満が蔓延したアメリカの低所得社会である。
国土が狭い上に山林の多い日本では,優良農地は転用にも適している。それなのに,農地規制の不在による転売への期待があるため,相続などで耕作意欲をなくした農家も,農地を手放したり賃貸したりはしたくない。自然,耕作放棄地が増える。
よくマスコミで言われるように,不便で狭小な農地が耕作放棄地になるのではない。道路からのアクセスもよく,一筆の区画もきれいな優良農地が耕作放棄されるのである。転売・賃貸すれば宝くじを失うから。その結果,農業経営に長けた農家に優良農地が回らない。市場原理がはたらかず,大規模農家は育たない。
伝統,愛着という大義名分。しかし,本当の動機は経済的なもの。どんな伝統も,経済的動機がなくては続かない。著者が懐かしむ振り売りが衰退したのも時代の流れでいたしかたない。歪んだ農政を正し,経済的に合理的な農業に変えていかなくてはいけない。
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親戚に農家の人がたくさんいて小さい頃は手伝いをさせられたりもしたので、農業にはそれなりに意識を向けてきたと思う。そして昨今の不況に絡む農業ブーム。欧米に比べた日本農業の特徴として、1件当たりの作付面積が小さく規模の経済が働きにくくてコストが高くなる、という事があるのだから、耕作地を集約して農機への投資を低く抑えるようなシステムを作れば良いのに、とずっと思ってきた。でも、先祖伝来の土地を手放すのは嫌なのだろうし、農機の共同利用は誰が先に使うかでケンカになるし、村社会でよそ者を排除しがちだし、なかなか簡単にはいかないのだろうな、とも思ってきた。しかしこの本は、そういう思い込みをぜーんぶ、打ち砕いてくれた。
日本の農政に構造的な問題があることは間違いないことだと思う。実際、この本の中盤以降も、そういった問題点を一つ一つ明らかにして行っている。だが、そういった構造的問題が許されてきた原因は、消費者のエゴや地権者のエゴにある、と著者は言う。こういった場合、普通ならば行政の責任を追及するのが常道なのだが、あえて、普段は守られる側の消費者・地権者を断罪するのだ。
戦後の農地改革により、日本には作付面積の小さい零細農家が数多く生まれた。そして高度経済成長期。急激な工業化により都市部の労働者の賃金が上昇することで、農村部との所得格差が問題になってくる。ここで取られた対応は大きく二つ。JAを通じた国からの補助金による所得再分配と、兼業化だ。この対応はおおむね成功し、所得格差は無くなるのだが、これらの仕組みは以後も継続してしまう。その結果起きるのが、零細農家の農政への影響力の増大と、耕作放棄地の増大である。
JAが選挙の集票システムとして機能してきたことは周知の事実。そのJAの組合長選挙などの選挙権・被選挙権は組合員にあるのだが、組合員になるにはほんの少し農地を持っていればよい。加えて、権利は農地の広さと関係がないため、数の多い零細農家の意見が農政に反映されやすくなる。まあこれだけならば特に悪いこともないのだが、もう一つの現象と絡むと途端に悪い事が起きる。
兼業化は、副業の主業化を引き起こす。零細農家はまじめに農業をやる必要もなくなり、耕作放棄状態になる。この状態は、JAや地域の農業委員会の指導対象なのだが、農業委員会のメンバーは地元の人。しかも、民主主義の結果として、同じ状態にある零細農家の代表が多いので、見て見ぬふりが多くなる。
これを助長するのが、もし高速道路などの公共事業用地に指定されれば耕作放棄地が大金に化けるという事実である。農業をやりたいと思っている人は耕作放棄地を借りて大規模農業をしたいと考えているのだが、貸出中に公共事業が誘致されたりすると売り抜けられないから、地権者は農地を貸したがらない。零細農家はまじめに農業をやらない方がもうかるシステムになっているのだ。
都会の消費者も無農薬農法に関心があるなんていうけれど、実際に雑草取りを自分がやらなければならないとなると、農薬をまきましょう、となる。見かけが悪くても買います、なんて言っていても、実際に見かけの良い商品と悪い���品があれば、見かけが良い商品ばかりが売れて悪い商品は廃棄されることになる。こうしてコストは益々上がり、価格競争力はより低下していく。
最近、アグリ・ビジネスという様な言葉により、農業がはやっています。定年後の第二の人生として、農業を志す人も多いようです。また、政治の世界を見れば、個別所得補償という様な、農家支援政策が議論されています。
しかし、そもそもどうして農業が衰退したかを考えてみたことがある人は少ないのではないでしょうか?ここには、理想論だけからでは見えない、きわめて現実的な選択による農業衰退の歴史が見えます。
この本を読むとき、読者は傍観者ではいられません。誰もが当事者の位置に引きずり出されます。そんな農業の真実を知りたい方は、ぜひ読んでみてください。