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紙の本
大人になった瞬間を覚えていますか?
2007/04/18 21:56
4人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:じゃい - この投稿者のレビュー一覧を見る
いたい。痛くて続きが読みたくない。でも、もしかしたらラストではこの痛みが解消されるのでは。そう思いながら読んでいた。
七竈は母親がいんらんなためとても美しく生まれてしまった。
七竈の母親である優奈はある日突然、辻斬りのように男遊びをしてみたいと思った。
それまでの穏やかなふわふわとした白っぽい丸の存在であった自分を変える手段として、男遊びを真剣に選んだ。
そして辻斬りのように七人の男と遊び、妊娠した。
七竈の生まれた田舎では、過ぎる美しさは呪いでしかない。
同じく美しすぎ異質である少年、雪風。七竈と雪風は鉄道模型が好きだ。異性などどうでもいいんだ。鉄道模型のほうがよい。
美しく生まれてしまった七竈という少女はかわいそうな大人たちと関わり、大人になっていく。
大人になるには痛みを乗り越えなければいけない。なんだその夢見がちな大人発言は・・と普段なら思うことを考えてしまった。
七竈はいろいろな痛みに出会う。
私はいつも季節の変わり目があまり実感せず、ふとあ、暖かい。春なのだ。と突然、季節が変わる気がする。
私のなかでは、大人と子供の変わり目も同じような気がする。あ、自分は子供ではないのだと思った時が境ではないだろうかと。
七竈にとっては、気づかない振りをずっとしていたのに、気づいていることを認めてしまった瞬間かもしれない。
本の帯に書いてあった『圧倒的に悲しい』という言葉がとても納得がいく。
この本を読んで、大人になるってなんだろうと考えた。痛みに鈍化していくのだろうか?
十七歳の七竈のような繊細さはなくなってしまったのだろうか。
ただ、七竈と関わっている大人たちはみな痛みを抱えている。そして自分も。
まだ答えは分らないけど、痛みに鈍化するのでなく、痛みを内包していくような気がする。
ふと以前に、テレビかなにかでみた老人介護の人の言葉を思い出した。
『老人は赤ん坊と同じ。人は最後は赤ん坊に戻っていくのだ。』
別に死後の世界等を信じているわけではないが輪廻転生、全ては巡っているのかもと思う。
痛みを感じた七竈には自由が待っているのかもしれない。
紙の本
美しき日々に さようなら
2008/12/01 09:53
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:空蝉 - この投稿者のレビュー一覧を見る
なんて美しいタイトルの響き!可憐な表紙絵! 興味をそそる帯(笑)
静謐なタッチの美しい少年と少女が 真っ白な雪の中に向き合い座っている。そして二人をつなげる七竃の赤と紅のマフラー。
この表紙絵がそのまま内容を表しているような素敵な装丁で、中身も期待を裏切らなかった。
口語でなくてお姉言葉的な文語調。絶世の美少女と絶世の美少年が 田舎の閉じた町にまるで異質なもののように存在している。ただそれだけでもう、物語は始まってしまう。
時代は昭和初期だろうか? なんともレトロなアンニュイな雰囲気が充満していたはずなのに、子供(七竃)の時代になると、急に現代じみてくる。
しかも彼女七竃だけは それでもずっと昭和臭さをのこしているからその美しさと異質さがいやおう無しに際立つのかもしれない。
そもそも七竃の母が突然憑かれたように男を襲い・・・もとい、関係を持ち始める。片っ端から、7人の男と。しかも決して満たされない関係を。「淫乱」と銘打たれる彼女はそれでも自分の中の何かを満たそうと、男に狂う。
彼女の隣の席で同じ教員を務めていた 平凡そのものの男を横目に
彼女は辻斬りをする。何を切るかって、男を、だ。
彼女に似つかず絶世の美少女に生まれたのが七竃で、この辺鄙な田舎ににもう一人同じく生まれついた鉄(鉄動マニ)仲間が絶世の美青年・雪風だ。
あまりに美しく、近寄りがたく、似すぎたその容貌は、田舎という閉じた小さな世界では共に生きられぬ残酷な運命しか待っていない。
成長は二人に呪われた出生を突きつける。
「おとなの男たちからじろじろと眺めまわされるたびにわたしは怒りをかんじる。母に。世界に。男たちなど滅びてしまえ。吹け、滅びの嵐。」
ただ自分の容姿について怒りすら覚えるほど男嫌いな七竃の孤高な告白かと思われたこの文も、読み終えた今、わかる。
七竃はどこかで感じていたのだ。自分に流れる血が、淫乱な母の血であり
自分はこのちっぽけな田舎世界で、ひっそりとは生きていけないのだと。
これは、因果応報、母の淫乱の、報いなのだと、思っているのかもしれない。ただ雪風さえいればそれだけでと願うのにその容貌(かんばせ)はそれすらも許さない。
最後の言葉は「さようなら 雪風」なんて切ないなんて痛い!
するりと突然終えるこの物語は少女時代のそれと似ている。
いつだって、切なく哀しくに非情に、少女時代は女を置いて過ぎ去ってしまうのだ。
紙の本
あの日との決別
2007/12/11 20:19
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:はぴえだ - この投稿者のレビュー一覧を見る
せつない、むくわれない恋物語だ。
自然に息をするように、水を飲むように。
知らず知らずの内に、すきになっていた。
けれど、それは許されぬ恋。
閉塞感の中に、ほろ苦く、甘い時間。
目醒めた時、一人は狂ったように誰かを求め、もう一人は……。
せつないのに、くるしいのに、淡々とせかいは描かれている。
青春の終焉が見事に表現されている。
時には色鮮やかで、時にはユーモラスで、時には詩的で、幻想的で。
絶妙なバランスの上に成り立つうつくしさがそこにはある。
この作品は決して幸せな物語ではない。不幸な話といってしまっても過言ではない。
それでも、私たちに伝えてくれる。さよならを告げる勇気を、強さを。
未来は私たちの手の中にある、と。
簡単に壊れてしまいそうな中に、力強さを感じさせる不思議な作品なのである。
紙の本
昭和の母、平成の娘
2007/05/05 15:35
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
CLAMPの作品中の台詞回しを思わせる、しかし、端整な文体でつづられた物語。
母の若き日の必死の試みの結果が、娘にとっての試練となり、そして同時に未来への力にもなっていく。
母と娘との葛藤という普遍的なテーマは、筆力によっては限りなく、つまらなく、あるあるネタにさえもならない。
筆者は雪、花、犬、鉄道、カメラなどの落ち着いたオブジェを配した風景画のなかに小さな、しかし、しっかりと人物を描き込むように、七竈という少女と人々を配置して、このテーマを表現した。
重要で普遍的なテーマは同時に平凡な形をとる。
その平凡さの中の輝きと闇を汲み出すこと。
若々しい、切ない、そしてプロフェッショナルの作品だ。
紙の本
ようやく落ち着いた気分になれた
2006/10/09 22:34
2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:くまくま - この投稿者のレビュー一覧を見る
「七竃がそんな顔に生まれてしまったのは君の母がいんらんだからだ。」美しき少年雪風は、同じく美しき少女七竃にそうつぶやく。これは切ないほどの祈りを込めた言葉。
雪が降ればすべてが真っ白に染まってしまう小さな町。その町の中にある小さな家の薄暗い居間にある世界。自分たちを乗せて走る鉄道模型。年を経るごとにだんだん拡張されていく線路だけれど、それは閉じていてどこにも飛び出せない。ただぐるぐると回るだけ。しかし、時は無常にも流れ、春が来れば覆い隠されていたものは再び姿を現す。そしてそれは小さな世界を絶望的なまでに破壊しつくしてしまう。
うつくしきかんばせを覆い尽くす黒く長い髪は、自分を襲う呪いへの抵抗。それを切り落とし、鏡にうつし出された血の呪いから、少女は解き放たれる日はくるのだろうか。新しい土地で小さな白い花が咲く日が。
紙の本
しょっちゅう旅をしながら心残りを故郷に残す母 鉄道模型で遊びながら外へ出ていかざるを得ない娘
2011/12/15 23:37
1人中、1人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:星落秋風五丈原 - この投稿者のレビュー一覧を見る
「辻斬りをするように男遊びをしたいな、と思った。ある朝とつぜんに。そして五月雨に打たれるように濡れそぼってこころのかたちを変えてしまいたいな。 (P4) 」
辻斬り、とはこれはまた意外な比喩だ。普通女性が描くセックスといえば、男性に抱かれて暖かく優しい気持ちになるもので、“辻斬り”という言葉が持つイメージとは程遠い。しかし、この言葉をつぶやいた女性・優奈は、まさに辻斬りのように、七人の男達と関係を持つ。そしてあげくに妊娠して子供を産むと、語り手たる位置をあっさり美しく生まれた娘に譲り渡して自分は旅に出てしまう。「いったいどんな家庭に生まれ、何をしている女性なのか?」といぶかりそうだが、優奈は母親に厳しくしつけられて育ち、学校の教師として25歳まで働いてきた女性だ。
さて、その母はしょっちゅう旅に出ていて娘を省みないが、実は彼女の心はいつもひとところに留まっている。そもそも、そのひとところを忘れようと「辻斬りに。辻斬りになるのだ。男などどれも同じだと思いこむまで、けして立ち止まるな。からっぽだ。からっぽになるのだ。立ち止まるな。けして。特定の誰かのことなど、けして考えるな。 (P223) 」こう自分に言い聞かせている。
それとは対照的に、彼女の娘・七竈は、その身は旭川に留まっているが、様々な国を旅する鉄道模型に夢中だ。だが、彼女は、昔から愛してやまない雪風と、いつまでも共にはいられない事情がある。物語を追うごとに二人の複雑な関係が明らかになってゆき、愛しあいながらも離れなければ生きられない男女の悲劇性が一層際立ってくる。
「雪風と出逢わせ、引き離し、わたしをこの町に引きとめていたあのいんらんの母を。もしも、もしもゆるせたらですね、ビショップ。そしたらわたしは、自分をすこしだけ、上等な人間のように思えるでしょう。 (P213) 」全ての原因である母への複雑な感情に悩んでいた七竈に、ある女性が告げる言葉「女の人生ってのはね、母をゆるす、ゆるさないの長い旅なのさ。ある瞬間は、ゆるせる気がする。ある瞬間は、まだまだゆるせない気がする。(P267) 」は、よしながふみの『愛すべき娘たち』の最終話に出てくる「母というものは要するに一人の不完全な女の事なんだ」という台詞と似通っていると感じた。
ミステリーとして、また、七竈と雪風の成長物語として、或いは、七竈とアウトサイダーである母親との相克の歴史を綴った物語という幾通りもの貌を持った興味深い作品であった。