紙の本
系統樹の木の下で
2006/09/03 18:43
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:オリオン - この投稿者のレビュー一覧を見る
実によくできた書物だった。すべての頁をいろどる活字と図版と空白、それらを縁どる夥しい引用(この引用の的確さ、技と趣向の鮮やかさは本書の最大の読み所のひとつである)まで含め、細心かつ大胆な三中ワールドがひろがっていく。
まず、それ自体として読むに値する詳細な目次が素晴らしい。そこに鏤められた「正しい名前」をつないでいくだけで本書の骨格が炙り出されていく。たとえば「歴史」としての、「言葉」としての、「推論」としての、そして「説明」や「仮説」、「モデル」としての系統樹、等々。
巻末に目をやると、本書「に」学び、かつ本書「で」学ぶための導きの糸となる懇切な文献リスト(ダーウィンの「読書ノート」に拮抗しうるミニ書評集!)がついている。工夫のあとがうかがえる丁寧な索引がついている。これらの書物や項目の関係をうまく図示していけば、本書の見取り図を示すツリー、いや本書を起点もしくは基点とする無尽蔵の刺激に満ちた知のネットワークを設えることができる。
なによりも、本文の練り上げられた構成と叙述のスタイルが素晴らしい。読み手の側の事情を忖度し、著者はときに自らの来歴を語り、身辺雑記を織り交ぜつつ、ひとつの概念が読者の脳髄のうちに沈澱していく時間を正確に測定しながら、ネットで鍛えられた健筆をふるっている。二つのエピソードからなるインテルメッツォをはさんで、同じ話題が反復、進化、深化されていく。書物もまたそれを読む時間を通じて生成し進化することを、読者はそれこそ身をもって、息継ぎと深呼吸を繰り返し、ときに息をのみながら体得していく。
《経験科学としての「歴史の復権」──それは、歴史は実践可能な科学であるという基本認識にほかなりません。そして、その実践を支えているのは系統樹思考であり、一般化された進化学・系統学の手法です。
進化生物学はダーウィン以来の一世紀半に及ぶ道のりの末に、人間を含むすべての生物を視野に入れるヴィジョンをもつにいたりました。それは同時に、関連諸学問をこれまで隔ててきた「壁」をつきくずす古因学を現代に甦らせ、さらには、科学哲学と科学方法論の再検討を通じて歴史の意味そのものをわれわれに問い直させました。これこそが「万能酸」(ダニエル・デネット)としての進化思想が諸学問にもたらした衝撃だったのです。》
──世界は一冊の書物である。この書物はある図形言語で書かれている。その言語の名を系統樹という。世界は系統樹思考(進化的思考)に基づく推論(アブダクション)を行っている。推論の結果、世界は生成進化する「もの」と「こと」で満ち溢れる。その「もの」や「こと」のうちに系統樹は入れ子式に挿入されているが、その「こと」を知る「もの」はいない。あるとき、世界のなかの一存在者であるヒトの脳髄のうちに世界が折り重なり、歴史が復元される。そのとき、世界は自らを知る。
この世界は「分岐」だけではなく、「分岐と融合」からなる高次の構造をもつ。系統樹すなわち分岐による階層構造のツリーから、分岐と融合による非階層的な系統ネットワークへ、さらには「系統スーパーネットワーク」へ。この第4章の最終節における「高次系統樹」をめぐる議論は、人間の「思議」を超えた世界の実相へと迫っていく。そこにおいて、局所は全域と一致し、未来と過去が連続するだろう。
紙の本
楽しくて為になる,万人にお勧めしたい……って本ではちとないけれども
2008/04/19 06:20
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:SnakeHole - この投稿者のレビュー一覧を見る
さて皆さんは「科学が科学であるために必要な5つの基準」ってご存知だろうか。いわく,
(1)観察可能であること。
(2)実験可能であること。
(3)反復可能であること。
(4)予測可能であること。
(5)一般化可能であること……。
そらそうだ,と思いました? そう思っちゃうと,歴史学とかは「科学ぢゃない」し,突き詰めるとダーウィンの進化論も「科学的ぢゃない」つうことになるんですよ奥さん(奥さんって誰?)。
もともとはバイオメトリクス(……横文字ぢゃなんだかよくわかんない? 漢字で書くと生物測定学,やっぱりわかんないか。まぁご安心を,オレもです)の研究者であった著者は,そのあたりから筆を起こし「進化生物学が科学ぢゃないなんて,そりゃ基準の方が間違っとるよ」とばかりにちゃぶ台返しを敢行,演繹と帰納という古典的な2つの推論スタイルに対し,エリオット・ソーバーが1996年に提唱したアブダクションという「第3の推論スタイル」を導入する。「より良い系統樹を探索する」ことも科学足り得ると……。
はぁはぁ,実を言うとここまででやっとこの本の内容の半分くらいなのね。あとがきにちょっと言い訳があるけど,確かに「詰め込みすぎ」ってとこはあろう。が,その「ぎゅうぎゅうに詰め込まれている」のが本書の魅力でもあるんだよね。Timesフォント歴史から生物体系学論争,オッカムの剃刀に新世紀エヴァンゲリオンまで出てくる,楽しくて為になる,万人にお勧めしたい……って本ではちとないけれども。
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系統樹思考の世界 /三中信宏分野枠を越えた分類という営みについて 。従来のスタティクな分類ではなく多次元ネットワークとして、演繹や帰納の「真偽」 ではないデータと対立仮説との比較という認知心理学的手法(アブダクション)を使った進化する「最良の仮説」系統樹思考の概要。多様な対象物に関する鳥瞰図を与えると同時に、相互比較のための足場を組み立て、そのような多様性が生じた因果に関する推論を可能にし、対象物に関する様々な知覚体系化と整理を目論む。
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系統樹の性質を明らかにするのではなく、関連性のあるモノゴトを調べている学問の紹介と、ネットワーク(理論)の解説。
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帰納でも演繹でもなく、データからもっともよい理論を推測するアブダクションという説明がとてもわかりやすく、歴史は科学かという問題も興味深かった。
ただ、若干内容が散漫になってしまったのが残念。
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系統図を作るとどこでとめればいいのか迷うときがあり、この本を読んでみました。
思考法を丁寧に書かれていますので、ちょっとしたことに使うには十分なないようです。
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境界知のダイナミズムで瀬名さんが紹介していたことがきっかけで読んだ本。系統樹思考は,ものごとが変化していくすがたとそのダイナミクスをとらえるための技術として,これから重要になってくるだろうなと感じた。
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読む前: 『分類思考の世界』第4章にでてきたabductionの参考文献に挙げられていたので読んでみたい。
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2010 5/19読了。ACADEMIAで購入。
生物学についての紹介書かと思って読み始めたら、その名の通り思考法としての『系統樹思考』についての本であった。
なんとなく気になっていたがよくわからずにいたアブダクションについての説明もあり、自分の分野に比較的近い科学哲学についての言及もありと、思ったよりもずっと身近なテーマについて書かれていた。
『分類思考の世界』も買ってきたのでそちらも後で読む。
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[ 内容 ]
科学としての歴史の復権!
失われた過去をいかに復元するか?
系統樹はことばです――
新しい「ことば」を身に付けることはいつでもわくわくするものです。
これまで読み書きできなかった系統樹という「図形言語」が使えるようになれば、自分の視野が広がるから。
[ 目次 ]
プロローグ 祖先からのイコン―躍動する「生命の樹」
第1章 「歴史」としての系統樹―科学の対象としての歴史の復権
第2章 「言葉」としての系統樹―もの言うグラフ、唄うネットワーク インテルメッツォ 系統樹をめぐるエピソード二題
第3章 「推論」としての系統樹―推定・比較・検証
第4章 系統樹の根は広がり続ける エピローグ 万物は系統のもとに―クオ・ヴァディス?
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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文章がわかりやすい。かなり好きなボキャブラリー。静的な分類とは"本質的に"異なる、時間依存性を内包する思考方法。
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歴史は科学なのかという問いから始まります。繰り返し実験が可能な物理学などの自然科学と比較すると、歴史を科学とみなすことはそう簡単ではありません。本書は系譜を探求する(アブダクションする)ことをもって科学的な主張であるとみなそうと哲学的な立場に立っています。そういった立場を認めることで古生物学や進化学も科学となるということでしょう。このような考え方は決して新しいわけでなく様々な分野で普遍的に用いられてきたことを著者は指摘し、これを分類思考に対して系統樹思考と呼んでいます。
著者が面白いと思っていることと私が面白そうだと思うことに多少ズレがあるようで、どうも楽しく読めませんでした。図が不鮮明なのもちょっと。
文献リストはなかなかよさそうです。まあまあ毒舌。
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全般的に言って進化生物学の本だが、「系統樹」という発想は、生物進化に限らず、言語や写本の歴史などと関わり、決して生物学だけのツールではないと指摘している。第一章は進化=歴史が科学になり得るのかという問題を設定し、演繹・帰納だけでなくアブダクション(妥当な説明の推定)も科学の方法なのだと主張し、物理学などをタイプを扱う科学、進化論をトークンを扱う科学とする。第二章は系統樹の歴史をふり返り、ルルスなど中世の学問分類やヒューエルの古因学、現代の「系統樹革命」に及ぶ。三章・四章が系統樹の書き方である。基本的には点・辺・根を想定し、合流不能とするのが系統樹である。つまりネットワークの特殊例だ。系統樹が妥当がどうかは、分岐を起こす変化の回数が最小になるかどうかで判断するが、可能な系統樹は点の数に応じて奇数をかけていくように増えるので、総当たりで判断するのは不可能。初期値をあたえて探索的にさがす。1970年代にネルソンとプラトニックが系統樹の数学理論をつくった。早田文蔵の「動的分類」や中尾佐助の業績、ネットワークジャングルやスーパーツリーについても触れている。
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博物的で教養のある文章なのだろう。でも、内容があんまりない。系統樹はなにかをするための道具?それ自体高価で、重要で研究対象となり得る道具?と書きたいけど、stringもそうだし、結局、おもしろいもので、その面白さに共感してくれる人がどのくらいいるかということか。でも、人数だけなら、stringとかは少ないから、どうなるのか?潜在的な面白さを感じる人が、過去、未来でどのくらいいるのか?という問題か?
究極の理論としては、少なくないくらいにはいるね。
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「哲学は、哲学者と呼ばれる一風変わった人々による深遠な学問的練習などではない。哲学は日々の文化的思想や行動の背後に潜んでいる仮定を考察するのである。われわれが自らの文化から学んだ世界観は、ちょっとした仮定に支配されている。そのことに気づいた人はほとんどいない。哲学者はこうした仮定を暴き出し、その正当性を検討することにある」(デイヴィッド・ザルツブルグ『統計学を拓いた異才たち』371頁)p210
【あとがき】p270
風のうわさによると「樹」はときどきものを言うそうだ―その声のささやきがあなたには聞こえるだろうか。:<From me flows what you call Time>。系統樹を通して、さまざまなオブジェクトが変化しつつ伝承され、子孫に受け継がれてきた。まさに「時間」そのものが系統樹から溢れでているに違いない。生物の進化も言語の系統も写本の系譜も遺伝子の系図も、すべては系統樹から湧き出る「時間」に従っているのだから。二千年以上もの長きにわたって自然をめぐる私たちの考えを縛ってきた「存在の大いなる連鎖」は、十八世紀になってようやく"時間化"されることにより、一方向直線的な進化の観念を生みだした。それと同じく、祖先子孫関係という由来のつながりによって階層的に構造化された系統樹もまた"時間化"されることにより、存在(パターン)から生成(プロセス)への遷移を遂げた。