紙の本
行き詰まった日本社会を打破していくための切り口として「系統樹思考」には大きなヒントが示唆されているように取れる。しかし、一般的な「布教」には別の仕掛けが必要という感じがしてならない。
2006/08/14 23:45
7人中、7人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:中村びわ - この投稿者のレビュー一覧を見る
団塊世代の定年開始を前に、合計特殊出生率が急速に低下し、人口推計予測より早く日本の総人口が減少に転じた。四半世紀前に話題になったハーシュ『成長の社会的限界』という本の題が胸に響いてくる。もっともハーシュは、成長のさなかにあっても、社会の成員皆が成長を望めはしないという一種の経済格差を論じたものだったと記憶する。だが、人口減という事実は、天井知らずの成長などなく、社会はいつか必ず限界に達するという真理を、改めて突きつけてきたように思える。発展を望めない社会は、持続可能な方法を模索して運営するよりないのだ。
「もはや右肩上がりの経済は望むべくもないのだから、適正規模の組織や社会をイメージし、それをどう運営していくべきかを考えなくてはならない」てなことを、友人たちと話した。そこに必要になってくる「社会を考える枠組み」が何なのか、それがずっと見つからずにいたのだが、最近になってぼんやりと、1つに「ボランティア」があると思った。自分の持てる余力を社会に還元していく。これは社会の活力として日本を盛り上げていける大きな要素だ。したがって団塊世代には、旅行・グルメなど消費への貢献をほどほど、社会貢献に目覚めてほしい。
いま1つは、たとえばサッカーの応援のようなパワーである。サッカー自体は日本で飛躍的にビジネスとして伸び、大きな経済効果を生んだ。その経済成長とは別に、スタジアムやら街角で燃やされる若いエネルギーは、この国が正しい方向へ進んで行く原動力として活用されるべきだ。具体的には、倫理観の保守であり、資源を循環させて再利用していく社会の実現、融和的な外交や外国人の受け入れなどであろう。
余計な話ばかり長くなっているが、こうした「経済」とは別の国民個人が持てる力の活用をする際、それを動かす「理念」「思考」というものが必要になる。それは今さら20世紀を動かしたイデオロギーではなかろうし、宗教も現実的ではない。
そこで期待できるのがこの「系統樹思考」だっ!と安易に直結させるわけではないが、しかし、筆者が科学ジャンルのみならず科学哲学へ、社会科学へと普遍的応用を提言する思考方法には、価値観の転換という点において、ありきたりの思考を打破していくためのヒントがある。
正直、科学的思考のあり方について現在の議論を知らない私にとっては、分析の対象として限定されるものがあまりに専門的に細分化されつつある現代科学の傾向に対し、筆者が警告を発している本なのかという漠とした印象しかない。時間や空間の広がり、ひいては哲学という対象に対峙する際の姿勢の広がりを「学際」として促している内容やに取れただけである。そしてもしかすると、科学への警告ばかりでなく、目的合理的な近代人・現代人の科学的思考そのものに一石を投じ、社会そのものを斬る視点を提示しているのだろうか。
筆者の意図がもし私の受け止め方で合っているならば、このような思考、つまり物を考える枠組みの提示方法には不満が残る。それは、「普遍→専門」という紹介の流れが、通常期待する「専門→普遍」の流れと逆になっていた点である。例えば、カエルの系統樹を辿っていくと、それがどのような枝を遡っていき、どの枝でどういう生きものと出会うか、さらにその先はどうなっているかという具合に、「系統樹」という生物進化の専門的概念をまずは具体的事例で分かり易く説明してほしかった。しかるのち、その「遡行」を伴う考え方が、いかに無生物の進化を考える際にも応用させていけるのかという流れで、風呂敷を広げていってほしかった。応用の可能性の広がりは、そのように末広がりに読者に託されて行くのが自然なのではないか。専門に収斂されていく構成ではなく、前へ、先へと開かれて行くものがあるからこそ、生半可な読者でも喜びや興奮をつなげて行くことができると思えるのだ。
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系統樹思考の世界 /三中信宏分野枠を越えた分類という営みについて 。従来のスタティクな分類ではなく多次元ネットワークとして、演繹や帰納の「真偽」 ではないデータと対立仮説との比較という認知心理学的手法(アブダクション)を使った進化する「最良の仮説」系統樹思考の概要。多様な対象物に関する鳥瞰図を与えると同時に、相互比較のための足場を組み立て、そのような多様性が生じた因果に関する推論を可能にし、対象物に関する様々な知覚体系化と整理を目論む。
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系統樹の性質を明らかにするのではなく、関連性のあるモノゴトを調べている学問の紹介と、ネットワーク(理論)の解説。
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帰納でも演繹でもなく、データからもっともよい理論を推測するアブダクションという説明がとてもわかりやすく、歴史は科学かという問題も興味深かった。
ただ、若干内容が散漫になってしまったのが残念。
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系統図を作るとどこでとめればいいのか迷うときがあり、この本を読んでみました。
思考法を丁寧に書かれていますので、ちょっとしたことに使うには十分なないようです。
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境界知のダイナミズムで瀬名さんが紹介していたことがきっかけで読んだ本。系統樹思考は,ものごとが変化していくすがたとそのダイナミクスをとらえるための技術として,これから重要になってくるだろうなと感じた。
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読む前: 『分類思考の世界』第4章にでてきたabductionの参考文献に挙げられていたので読んでみたい。
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2010 5/19読了。ACADEMIAで購入。
生物学についての紹介書かと思って読み始めたら、その名の通り思考法としての『系統樹思考』についての本であった。
なんとなく気になっていたがよくわからずにいたアブダクションについての説明もあり、自分の分野に比較的近い科学哲学についての言及もありと、思ったよりもずっと身近なテーマについて書かれていた。
『分類思考の世界』も買ってきたのでそちらも後で読む。
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[ 内容 ]
科学としての歴史の復権!
失われた過去をいかに復元するか?
系統樹はことばです――
新しい「ことば」を身に付けることはいつでもわくわくするものです。
これまで読み書きできなかった系統樹という「図形言語」が使えるようになれば、自分の視野が広がるから。
[ 目次 ]
プロローグ 祖先からのイコン―躍動する「生命の樹」
第1章 「歴史」としての系統樹―科学の対象としての歴史の復権
第2章 「言葉」としての系統樹―もの言うグラフ、唄うネットワーク インテルメッツォ 系統樹をめぐるエピソード二題
第3章 「推論」としての系統樹―推定・比較・検証
第4章 系統樹の根は広がり続ける エピローグ 万物は系統のもとに―クオ・ヴァディス?
[ POP ]
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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文章がわかりやすい。かなり好きなボキャブラリー。静的な分類とは"本質的に"異なる、時間依存性を内包する思考方法。
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歴史は科学なのかという問いから始まります。繰り返し実験が可能な物理学などの自然科学と比較すると、歴史を科学とみなすことはそう簡単ではありません。本書は系譜を探求する(アブダクションする)ことをもって科学的な主張であるとみなそうと哲学的な立場に立っています。そういった立場を認めることで古生物学や進化学も科学となるということでしょう。このような考え方は決して新しいわけでなく様々な分野で普遍的に用いられてきたことを著者は指摘し、これを分類思考に対して系統樹思考と呼んでいます。
著者が面白いと思っていることと私が面白そうだと思うことに多少ズレがあるようで、どうも楽しく読めませんでした。図が不鮮明なのもちょっと。
文献リストはなかなかよさそうです。まあまあ毒舌。
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全般的に言って進化生物学の本だが、「系統樹」という発想は、生物進化に限らず、言語や写本の歴史などと関わり、決して生物学だけのツールではないと指摘している。第一章は進化=歴史が科学になり得るのかという問題を設定し、演繹・帰納だけでなくアブダクション(妥当な説明の推定)も科学の方法なのだと主張し、物理学などをタイプを扱う科学、進化論をトークンを扱う科学とする。第二章は系統樹の歴史をふり返り、ルルスなど中世の学問分類やヒューエルの古因学、現代の「系統樹革命」に及ぶ。三章・四章が系統樹の書き方である。基本的には点・辺・根を想定し、合流不能とするのが系統樹である。つまりネットワークの特殊例だ。系統樹が妥当がどうかは、分岐を起こす変化の回数が最小になるかどうかで判断するが、可能な系統樹は点の数に応じて奇数をかけていくように増えるので、総当たりで判断するのは不可能。初期値をあたえて探索的にさがす。1970年代にネルソンとプラトニックが系統樹の数学理論をつくった。早田文蔵の「動的分類」や中尾佐助の業績、ネットワークジャングルやスーパーツリーについても触れている。
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博物的で教養のある文章なのだろう。でも、内容があんまりない。系統樹はなにかをするための道具?それ自体高価で、重要で研究対象となり得る道具?と書きたいけど、stringもそうだし、結局、おもしろいもので、その面白さに共感してくれる人がどのくらいいるかということか。でも、人数だけなら、stringとかは少ないから、どうなるのか?潜在的な面白さを感じる人が、過去、未来でどのくらいいるのか?という問題か?
究極の理論としては、少なくないくらいにはいるね。
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「哲学は、哲学者と呼ばれる一風変わった人々による深遠な学問的練習などではない。哲学は日々の文化的思想や行動の背後に潜んでいる仮定を考察するのである。われわれが自らの文化から学んだ世界観は、ちょっとした仮定に支配されている。そのことに気づいた人はほとんどいない。哲学者はこうした仮定を暴き出し、その正当性を検討することにある」(デイヴィッド・ザルツブルグ『統計学を拓いた異才たち』371頁)p210
【あとがき】p270
風のうわさによると「樹」はときどきものを言うそうだ―その声のささやきがあなたには聞こえるだろうか。:<From me flows what you call Time>。系統樹を通して、さまざまなオブジェクトが変化しつつ伝承され、子孫に受け継がれてきた。まさに「時間」そのものが系統樹から溢れでているに違いない。生物の進化も言語の系統も写本の系譜も遺伝子の系図も、すべては系統樹から湧き出る「時間」に従っているのだから。二千年以上もの長きにわたって自然をめぐる私たちの考えを縛ってきた「存在の大いなる連鎖」は、十八世紀になってようやく"時間化"されることにより、一方向直線的な進化の観念を生みだした。それと同じく、祖先子孫関係という由来のつながりによって階層的に構造化された系統樹もまた"時間化"されることにより、存在(パターン)から生成(プロセス)への遷移を遂げた。
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極めて形而上学的論考.仲間分けの方法論ではあるが,科学で語れない切り口での視点があるという指摘.例えば,科学技術を成果で分けるのが我々の一般論だが,成果を提唱した人の背景,人脈,動機を以て仲間分けすることも同列であるべきと説く.科学哲学も考慮したバランスをとることで見える別世界があるのかもしれない.