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政治学者として戦後大きな影響を与え、日本史の教科書にもその名がのる丸山真男の論集。読んだのは、「超国家主義の論理と真理」、「日本におけるナショナリズム」、「科学としての政治学」、「現代における人間と政治」という4本の論文。
「超国家主義の論理と真理」においては、戦前の日本には、国家と私的領域の境界がなく、国家が価値内容の独占的決定者であったことが指摘されており、究極的実体(天皇)との近接度が価値の基準となっていたと論じられている。そして、戦前の日本においては、独裁というよりも、抑圧の移譲による精神的均衡の保持が行われており、誰も戦争の遂行について誰も主体的意識をもっていなかったことが論じられている。丸山の言わんとするところは、よく理解できるし、実際、そのような、いわゆる「無責任の体系」が戦前日本の過ちの原因だったのであろう。しかし、丸山がそのような「天皇制精神構造の病理」が戦前日本を通して必然的なものだっと主張していることには違和感を覚える。明治期までは、指導者は主体的に天皇を統治のための道具として考えていたのではないかと考えるからである。いつのまにか、シンボルとしての手段でしかなった天皇が、あたかも国家の目的として実体をもってしまったのではないか。それが発露したのが、昭和戦前期だったのではないかというのが私の認識である。
「日本におけるナショナリズム」では、アジアのナショナリズムを肯定的に捉えすぎではないかという印象をもった。ナショナリズムのあるべき姿と比較して、それに劣ったものとして日本のナショナリズムを論じているように感じられ、あまり学問的に好ましい態度ではないと思った。しかし、これは日本のナショナリズムに限ったことではないと思うが、「日本の旧ナショナリズムの最もまざましい役割は…、一切の社会的対立を隠蔽もしくは抑圧し、大衆の自主的組織の成長をおしとどめ、その不満を一定の国内国外の贖罪山羊(スケープゴーツ)に対する憎悪に転換することろにあった」という指摘は、ナショナリズムの本質的な部分を言いえていると思う。
「科学としての政治学」では、政治学における思惟の存在拘束性が指摘され、政治学には、認識と対象の相互規定関係が存在していると述べられていたことが、政治学を考えるうえで示唆に富んでいると感じた。また、政治学の「用語」は、それを使用しただけである特定の政治的立場に加担する場合があるという指摘も重要な指摘であると思う。
「現代における人間と政治」は、本書において読んだ論文のなかで最も面白いと感じた。この論文は、「境界」が一つのキーワードだと思う。境界の内側にいると、正気と狂気が逆転していても、それが普通だと感じてしまう。境界に住み、「内側の住人と「実感」を頒ち合いながら、しかも不断に「外」との交通を保ち、内側のイメージの自己累積による固定化をたえず積極的につきくずすこと」は、知に関わる人間にとって必要不可欠な態度であると思う。
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丸山貞男の代表的著作として知られる本。考察は鋭く、ためになる部分も多いのだが、近代社会と封建制をすっぱり切り離して考えているのが残念な気がした。近代とな何なのかという考察が本書からうかがえなかったので、その部分で消化不良になってしまった。
日本に関して考察した政治学の本としては名著であるとは思うけど。
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丸山眞男の原点である、「超国家主義の論理と心理」を収録した論文集。
もともと私が本書を手にしたのは、五一五事件に代表される日本のクーデターとアメリカのそれとの違いを知りたいがためだった。丸山は西洋のナショナリズムと日本の発展の違いや、それに伴う天皇と国民の権力関係などを中心に論じている。
明確な答えを得るには至らなかったが、国家論を勉強する上で、日本という枠を超えて参考になる一冊だろう。
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この著作に載せられている論文や講演録は、すべて戦後16年間の間に発表されたものばかりである。
しかし、随所に「これはまるで現在の政治の状況と同じではないか」と思わされるところがあり、今から半世紀前に書かれた著作ではあるが、その主張するところは現在も些かも古びることなく、そのいぶし銀のような輝きを放っていると感じた。
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物性研の所内者、柏地区共通事務センター職員の方のみ借りることができます。
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メモ→ https://x.com/nobushiromasaki/status/1758818894226334159?s=46&t=z75bb9jRqQkzTbvnO6hSdw