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紙の本
科学評論家対決?
2008/05/31 00:39
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
現在の科学についての評論を大雑把に見ていると、意外に数多くの書を出している二人がいる。池内了氏と池田清彦氏である。最近、たまたま、両者の科学評論家としての出世作とおぼしき書を続けて読む機会を得た。池内の『科学の考え方・学び方』(1996年)と、池田による本書(1995年、2006年文庫化)である。
個別科学の解説や啓蒙、科学論についての論客は他にもいろいろいるようだけれど、科学全体をつかんで読者に提示しようとしている点では両者は姿勢を同じくしている。今から思い返すと、オーム事件や薬害エイズ、阪神大震災といった1990年代に頻発した科学にまつわる大事件の影響から、科学について一般読者相手に論ずることの必要性を感じた専門研究者のうち、論客として生き残ったのがこの二人、といったところかもしれない(それぞれの専門は、池内は宇宙物理学、池田は生物学)。
両者とも「天動説から地動説へ」などといった科学史的背景から説き起こしつつ、現代科学の性格を解説するというオーソドックスな出だしである(ただし、プトレマイオスの地動説は、現象に整合的な仮説をつくるという点では「現代的」であったことを池田はきちんと指摘している)。そこから池内は現代科学の限界、いいかえれば不得意なものについての指摘が出てくる。いわゆる非線形や複雑系といった課題である。今までの科学は、いくら巨大化精緻化しようとも、解ける問題しか解いてこなかったわけである。そこから地球環境問題などにつなげていくあたりは、中高生向けの岩波ジュニア新書らしい展開である。
一方、池田の書では、科学は理論から時間を抜こうとしている、などといった池内とはまた異なるアプローチでの科学の限界の指摘を展開しつつも、終盤に向けてやや「過激」になってくる。科学の制度化やその周辺領域(要はモノ、ヒト、カネですね)、政治や政策、資金源とのかかわりにまでより踏み込んでいくのである。「科学の巨大化」の背景にはこうした結びつきが、科学自身が自らを律し得ないものになっているというわけである。さらに「文庫版あとがき」では、「科学・政治共同体」という言葉で、環境問題、医療健康、ゲノムといった諸問題についてのこの科学の制度的な問題の分析を試みている。現代の科学とは純粋な真理追究とはいえず、金儲けのため、学会維持のため、科学者の職の確保のため(公共事業!)、個々の欲望のため、などといった事情にふりまわされているというわけである。
かつての「軍産官複合体」を彷彿とさせる指摘は、読者の気持ちSFチックに暗澹とさせるに十分だ。ただし、こうした池内の指摘を「煽り」ととるか、科学の制度としての側面をクールにみる起点とするかは読者次第ではあろう。「論文生産力」という視点からは、正しい理論ほど科学者にとっては役には立たず、「ちょっと正しい」くらいがちょうどよい、という皮肉かつクールな視点はやはり魅力的だ。
今をときめく二人の科学評論家の立ち位置はだいぶ異なっているようである。しかし、両者の活躍によって、単なるお題目ではない、良質の科学評論がますます生まれることを期待したい。
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