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今まで、文学批評などの分野からラカンの思想に、ちょっとは触れてきたけれど、たしかにこの本の解説はわかりやすい。
理論のむずかしさが変わるわけではなくて、著者が提示している例によって理解が進んでいく感じ。
いや、わかったような気分になっているだけかもしれないけれど…。
ここのところ、フロイトにしてもラカンにしても、もう「過去の理論」みたいな位置づけになっている。
著者は精神科医だけど、ラカン理論を臨床で使っているわけではないとのこと。
でも、ラカンの理論はひきこもりや文化現象を理解するのに有効だと考えているようだ。
本書の刊行は2006年。
またいつか、ラカンブームがやってくる日はあるのかな?
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斎藤環の文章がすきなので買ってみた。(ラカンははじめて)
一回読んでもまだよくわからないので何度か読む、もしくは他のラカン本を読まないといけないなー。
一番印象的だったのは、好きになった異性の顔を覚えられないという現象は、恋心が強烈なほど、トラウマと同じように思い出せないからって指摘していたところ。
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砕けた言い回しなのに難しかった。よくわからない……。例えや引用と本文部分がかけ離れているように思えてしまった。ラカンだけでなくフロイトも半分くらい。精神分析は性の話が避けられないんだなあと思った。
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わかりやすい、読みやすい。しかし、残るものは無いかな。
人が世界を認識するときに、対象a(小文字の他者、欲望の原因)と自我を通して世界(他者)を認識する。
他者の望むものを望む。欲望は言葉の作用によって、後天的に生まれる。そのため限りない。
対象a→欲望の原因(小文字の他者、自分の中の他者?)
欲望の原因に実体は無い。欠如から欲望が生まれる。
欲求は、一時的な食欲等の満たされるもの。
欲望は、欲する限り満たされないもの。例、金、愛?
→”欲しいもの”が欲しい理由をいえるか?
精神分析のキーワード転移。
人と人は常に何がしかの転移関係を作りつつ関係している?
精神病とは、象徴界(言葉の世界)の異常として理解できる。
→2010年3月14追記
縁、縁起。諸法無我。歎異抄の議論との関係。
つながっている。