投稿元:
レビューを見る
大田図書館で借りた小関智弘さんの『町工場で本を読む』
1983年に『大森界隈職人往来』を読んで以来、「仕事をすること」の根本を小関さんの著作から教わってきた。下丸子に住んでいた時、大田区主催の講演会などで小関さんと話す機会を得、池上本門寺の植木市などでよく夫婦ともにご一緒した。武蔵新田の「東亜工機」で25年間NC旋盤を操っていたと聞いていたので、金属加工業界の話もした。
『町工場で本を読む』は、これまで書かれたエッセーや書評をまとめたものだが新鮮だ。「共産党にあらずんば人にあらず」と言われた戦後の世相の中で、小関さんもその一翼を担ったようだが、彼の文学活動は孤立(独立)したものだった。
『鉄の花』を、読売新聞の書評で「真のプロレタリア文学」と評されたと言う。小関さん出現までの労働を描く文学は、新日本文学」にしても「労働者文学に」にしても、政治的ドグマの色彩を帯びた表現活動だった。「資本家対労働者という対立の関係は描かれても、労働現場を本当に描いた作品がどれだけあったか」と、小関さん自身が指摘している。
戦前・戦後を貫いて日本共産党が指導してきた文学運動は、蔵原惟人の社会主義リアリズム論に導かれた小林多喜二の域を出ていない。いわば政治宣伝としての文学、極めてイデオロギー主義的な芸術論に基づいた大衆引き回しの道具にすぎなかった。
『町工場で本を読む』は第3章「名作に描かれた技術・技能』から、各作家の作品を取り上げている。最初が山本周五郎の『さぶ』。タイトルは「雑用という名の仕事はない」。
主人公の経師職人さぶを真近で見てきたおのぶのせりふ。
「栄さんがどんなに頭がよくたって、それだけではどこでも立派な職人になれるってことはないと思うわ。
人間が人間を養うなんて、とんでもない思いあがりだわ。栄さんが職人として立ってゆくには、幾人か幾十人かの者が影で力を貸しているからよ。さぶちゃんはよく言ったでしょ、おれは能なしのくずだって、けれども、さぶちゃんの仕込んだ糊がなければ、栄さんの仕事だって思うようにはゆかないでしょ。」
小関さんはこの文を引用して「ものづくりで生きる人間のありようが、なんと鋭く描かれていることかと思う。」と語っている。