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読みやすく、シンガポールに住んで、シンガポーリアンの言語社会に関心を持った人向けの入門書的位置づけで良いと思う。
シンガポールに来ると、彼らの言語能力にびっくりする。
渡星前は、シンガポーリアンというのは、基本的にはSinglishと呼ばれる英語をしゃべっているのだと思っていた。
到着してすぐびっくり。Singlishは思っていた以上に聞き取れないし、何より中国語を喋っている。衝撃。
そして、最初の数ヶ月のうちは、「ああ、この人達、英語が母語ってわけじゃないんだ。母語は中国語なんだ。英語が異常にうまい中国人なんだ」と思う。
そして半年くらいが経つと、そもそも華語が母語というわけではないことを理解できてきて、「中国語を喋っているが、全く中国人ではない。彼らは、『シンガポーリアン』なのだ」と思うようになる。そして、Singlishが大好きになり、EnglishよりSinglishを喋れるようになりたいと思い始めるのである。
Singlishと中国語が、彼らのアイデンティティと深く結びついているというのは、日常生活でも感じられることだ。華語で喋っている時の彼らの親密さ、Singlishを生き生きと喋る姿をどこでも見ることができる。きっと、方言を喋っているときはもっと親密感があるんだろうけど、それは中国語を解さない外国人からはなかなか観測できない。
本書はインタビュー対象としてNUSの大学生を対象としており(しかも日本研究科を対象としているのでサンプルとして多少偏りが否めない…)そこから映しだされる絵と、先日読んだHDB内でのヒアリングとのドラスティックな違いも興味深い。
本書の大学生(現在20代等)は、英語優位が基本で、たまに華語に対して思い入れが深い学生がいるという形でグラデーションがある。
しかし、この前読んだHDB内での世間話については、人々はみんな方言を喋っていて、マレー語がリンガ・フランカだった。Singlishも使われていたが、英語を理解しない人も多かった。
この国の人々は、どうやってコミュニケーションをとっているのだろうか…!
日々顔を合わせるシンガポーリアンたちの顔を思い浮かべながら、「ああ、あの人は4ヶ国語が話せると言っていたなぁ」と思いながら読み進めると味わい深い。
最終的に、多言語教育のベネフィットは明白なのだが、どんな影響があるのかはクリアにならない。もちろん落ちこぼれは出るのだろうが、ちゃんと教育をしたエリートを中心に考えれば、この政策は正解なのだろうか。
或いは、思考が言語に規定される以上、言語能力が母語に集中して伸びていないことは、思考力の天井になるのだろうか。
途中で、「英語について、ネイティブを100として何%だと思うか」と言う質問に、「90」と答えていた。
なるほど、そうなんだろうな、と思うけど、母語の運用について言えば、本来は世の中のネイティブレベルの100ではなく、120を得てほしいという気持ちがある。
120と90の間には大きな違いがあるし、その30が他の言語で補われれば良いのだが、華語教育も完璧ではない以上、本当に120となる言語は存在しないというのが現在なのだろう。
子どもの教育などの点にフィードバックして考えると、なかなか頭が痛い問題だ。成功しているが、完璧ではないのだから。我々は結局のところ、取捨選択をする必要が出てくるということなのだろう。