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Sun, 01 Nov 2009
学者をやっている人間なら,「学者」の世界に必ずしも「真実への奉仕者」としての学者の姿以外の生活的,社会的,権威的,経済的,政治的成分が紛れ込む実態にそこはかとなく気づいたりする時があります.
一般の方は,逆に「専門家の言うことは絶対に正しい」というような,権威付けに基づく認識バイアスを持たれている事がある.
そんな,認識を改める,ある種の啓蒙書としてこの本はなかなかいいのではないだろうか?ちなみに,世の中自体に「絶対に正しい」って言説は(まず)ありません.はい.
理系のウソ,文系のウソといったように,ドメインを分けながら議論している.
帰納主義の困難,非線形の罠というところで,なかなか,的を射ていた,世の人にはあまりちゃんと認識されていないだろうという話を突いている.
一昔前は,こんな話題は「科学哲学」の人か,「統計学」(もしくはその延長線上にある機械学習)の人でもないかぎり,あまり触れられない話題だったかもしれないが,
実証科学が持つ,これらの困難を知らなければ
「私達人間はどこまで科学に頼って良いのか?信頼して良いのか?」
を見誤ってしまう.
現代で,科学に関わらない人は既にいない.
みな,どこかで科学による実証の成果や,言説を消費者として利用している.それが,変に「権威化」することで,学者のウソ が生まれるのだろう.
本書で一番ヒドイものの一つと指摘される(本書だけじゃないけど・・・)のは女性学での統計操作などである.
データ捏造は 自然科学者の方が,操作したかしないかが明らかなために,取り上げられやすいが
社会,経済的データからの操作はよりたやすい.
官僚的,権威的,政策的な影響を狙う学問では,既存のデータを,取捨選択することで「自分の主張したい事をはき出す」操作が可能となる.
政治に学者がからむのは昔からある話だが,
結局,そこに対して責任をとるのかどうかが,
政治家と学者の違いだ.
諮問委員会や審議会に入った学者やデータを出した学者が訴追される事は少ない.それって,民主主義のゆがみじゃないだろうか.
著者は別に科学倫理の専門家というわけではないようなので
細かい部分についてはおいておくとして,
なかなか,分かりやすく,問題点を指摘している,いい本だとおもいました.
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2007年刊。初っ端は、理工系的科学観から文系的な非科学的側面を批判するだけの陳腐な書か、と思わされたが、新聞広告・テレビCM批判の辺りから俄然面白くなってきた。殊に「納得のコミュニケーション」の項は膝を打って読了。ここの叙述は、まさに対立当事者間のウィン・ウィンの追求だからだ。ただし、好結果の招来が稀という現実に加え、著者が都合のよい設例を持ち出した可能性はなきにしもあらず。一方、真理追求を強調する方にありがちだが、文系的な説得技法、すなわち、討論・弁論を通じてベターな選択をする点も軽視しすぎの感。
予測不可能ないし困難なテーマの場合、あるいは著者が非線形的だとする問題に対し、なおかつ、何らかの解決策を選択するには、見解対立を持つ者の間で、弁論・討論及び証拠を提出し、ベターな選択(ベストの選択は不可)をする手法しかとりえない場合が多い。政治は、理念的にはそのような過程を経て決定されることが期待されているのだろうし、議会制や司法制度はこの理念に則っている(もっとも、現実の政策決定が理念どおりになっているわけではない点は承知している)。この弁論や討論の意義にあまり触れられていないのは残念。
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内容に全面的には、賛成できない面もあるが、「言論人の詭弁」や「学問の方法」を考える上で良書だと思います。
話題になった新書類などが、検討されているので読みやすいですね。
ひとつひとつの事項についての検討に関しては、少し時間がかかりそう…。
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いわゆる御用学者のつくウソをたくさんの例で示していくれている。その上で、学者のあるべき姿を提示するとともに、学歴エリートの問題点に話が移っていく。テレビにでている学者や東大卒と言われるだけで、信用している人に一読を勧めたい。
絶対終身刑となった人が精神異常になってしまったというスウェーデンの例は驚いた。こういう人にとっては、死刑になるほうがましなのだろうか?
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超おススメです。
自分の立ち位置を明確に意識して、では、右・左はどうなのかということを、筋道というして論じている。
非常に筋の通った話ばかりで、そこが良い。
https://seisenudoku.seesaa.net/article/477777841.html