紙の本
文献学の視点から写楽を論じたユニークな書物!
2007/05/26 18:08
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:ブルース - この投稿者のレビュー一覧を見る
写楽は、今から約二百年前の寛政六年(1794年)に浮世絵界に忽然と現れ、驚くほどの多数の浮世絵を残しその翌年には消えていった謎の絵師である。写楽の浮世絵の中で、比較的初期に描かれたとされる役者大首絵は、かなりデフォルメされて描かれており、当時の役者からかなりの反発を受けたと伝えられているが、それがかえって奇麗事に終わらない独特の美をかもし出しており、浮世絵の中でもユニークな位置を占めている。
写楽の初期の浮世絵は、このようにオリジナリティ豊かなものとして評判となっていた反面、描いた写楽自身の素性が曖昧模糊としており、写楽別人絵師説が唱えられる要因となっている。現在に至るまで五十余りの別人絵師説があり、喧々諤々たる議論が現在も続けられている。
このような中にあって、本書は、これまでの写楽論とは全く異なった内容となっている。それは、著者が近世文学研究者ということにもよるが、一切画論には関わり合わずに、文献学や書誌学などの視点から写楽論を展開しているからである。
著者の中野三敏氏の主張するところは、簡単に言えば、写楽は写楽以外にあり得ず、したがって他の絵師ではあり得ないという「単純」なものである。
中野氏は、この持論を検証するために、写楽の基本情報が書かれている『増補・浮世絵類考』(写楽とほぼ同時代に著され、江戸時代を通じて補訂された書物)、及びその最終編者の斉藤月岑の信頼性について精密な論考を行っている。そして、極め付きは、比較的最近発見された『江戸方角』という今でいう「文化人住所録」について微に入り細を穿つ考証を展開していることである。それは、この書物の中に写楽の住所が記載されているからであるが、その精緻な考証は、新書の域を超えた高度な学問性を有している。その故に、本書は難解なものになっていることは否めないが、その反面写楽についての重要な問題提起がなされており、多くの写楽論の中でも極めてユニークな位置を占める結果となっている。
昨今の出版界を見渡すと、相も変わらず、その場だけの思い付きで書かれた安易な書物が大量に出版されている中にあって、中野三敏氏の厳格な学問的な方法論に裏打ちされた本書は、将に一服の清涼剤とも言える。
なお、本書の最初には、著者の江戸文化論が展開されているが、これは教科書的な江戸文化像を逆転させる衝撃と開明性に富んでおり、示唆に富む考察となっていることを申し添えておきたい。
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・斎藤月岑の文化史家としての重要性を考えれば、彼がいう「写楽=斎藤十郎兵衛」説は、かなり確実性の高いもの。
・「写楽は誰か」を確定させる情報としては、加藤曳尾・式亭三馬・斎藤月岑の三者が『浮世絵類考』の中に記載している事項以外に精度の高いものは出てきていないのが現状。
・写楽の正体を過去に検証してきた論者は、近世文化の専門家以外が多く、斎藤月岑というビックネームからの呪縛が少ない。それゆえに、自由な説がたくさん出てきた。
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[ 内容 ]
寛政六年(一七九四)から翌年にかけて、浮世絵界に忽然と現われて消えた画号「東洲斎写楽」。
その素性についての「誰それ説」は枚挙に暇がないが、実はこの現象が過熱したのは、戦後のことに過ぎない。
本書はまず、江戸文化のなかで浮世絵が占める位置を再考した上で、残された数少ない手がかりを丁寧に考証し、写楽が阿波藩士斎藤十郎兵衛であることを解き明かす。
それを通じて、歴史・文献研究の最善の方法論をも示す。
[ 目次 ]
第1章 江戸文化における「雅」と「俗」―写楽跡追い前段
第2章 すべては『浮世絵類考』に始まる
第3章 斎藤月岑という人
第4章 『江戸方角分』の出現
第5章 『江戸方角分』と写楽
第6章 大団円
補章 もう一人の写楽斎
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金沢図書館で読む。興味深い本でした。著者と一度会ったことがあります。言葉を交わしたわけではありません。会議で同席しただけです。非常に読みやすい文章です。江戸文化史に全く関心もなければ、知識もない僕にも、ストレスなく、読むことが出来ます。雅、俗という概念を導入して、江戸文化を説明しています。素人なので、その是非を判断する能力はありません。ただし、一つの価値概念で、時代を切り取れるのでしょうか。僕には疑問です。
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画家的視点でなく、
歴史資料的に分析。
「江戸方角分」という、芸能者を方角ごとにわけて記した人名録。は、興味深かった。
侍は侍らしくいきなくてはいけない時代に、名を隠さなくてはいけなかった理由なども分かった。
…薦められて読んだけどちょっと難しかったので飛ばし読みしちゃった。。
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その正体が謎であるとされ、多くの歴史愛好家たちの関心を惹いてきた東洲斎写楽について、実証的な観点からそれらの写楽論の不備を説いている本です。
写楽論と呼ばれるものについて、わたくし自身はほとんどなじみがなかったのですが、通説に抗って独自の説をなすことで知られる梅原猛の『写楽―仮名の悲劇』(1991年、新潮文庫)を読んだことがあり、そこで梅原は写楽を歌川豊国の変名であるという主張をおこなっていました。しかし本書によると、斉藤月岑の『増補浮世絵類考』に写楽が能役者の斎藤十郎兵衛であるとされており、それ以上に写楽の正体にせまる史料は存在していないと述べています。さらに著者は江戸の人名録である『江戸方角分』を紹介し、写楽についての記事を中心に、その史料的意義を解説しています。
さまざまな「写楽論」を実証的な観点からしりぞける手堅い議論となっていますが、史料の紹介が中心で、写楽の作品についての議論は含まれていないので、そうした関心をもつ読者には期待はずれになるかもしれません。
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情報の肉付けの薄さや齟齬、活動期間の短さなどから写楽=〇〇説が横溢するが、本書は斎藤月岑による増補・浮世絵類考の「三点セット」=江戸八丁堀在、阿波能楽者、斎藤十郎兵衛の情報が基本的に事実であるという立場から、その真実性を淡々と論証していく。