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この本を読んで一番驚いたのが、この著者根上生也という人がガチャガチャポンという中学生向けのポンキッキみたいな番組に出演していた人だったということです。
見てましたねーガチャガチャポン。無駄にシュールでおもしろかったです。番組終わっちゃったけど。
この本は変質的なまでに数式を使わないことにこだわった本です。だからといって決して幼稚な教え方をしているわけではなく、理論さえ聞けば「なるほど!」と思わず膝をたたく内容ばかり。
32チームのトーナメントの合計試合数は何試合?という問題を計算もせずに一瞬で解いたり、二進数をダンスで表現したりと(まあ、紙面上だったのでわかりにくかったですけどね)かなり内容は多岐に渡っていて、ぐいぐい読み進められました。
こういう人が小学校中学校で算数数学の勉強を教えてくれれば、今こんなに数学で苦労しなくてもよかったのかなぁと思うような本でした。
ガチャガチャポン再放送しないかなぁ……。
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読みやすい。
数学イコール計算だと思っている子供があまりに多いことが
解らされる。
文体が面白おかしく、すいすい読み進められる。
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最近、算数やら数学やらに少し触れる機会があったためか、古本屋にて見つけた際なぜか購入して読んでみました。
「見てそれとわかること」=「基礎数学力」とし、計算を使わなくてもわかることはあるんだよということが書かれている本です。
筆者自身は今の数学教育において「お作法」と呼び否定的な立場に立ち、これからの数学教育についてどうしていけばよいのかを考えています。数学を式で解くのでなく見てわかることから学ぶということに焦点を置いた数学をするべきだと述べられている。
ところどころ見られる筆者の自信過剰っぷりが鼻につくが、視点はなかなかおもしろいと思いました。
使えそうな小ネタもあんまなかったです(笑)
最後に問題です。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」には同じ誕生月の人がいます。
なぜそれがわかるでしょう?
絵をじっくり見て考えてみましょう!
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● もしも、八本指の宇宙人がいたとしたら、彼らの手には左右合わせて16本の指があることになります。だとすると、彼らの文化では、数の体系は十六進法を基本にしてできあがっているでしょう。
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今後の数学は、
・数学を自由に考える部分とお作法の部分に二分する。
・離散数学的な題材を活用して、言葉で論証することを実践する。
・コンピュータの利用を前提に参加できる数学の世界を広げる。
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この本でいう「基礎数学力(見てそれとわかることを発見する力)」は、
なぞなぞを解く力に似ている気がします。
ある事象を目にした時に、
その中にある法則性や他の事実との繋がりを発見し、
組み合わせながら答えまでの道を作っていく。
これって物語を作る時とも近いですね。
入れるものよりも入れ物のほうが少ない時には、
どこかの入れ物に二個以上が入ることになるという「鳩の巣理論」の話や、
デジタル放送が「符号原理」のおかげで映像がクリアになっている話が面白かったです。
けれども、
それにも増して著者の「どや感」がすごくて、
正直辟易してしまいます。
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本書の前半では、公式まみれで「計算」しかしない数学教育に対するアンチテーゼとして、論理思考力を鍛えるための「証明」の重要さを指摘。読者に取っつきやすい証明の例として「鳩の巣原理」などを紹介しながら、証明といっても難しく考える必要はないことを説いている。
本書の後半では、大学における物理学や経済学への発展を意識して作成された、「微分・積分」を到達点とする高校までの数学教育のカリキュラムに異を唱えている。そして、これからの時代はあらゆる職種で情報学の方が重要になるので、情報学の基本である離散数学の習得を第一義とした数学教育に変革する必要性を主張している。著者に限らず、情報系の研究者は、多かれ少なかれ同じことを考えているような気がする。しかし、数学教育を情報系寄りにシフトするということは、数学界のイデオロギーとしてここ100年のメインストリームであった「公理主義」を捨て、それ以前の「直観主義」に先祖返りすることだと明確に理解している人がどれくらいいるのか怪しいところである。ヒルベルトが提唱した公理主義は、純粋数学において多くのブレイクスルーを生み出したイノベーションである一方、過度な抽象化が跋扈し、最先端の成果が現実問題と著しく乖離する「理論のための理論」となってしまう副作用も生み出してしまった。それに対して直観主義では、背理法による存在証明をいっさい認めず、常に新たな数学的対象を具体的に構成することが求められるので、情報系の基礎数学として相性が良いのは確かである。
私は、閉集合と閉被覆という抽象概念だけで「中間値の定理」を証明してしまう公理的アプローチの美しさに強く惹かれた人間であり、ずっと公理主義をフィーチャーしてきた。とはいっても、「連続関数では中間値が必ずどこかに存在する」という事実が分かるだけでは現実問題の役に立たないので、「中間値となる(x,y)の値」を具体的かつ「効率よく」計算するための技術や方法論を教えるのが時代の流れなのかな、とも思う。どちらにせよ、初等教育(小学校・中学校)や中等教育(高校)における数学教育を情報系寄りの離散数学にシフトさせる場合は、公理主義から直観主義へのイデオロギー変更が求められる。さらに、中等教育を担う先生を数多く輩出する大学の数学専攻のカリキュラムも、ガチガチの公理主義であるブルバキ流から脱却させる必要があり、とてつもなく大きい話になることだけは間違いない。
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前半が、「そうそう!」と膝を打つことばかり。そうなんですよ。僕数学なんか全然できないけど数学が好きで、こういう本ないかなあと思ってたんですよ。
ただまあ、数学には当然ながら詰め込む要素も必要なわけで、そのバランスが難しい。次の指導要領改訂に期待。