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右と左ではなく、何と開国後からの日本とアメリカの関わり――というよりも、むしろ日本のアメリカへの若干夢見がちな視線を追ってます。こんなに長くアメリカ好きか。じゃあ現状も仕方ないよな、とある意味納得。本来腐れ観点は不要な一冊として読み始めたものの、戦前・戦後の社会の風潮がアメリカとの関係だけでくっきりと捉えられる一面があるようで、その部分においては土金の生きた時代の風潮が読める。案外その部分が楽しかったのは嬉しい誤算。(結局腐れ観点)
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【戦後日本社会は、基本的に深く親米的であり続けたのではないか.その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか.戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する】
かゆいところに手が届く…まではいかないにしても理解は深まった。
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本書は一般的な日米の政治経済関係ではなく、主として戦後の日本国内において可視化され、日本国民に無意識的に受容されてきた<アメリカ>について論じている。
分析の対象は、マッカーサー、米軍基地、占領軍兵士の相手をするパンパンなどにはじまり、米軍基地周辺に形成されるアメリカ文化を受容した空間、さらには放送開始したばかりのテレビ番組などである。
つまるところのエッセンスは、占領軍という暴力的な<アメリカ>が、独立以降のアメリカへの反発を醸成した一方で、占領(軍)がもたらした豊かな生活スタイル・モダニティの象徴としての<アメリカ>が重層的に折り重なったところに、戦後日本の文化的無意識としての「親米と反米」がある、というところだろう。
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[ 内容 ]
日本社会は、特異なまでに深く親米的であり続けたのではないか。
その感覚は、「反米」世論が高まったときすら、通奏低音として流れ続けていたのではないか。
戦前戦後にわたる、大衆的なレベルでの親米感覚に焦点をあて、日本の近代や戦後天皇制、ナショナリズムの構造との不可分な関係について考察し、それを超えていく視座を模索する。
[ 目次 ]
序章 戦後日本は親米社会?
第1章 アメリカというモダニティ―「自由の聖地」と「鬼畜米英」
第2章 占領軍としての「アメリカ」
第3章 米軍基地と湘南ボーイたち
第4章 マイホームとしての「アメリカ」
終章 「親米」の越え方―戦後ナショナリズムの無意識
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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[ 参考となる書評 ]
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【要旨】
・何故日本はこんなに親米的なのか?という問いを、単純な親米VS反米といった二項対立を問い直す。
・暴力としての「アメリカ」と消費としての「アメリカ」の構造的結びつき
・「アメリカ」の需要と反発の歴史
・戦前の植民地主義との連続性
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卒論書くときに読んでおけばよかったと激しく後悔。
アメリカがさまざまな表象をとおして日本に入りこみ、いつしか日本人の自意識をつくるうえで欠かすことのできない要素となっていったことを描いている。
その切り口は多種多様にわたり、非常に鮮やか。それだけに、この本に収まらないだけのもっと多様な断面があるのではないかとも思ってしまう。
戦後日本にかんして何か書くときは、外せない本ではないだろうか。
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日本社会は、特異なまでに親米社会である。それが、どのように形作られてきたか、戦前戦後に渡って、大衆的レベルでの構造を明らかにしようとする。
しかし、記述は、表層を小難しくなぞるのみ。がっかり。
例えば、以下はまあ、表層的にはその通りだとは思う。
こうして50年代半ば以降の東アジアでは、社会主義圏に対する軍事的基地の役割を韓国と台湾、そして沖縄が負い、日本はもっぱら経済発展の中枢としての役割を担って行くことになった。(略)この時、日本の中の「アメリカ」は、ある構造的な変質と隠微の構造を含んでいった。すなわち、軍事的な暴力と消費的な欲望が表裏になった占領者としてのアメリカが、ナショナルな消費生活のイメージを全面に出しつつ日常生活に深く浸透していくアメリカへと変容を遂げたのである。(15p)
しかし、そのように「しかけた」アメリカ並びに日本政府・財界を無視しているか、見えていないので、そういうアメリカを支持した国民が、「主体的」にそれを選んだ事になってしまっている。
占領期の天皇とマッカーサーの「抱擁」が予感させた二つの帝国の談合的な関係が、60年代までには広範な国民の日常意識によって積極的に支えられる様になっていたことを示しているのである。(206p)
全然「主体的」ではなかったとは言えないかもしれない。しかし、それを批判的に見るのか見ないのかでは、天と地程の差があると私は思うのである。