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滝山コミューン1974 みんなのレビュー

  • 原 武史 (著)
  • 税込価格:1,87017pt
  • 出版社:講談社
  • 発行年月:2007.5
  • 発送可能日:購入できません

第30回講談社ノンフィクション賞 受賞作品

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みんなのレビュー29件

みんなの評価3.4

評価内訳

29 件中 1 件~ 15 件を表示

紙の本

左翼がつくりあげた愚者の楽園「滝山コミューン」は著者含む同校小学生の心を深く深く傷つけていた。左翼が目指す理想郷のおぞましさを描ききって完膚なし!

2007/06/16 20:08

18人中、10人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:塩津計 - この投稿者のレビュー一覧を見る

本書は東久留米市にある公団滝沢団地で育った原武史教授が、その小学生時代に受けた教育を振り返ったものである。私は、国立市で育った。国立市といえば左翼の巣窟というイメージがあるが、本書を読むと、国立よりも遙かにひどい左翼教育が東久留米で実践され、それが著者含む市立第七小学校の少なからぬ生徒の心をずたずたにしたことが分かる。著者は左翼崩れの小熊英二や吉本隆明が垂れ流す「1970年を境に『政治の季節』は終わり、『私』優先の『私生活中心主義』が広まっていった」などということは「断じて無い」として、彼らの「左翼史観」を全否定するところから筆を起こす。そして全共闘世代の若手教師が全国生活指導研究協議会(全生研)という左翼日教組組織が作ったマニュアルに基づいて、小学校全体を北朝鮮も真っ青の「左翼全体主義」に染め上げていく過程を克明に描く。全生研のやり方は、日本共産党がその綱領で掲げ続ける似非民主主義制度=民主集中制を小学校に当てはめていくもので、まず前衛党に相当する「核クラス」をつくり、そのクラスを左翼教員が洗脳するところからはじめ、生徒会等に関するルールを次々と「民主的」に改変し、その「みんなで決めたルール」に則って、核クラスが生徒会PTAのポストを独占し、小学校を事実上乗っ取ってしまうのである。しかし所詮は小学生で小学生に意見らしい意見などない。結局、全員が左翼教師が垂れ流す「ご高説」を鵜呑みにし、その精密なる誘導に従って生徒全員が口パクパクするようになる。中には自我の萌芽を既にもった著者のような早熟な子供もいて、その誘導に反発するものも出てくるのだが、そういう「異分子」は密かに「秘密警察」似の委員会に連行され、そこでその罪を糾弾され、自己批判を強要される。更には戦中の隣組も真っ青の「班」が形成され、班競争なるものも強要される。このシステムのミソは常に「落ちこぼれ班」を意図的に作り出し、その「ボロ班」を満座の中で笑いものにし、恥をかかせることにある。これで、その他の生徒に「ああはなりたくない」という「体制順応意識」を植え付け、上からの指示に唯々諾々としてしたがう「従順なロボット生徒」を大量生産する、これがこのシステムの目的なのである。読後、いや、中盤にさしかかるあたりから、なんともやりきれない非常に重苦しい気分にさせられる。まるで「動物農場」「1984」そのものの恐怖政治が東久留米では現実に起きたことを知り他人事ながら慄然とさせられるからである。随所に散りばめられた「鉄道オタク」ならではの「鉄道ネタ」、なかでも武蔵野を縦貫する中央線や西武線、武蔵野線に関する豊富なエピソードは鬱々とした気分にさせられる記述が続く中で一服の清涼剤のような役割を果たしている。1970年代、東久留米の一部生徒の間では四谷大塚、日本進学教室という中学受験塾に通うのが、半ば当たり前のようになっていたことに驚かされる。国立のほうが東久留米より遙かに文化的で都会だと思うが、国立第三小学校では中学受験などするやつは1人もいなかったからだ。あと、似ているな、似てるなと思いながら読み進めていくと最後の最後で四方田犬彦『ハイスクール1968』が言及されているのを発見した時には思わず膝を打ってしまった。それにしても著者は「暗い青春時代」を送った「不幸な人」だと思う。第一志望の開成中学に落ちただけでなく、せっかく受かった慶應普通部でも「そのブルジョワ的雰囲気に最後までなじめず」慶應大学への推薦を蹴って他大学を受験するのである。著者は早稲田大学政治経済学部を卒業しているが、おそらく東大法学部あたりも受験したのではないか。装丁も良い。真っ黒な下地に白抜きで1974という年号がデジタル時計の文字盤宜しく描かれている。

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紙の本

ノスタルジック、サスペンス、システム

2007/08/14 12:28

7人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:わたなべ - この投稿者のレビュー一覧を見る

1970年代初頭、いわゆる「政治の季節」が終りを告げ、団地に象徴される「私生活主義」が台頭したと言われる時代を、保革伯仲と激化する労働争議を背景に、政治闘争が別の次元に移行した時代と位置づけ、その例証として著者自身の体験したある小学校とその小学校にほとんどの児童を通わせていた団地住民(専業主婦たち)によって作られた「コミューン」の記憶を綴った本。ほとんどノンフィクションのノリで、ノスタルジックにかつ多様な資料を使って当時を再現していく手法は一面的であるだけに臨場感たっぷりでなかなか面白かった。まあ同時代、あるいは近い過去については、まずこうやってその時代を生きた人々の主観に基づいた証言がたくさん書かれるべきで、その意味ではこれはかなりインパクトのある内容なだけに他の証言を引き出す呼び水になるんじゃないかと期待させられる。もっとも「コミューン」が形成されていく中で強烈な疎外感に襲われ塾と鉄道にだけ救いを見出していく幼い著者の姿は、意外に70年代初頭という時代を超えたある程度の普遍性を有しているんじゃないかとも思った。多かれ少なかれ、あるいは遅かれ早かれ、強烈な孤独と自我意識に落とし込まれざるを得ないような仕組みが学校という組織あるいは制度にはあるんじゃなかろうか。

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紙の本

1970年代論の試み。残念ながら踏み込み不足。

2007/09/06 19:58

7人中、4人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:GG - この投稿者のレビュー一覧を見る

80年代に比べて70年代はその時代を論じた評論の数が圧倒的に少ない。ニューアカ、オタク、バブルなどのキーワードで語られる1980年代を論じた書物は、たとえば、ずばり一九八〇年代論という副題を持つ大塚英志『「おたく」の精神史』(講談社現代新書)や、堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書)、あるいは吉崎達彦『1985年』(新潮新書)など、新書の棚だけでもこれらの書目をすぐに拾うことができる。

また、60年代だったら1968年というメルクマールがある。世界システム論のイマニュエル・ウォーラーステインというビッグネームがこの断層に注目しているほどなのだから、1960年代論(厳密には60年代末論)が多いのも無理はないか、と思わされる。

その点、間に挟まれた70年代はなかなか正面から論じられることがない。それは60年代末の若者叛乱が敗北した後の「鉛の時代」だったゆえ、とされることが多い。この「新左翼史観」に異を唱え、1974年という年を、当時の小学生の目線から辿りなおしたのが本作である。

舞台となっているのは、東京都北多摩郡久留米町の第七小学校。ここで1969年4月の入学から1975年3月の卒業までの6年間を過ごした著者が、当時の出来事の一つひとつを当事者へのインタビューを行なって辿りなおし、さらには学者らしい手堅さで外枠のデータを埋めた上で、滝山コミューンの消息を描いている。滝山コミューンとは、1974年の第七小学校に成立したという「国家権力から自立し、児童を主権者とする民主的な学園の確立を目指した地域共同体」のことを、著者が思い入れを込めて命名したものである。

私のようなほぼ同年代の読者にとっては、既視感のあるような記述が続く。一体どんな生徒会執行部が成立するのかとハラハラするような場面もある。子どもたちのドラマが深まっていきそうな雰囲気が感じられ、小学校を舞台にしたリアルな少年小説の趣きがあるのだが、期待されるほどのクライマックスの感じられる展開とは言えない。残念である。

では、評論としてどうか。学者独得の慎重さゆえか、それぞれの事象についての強い断言を著者は避けているので、評論的な部分でも食いたらない感触をもってしまう。たとえば、まとめの部分で、中学以降を過ごした東急沿線のとの対比を、もっと突っ込んで行なうこともできたはずである。

意欲作だが、物足らない。これが私の正直な観想である。しかし、著者がどうしてもこの作品を書きたかったのだという気持ちは、ほぼ同じ年代を過ごした者として(僭越ながら)わかるような気がする。オススメの読み方は、坪内祐三『一九七二』(文春文庫)や四方田犬彦『先生とわたし』(新潮社)と並べて、当時の自分も参加させながら読むことである。そのためのデータを挙げておく。原武史1962年生まれ、坪内祐三1958年生まれ、四方田犬彦1953年生まれ、である。蛇足ながら、評者の私は1963年生まれである。

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2007/09/03 01:22

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2007/09/13 14:04

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2007/09/16 13:36

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2007/09/24 08:04

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2007/11/08 22:53

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2007/12/30 01:19

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2008/02/15 15:18

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2008/03/19 11:13

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2008/07/23 09:36

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2008/09/07 00:17

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2009/03/16 13:23

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2011/01/22 13:16

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