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ピンポンさん 異端と自己研鑽のDNA 荻村伊智朗伝 みんなのレビュー

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みんなのレビュー8件

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評価内訳

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8 件中 1 件~ 8 件を表示

紙の本

卓球を知らない読者だってきっと楽しめるはず!

2008/01/07 22:58

3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:yukkiebeer - この投稿者のレビュー一覧を見る

 1950年代に世界卓球選手権チャンピオンとなり、引退後には国際卓球連盟の会長まで務めた日本人・荻村伊智朗。これは彼の評伝ノンフィクションです。すこぶるつきの面白さです。

 荻村伊智朗のことを、中国や朝鮮半島との民間ピンポン外交を推し進めた人物だと何となくは知っていましたが、彼が若かりし頃これほどまでに孤高の奇人であったとは知りませんでした。もし自分のそばにこんな偏屈な天才がいたら、それはそれはやりにくいだろうなというのが率直な感想です。

 しかし本書を読みながら、荻村伊智朗に良く似た人物について読んだ記憶が蘇りました。その人物とは幕末の若者・島倉伊之助です。司馬遼太郎の小説「胡蝶の夢」に登場する伊之助は、驚異的ともいえる外国語習得力を見せた異能の人ですが、その天賦の才に比べて、周囲の人々との交際術がほとんどゼロといっても良い変人です。この伊之助のようにまさに伊智朗は、類いまれなる能力と信じがたいほどの非社交性とを兼ね備えた男です。

 ですが伊之助には彼に深い理解を示した松本良順という男(幕府の海陸軍軍医総裁)がいたように、伊智朗にも良き理解者がいたのです。それは町の卓球場を経営していた上原久枝さんというおばちゃんです。貧しくやせっぽちの高校生・伊智朗が卓球場へ偶然やってきて以来、おばちゃんは彼の衣服の洗濯から食事の世話まで買って出るのです。全く持って奇縁としか言いようのないおばちゃんと伊智朗のつきあい。それは、以後伊智朗が62歳で世を去るまで続きます。

 本書はこのおばちゃんの目を通して、不世出の男の生涯を描きます。周囲に迷惑をかけずきちんとあれと躾けられるのが当たり前の中で、伊智朗のような奇人が社会の中で一つの大きな役割を果たしていけたのも、こうした素敵な出会いと理解があった。昭和という時代にはそんなことがさほど珍しくなくあったのではないか、そんな思いを強く感じた好著です。

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紙の本

スポーツ選手の伝記というより戦後日本史として

2008/02/15 12:43

2人中、2人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。

投稿者:越知 - この投稿者のレビュー一覧を見る

 卓球の世界チャンピオンであった荻村伊智朗の名は、昭和30年前後を知る世代の人たちには馴染み深いものであろう。それは、東京オリンピックを知っている世代が大松博文の名を、シドニー・オリンピックを知っている世代が高橋尚子の名を忘れないのと同じようなものだ。
 私自身は荻村の現役時代にはまだ幼く直接その活躍に接することはなかったが、長じて趣味で卓球をやるようになり、今も社会人卓球を続けているので、以前から荻村の生涯には興味があった。彼の自伝『卓球・勉強・卓球』(岩波ジュニア新書)も、単なるスポーツ・バカではない知的人間としての荻村の一面がうかがえて面白いのだが、このたびジャーナリストによる包括的な荻村伝が出版されたのはよろこばしいことである。
 これは単に卓球選手の生涯を描いた本ではない。戦後日本のかかえていた問題が浮かび上がってくるという意味では、一種の戦後日本史なのである。
 今では信じられないだろうが、昭和28年に荻村が日本選手権で勝ち上がって翌年ロンドンで開かれる世界選手権の日本代表に選ばれたとき、条件が付いていた。80万円を供出せよというのだ。本人と引率役員の渡航費用である。当時、サラリーマンの平均年収(月収ではない!)は10万円に満たなかった。その時代の80万円が今ならどの程度の金額になるかは言うまでもない。戦後10年たたない頃の日本がいかに貧しく、スポーツの世界選手権に選手を送る費用すら出せない有様だったかがよく分かるエピソードである。
 父を早くに亡くし母子家庭で育った荻村に、無論80万円などという大金はなかった。しかし周囲の人々が街頭募金をしたり、有力者や企業に訴えて寄付金をつのったりして、かろうじて80万円を調達するのである。
 ロンドンに到着すると、現地の猛烈な反日感情にさらされて驚愕する。日の丸のついたジャケットを着てレストランに入ると客が皆出ていってしまう。理髪店に入ればジャップと言われて追い出される。当時、在英邦人は中国人のふりをして生活していたという。いざ試合となると観客は日本の対戦相手にばかり声援を送る。審判も不公平なら、試合の模様を紹介するジャーナリズムも悪意に満ちている。そんな中で荻村は勝ち続け、男子団体とシングルスの双方で優勝するのである。
 このエピソードには考えるべき材料がいくつも含まれている。長年アジアやアフリカを植民地にして支配した大英帝国が、第二次大戦で痛い目に会わされた相手に対して反感をむき出しにする様子は、今からすればその身勝手さにおいて歴然としていると言える。しかし荻村の独特なところは、一方で英国ジャーナリズムの悪意には反論しつつも、どうすれば国際的な融和が成立するのかを考え、自分なりに実行に移したところにあった。
 荻村は進学校として知られた都立第十高校(のちの都立西高校)の出身であり、高校時代は卓球に明け暮れてろくに勉強もしなかったが都立大に進んでいる(のちに卓球に専念するため日大に転校)。なおかつ高校時代は通訳学校にも通い、英会話が得意だった。自分が世界チャンピオンになったなら、今度は自分の技術を外国に伝えることで国際間の理解が進むはずだと、荻村は考える。
 だがその道も平坦ではなかった。一方で、なぜ外国人に自分の技術を教えるのかという偏狭な日本人もいた。他方、スウェーデンに指導に行くと、荻村のやり方が理解されずに大半の選手が離反してしまうという事件も起こった。荻村のやり方とは、技術を教える以前にまず体作りから始めるというもので、これは今なら常識であるが、当時は技術さえ習得すればいいという考え方が主流であったので、荻村方式は「外国人に技術を教えない」ためだと誤解されたのである。しかし、そんな中で荻村についていったスウェーデンの少年アルセアは、のちに世界選手権の男子ダブルスで2連勝している。荻村の正しさはこれによって実証されたのだった。
 スウェーデンのエピソードからも分かるように、荻村は一方では開かれた知性の持ち主だったが、他方では狷介で自分の信念を絶対に曲げなかった。そのため、実績がありながら引退後は日本の卓球界で必ずしも主流と言える地位には就かなかった。和をもって貴しとなす日本社会の中では、彼の居場所はなかったのである。しかしやがて世界卓球界が彼を必要とするようになっていく。その辺も本書の読みどころの一つである。
 最後になったが、本書は荻村だけではなく、もう一人の日本人の伝記でもある。卓球場を経営し、荻村に無料で練習の場を与えたのみならず、食事まで提供して彼を支えた婦人がいたのである。荻村は上述のように母子家庭で育ったが、母は知的ではあっても母性的とは言いがたい人だったようだ。これに対して「卓球場のおばさん」は実の母に成り代わるかのように荻村に多くのものを与えた。戦後日本の高度成長を支えたのは、こうしたたくさんの「おばさん」たちでもあったはずだ。私が本書を戦後日本史だというのは、そういう意味においてなのである。

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2009/11/19 23:43

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2012/03/26 17:15

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2015/04/06 12:08

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2015/12/29 15:09

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2015/08/19 17:11

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2023/06/05 15:24

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