紙の本
脳梗塞で半身不随のからだの中に生まれた、鈍重な巨人と始めるあらたな生活。
2010/04/06 16:11
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:銀の皿 - この投稿者のレビュー一覧を見る
著者は2001年、旅行先で脳梗塞の発作で倒れ、半身不随になった。「寡黙なる巨人」は倒れてから退院できるまでになる一年余りの、著者の闘病記である。後半には「新しい人の目覚め」と題して、その後の著者のエッセーが収められている。
右半身が動かせず、飲み込む事もしゃべることもままならない状態から、あるとき少し指の先が動く。そのようにして身体がもう一度意志を持って動き出すことを、著者は「自分のなかに生まれた巨人」と表現する。
「自分の中に新しく生まれた、思い通りには動かない、鈍重な、寡黙な巨人。君と一緒に生きていこう。冒険しよう」。「寡黙なる巨人」はそのような感慨を語る著者が、傍らに立つ「妻」というもう一人の同行者にも言葉をつなぐことで終わっている。自らを励まし見直し、ここまでの文章を慣れぬキーボードを慣れぬ左手で操作するのは想像以上の苦労であっただろう。大きなハンディにも負けず遂行し、体験を分かち合ってくださった著者に感謝したい。
著者の闘病については、前に「邂逅」や「露の身ながら」で読んでいたが、闘病記そのものである本書はまだだった。最近「奇跡の脳」を読み、同じ左脳での梗塞なのに随分違う体験のように感じたので本書も読んでみたのだが、発作のときの記憶が全く違う。多田さんの場合は「白いタールに絡みつかれる」「恐怖はないが孤独」と、あまり良い記憶ではない。(「奇跡の脳」では、「充足感」「安らぎ」などの良い記憶が強調されていた。)
いろいろな方があると思うが、回復して語ることができるようになった方には是非それぞれのケースを伝えて欲しいとお願いしたい。それは今後同様な発作を経験する人、看護する人に大切な情報になるだろう。
後半のエッセーは、様々である。病院での対応や介護の法律に怒りを著したもの。新しい生活の中で見いだしたもの。先達たちの思い出。隣りの火事(このニュースは御存知の方もあるだろう)では、いざと言う時にこのような病人がどんな状況に出会うのかを、「半身不随の老人一名、避難を介助」と報告された、と醒めた書き方で読み手をかえってほっとさせてくれる強さである。テレビで回復のドキュメントが放送されると、励ましや問い合わせばかりでなく「免疫を高める薬・食品」を紹介してくる話「善意の謀略」は、免疫の大家である著者の困った顔が目に見えるようである。
決してあきらめず、悲観もしない著者の強さはどこから来るのだろう。時には「恵まれた患者の贅沢」であるような著述もあるが、それでも「病を経て書き続けることができる」利を活かし、書き続けて欲しいと思う。
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2001年5月に旅先で突然脳梗塞の発作に見舞われ、右半身麻痺,言葉も失い嚥下機能も侵され水すら咽喉を通らない障害を抱える老免疫学者。リハビリは遅々として進まない。しかしもう蘇ることのない四肢の中で「寡黙なる巨人」が目覚めていくような感覚を感ずることは喜びだと。二足歩行への訓練や発声訓練は苦しいが楽しいことだと。お能にも詩にも造詣深い著者の精神の強靭さがこころを打つ。
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脳梗塞の後遺症で、話すことも歩くことも文字を書くことも、嚥下も出来ない状態になりながら、リハビリに励み、創作活動を続けている。小泉の行った医療改革によって、リハビリの打ち切りを告げられるが、朝日新聞への投書に始まり、署名活動で48万人分を集め、主治医の指示があれば続行は可能になったが、まだまだ問題は山積している。
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親が買ってきた本の中にあったもので、先日テレビで取り上げられていたこともあったので興味が湧き、読了。
免疫学者らしいけれども特にそう言った学術的な話に終始しているわけではなく(専門語は多々あるけれど)、一障害者として日々の中に立ちはだかる感情を主軸に据え、それを丁寧に書いている本だと思う。
障害を持たない私は物事を健常者としての視点からしか捉えられない以上、著者の意図を100%理解し切れているとは言い難いけれど、読んで何かしら納得するような、そんな気分になったことだけは確か。もっとも、鵜呑みにするには自分自身の知識が追いついていないけれども。
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著名な免疫学者である多田富雄の病状を発病からその後5年ほどまでを書きつづったエッセイ。
ある日突然健康だった多田の体を病魔が襲い、半身不随、発声、ものを飲み込むことができなくなった。
そのあまりのショックに自死も考えた絶望の淵から生きようと決意するまでの経過と心情を綴った。
その他に多田が雑誌に寄稿した文章が何編か収録されている。
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昨年の小林秀雄賞受賞作ということで手に取りました。
著者は免疫学会の重鎮。
脳梗塞で倒れ闘病の日々の中で、過去の自分とは違う何かが体の中に芽生えてくるという(それを著者は巨人と呼んで)、体験者でなければ描けない認識が興味深い。
半身不随、嚥下障害、発語不全という幾多の苦難に打ちのめされながらも、著者に希望の光を与えたのはプレゼントされたワープロでうつ言葉。
もともと白州正子さんたちとも交流があり、自作の能も公の場で上演されているほどの人。
医者であることに勝って表現者であろうとする日々の闘い。
幾度か涙しました。
受賞理由を選考委員の橋本治氏が「論よりも文とは何かということに重点を置いて選んだ」と解説している通り、文学の原点にもどり「著す」ことの喜びを素直に語った文章に胸を打たれます。
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NHKのドキュメンタリーで初めて知った多田富雄さん。
その様相(麻痺した身体)からは想像できな知性・感性が潜んでいる。そして、それ以上に、麻痺した身体というものの大変さ、障害者であることの大変さが客観的な文章から覗える。障害者というカテゴリーではなく、障害を持った一個人という認識が芽生える。
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現実に、脳梗塞に倒れられた作者が、パソコンを使って伝えてくれた闘病記が掲載されている。病院の関係者の人々は、絞り出すように記される声を聞いてくれるだろうか。もっと多くの人が、声をあげるべきなのでしょうが、著者のように、巨人を育てることができない。病院の建前はどんどん美しく飾り立てられています。厚労省との戦いも、今私たちにできることはあるのでしょうか。健康だったころよりも真剣に、充実して生きていると言い切る言葉こそ、美しい。
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小林秀雄賞受賞作。この賞は2007年に内田樹氏『私家版 ユダヤ文化論』で2011年加藤陽子が『それでも、日本人は『戦争』を選んだ』で受賞してますね。著者は有名な免疫学者で、東大名誉教授。2010年4月に亡くなっています。この本を手に取るまで知りませんでした。2001年の5月旅先の金沢で突然病に病に倒れ、その後半身不随になり言語障害も残った。そこからこのエッセイははじまります。何とワープロを覚えて左手で書いたとだという。すさまじい執念。社会的地位も今までの功績も病人の前には何の関係もない。それにしてもすさまじいまでの生のエネルギーだ。70歳近い老人とはとても思えない。一度死んだと何でも著者か書いている。ご存知なかったが、この人ただの学者ではない。能など古典芸能に精通していて、白洲正子とも知り合いだったらしい。専門以外での著作も多数ある。なんかスケールが違う。でも普通の人に見えてくる部分もある。幼い頃の記憶から現在へと。あと日本におけるリハビリ制度の問題についての提起は非常に重い。厚生労働省がほんとにとんでもない役所のように思えてくる。
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言葉を失い、身体の自由を奪われた苦悩がありありと伝わり、脳障害を負った患者さんの気持ちを想像することができた。
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世界的な免疫学者で東京大学名誉教授の多田富雄が脳梗塞で倒れた。死線をさまよった後に、右半身不随、言葉もしゃべれない、物を飲み込むことも出来ない、重度の障害者となる。そんな中で、日本の医療、リハビリテーション医学に対して冷静な目を持ちながら、一歩一歩復活する。
声にならない声が出る、思いがけない一歩を歩みだす、一度死んだ身体から何かが生まれ出る、それを多田は「寡黙なる巨人」と呼ぶ。
まだ話すこともできず、食べることも普通に出来ない。しかし、知的な生活は旺盛であり、この素晴らしい本を世に出している。お前は何をしているのだと問われているような気がするのである。
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健康だと わからないことは多いなーと思いました
脳梗塞の怖さ、リハビリは人間としての尊厳の回復である事、PT、OT、STの重要性〈特にST 言語療法の重要性〉を知りました
この本には病院や医療行政への問題提起もいくつか ありました。たくさんの職種が集まり共通言語の存在しない病院で、過重負担にある医師に さらに病院組織を運営させる負担も負わせざるえない現状に 限界を感じます
「邂逅」と言う 往復書簡集も読んでみたい