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村上春樹のエッセイ。走ることについて書かれたものだけど、マラソンを走ることに、真面目に取り組んでいる様子に引きこまれた。小説を書くことも、すごく苦労をしながら書いているらしい。天才だと思っていたのに、努力の人だとわかった。(h19.11.23)
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初村上春樹。有名な小説家だということ以外の知識が一切無い。でも彼の文体に惹かれている人が多いくらいはわかる。ある意味本当に先入観が無いなか読んでみた。
いわゆる選手として速く走ることを目指し手いる人以外でなぜ走るのかについて、あぁ納得という解説をしてもらっている気がした一冊。私も似たようなこと思っていた。でも村上さん速いです。サブ4ですから(笑)
フルマラソンを走るなんてもってのほか!と思っていた自分がなぜかきっちり練習を積み重ねゆっくりながらも走ってしまった。この気持ちの変化がすごい新鮮だったので、こういう本を読んでまた無の時間を得るために走るのもいいなぁと思った。走ることが理解できない人に読んでみてもらいたい。共感なんてしなくてもいいけど、宇宙人的に見えてた人が少し近くに感じることができると思う。
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村上春樹の写真を見ると、いつも違和感を抱く。彼は意外と、人間臭そうな顔をしている。でも考えてみると、彼自身が小説の主人公のような人であったら、それを小説にはできないだろうと思う。彼は、強い上昇志向を持って自分の本性を追求し、人為的に、いまの彼を獲得したのではないか。そんな風に思った。
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これ私の気持ちとおんなじ。ランナーレベルは違うけど。特にニューヨークシティマラソン直前の右膝についての部分なんて、そのとおり!
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村上春樹さんってランナーでもあるんだ…と感心してしまった!最近ちょっと走り始めたから興味深く読みました。
2007年12月10日読了
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村上春樹が自身の生き方を振り返った本。‘終わりというのは、ただとりあえずの区切りがつくだけのことで、実際にはたいした意味はないんだ’というくだりにはぐっときました。図書館予約数は67(07/12/14現在)です。
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人生の一側面を語るとき、その人の本質が見えるような気がするときがある。村上春樹という人間に迫れたような気がする、とてもエキサイティングな作品。
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村上春樹が自分自身について(特に内省的なことに関して)こんなにも饒舌に語っているのはこれが初めてなんじゃないだろうかと思う。これまでもエッセイなんかで触れてきたことなんかであっても、ここへ来て初めて腑に落ちることもあったりする。読み様によっては鼻につく部分もあるかもしれないけれど、いくらかでも村上春樹の熱心な読者であった時期のある人にとっては、程度に差こそあれある程度意味のある本なんじゃないかと思う。
「もし自分で決めたルールを一度でも破ったら、この先更にたくさんのルールを破ることになるだろうし、そうなったら、このレースを完走することはおそらくむずかしくなる。」(第6章『もう誰もテーブルを叩かず、誰もコップを投げなかった』)
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『黙って呑み込めるものは、そっくりそのまま自分の中に呑み込み、それを(できるだけ姿かたちを大きく変えて)小説という容物の仲に。物語の一部として放出するようにつとめてきた。』
呑み込むって難しいけど必要・・・。
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作家・村上春樹のランナーとして一面が120%出ています。自伝的であり、メモアール的である作品です。
彼が、作家としての仕事に向かう姿勢についても書かれているので、ビジネスマンにとっても非常に勉強になります。
ハルキストのみならずビジネスマンにも必読だと思います。
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村上春樹の特に「走ること」について注目した自伝本です。自伝なので大きなオチやトリック(??)などはありませんが、やはりとても読みやすく、文体もとても心地よかったですね。自分も走りだしたくなりました。
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初めて村上春樹でふむふむという気になる本と出会いました。トライアスロンやら走る話だからというのがあるけど。
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12/31
2007年最後の一冊。
これまでのエッセイとも少し異なり
走るときの気持ち、小説を書くときの気持ちなど内面に触れる内容となっている。
長編小説そろそろでないかな。
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今年、課題とか関係なしに純粋に読みたいと思って読んだ本1冊目。
一冊目はなにか、姿勢を学ぶことがある本を読みたかったから世界的人気作家のメモアールを。
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・Pain is inevitable.Suffering is optional.
・個性を出すことの代償としての批判は当然。
・走ることをやめる理由はたくさんあっても、走り続ける理由はあまりない。でも、その走り続ける理由に意味を見出すために走り続けている。
・身体の構造と精神構造は一致。