紙の本
『自分のなかに歴史をよむ』とは?
2020/08/26 10:16
5人中、5人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:岩波文庫愛好家 - この投稿者のレビュー一覧を見る
タイトルからすると、何となく哲学的な内容を連想するかもしれません。本書はそうではありません。自分の内面に対応する何かであり、自分の内奥と呼応する歴史を理解すること、を意味しています。著者は大学時代にゼミの先生から、やらなければ生きてゆけないというテーマを探すように言われ、以来、解るという事はどういう状態をさすのかを考えます。
歴史に於いて、文化を調べる事は大事な要素であり、所謂『背景』とされる事柄を学ぶ事についての見識を持つきっかけになりました。
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「すごい」の一言。アベキンの存在感に圧倒された。最初の方は、阿部さんの自叙伝という感じだったが、中世ヨーロッパについて語るにつれて、読んでてワクワクした。中高生向けということで、平易な文章で書かれているのも良かった。ただ、書いてあることは分かっても、解かっていないことも痛感させられた。まだ自分と真剣に向き合っていないせいだろう。とはいえ、読後にそういう気持ちになったのは今まであまりなかったし、そういう気持ちにさせてくれた阿部さんには本当に感謝したい。
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「わかるということは、それによって自分が変わるということです。」著者が恩師から受けた言葉である。この言葉を聞いたとき、阿部謹也は身が震える思いだったという。彼と同様、この一文を読んだとき、私も強烈な印象を受けた。果たして、自分は自分が変わったといえるほどの「わかった」経験をしてきただろうか。
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「解るというのはそれによって自分が変わるということ」
「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きていけないというテーマを探す」
一人の人間がある時代に生きているとはどういうことか?
⇒
「人は過去に規定にされ、未来への意思によって規定されながら現在を生きている」
「私たちは過去との真の絆を探し<大いなる時間>の中で生きているという自覚をもつ必要がある」P65
⇒
自分の内奥を掘り起こしながら、同時にそれを<大いなる時間>の中に位置付けていく
本を読む・勉強するなどは、それによってどう自分が変わったかまで考えれることによって
初めて習得したといえる。
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傾聴すべき本。若いうちに呼んでしかるべき。高校生ぐらいが適当か。「判る」ということの意味について、それは自分が代わることであるとの恩師の言葉は重みがある。
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H20.11.22
西洋、キリスト教の歴史を紐解くのに面白かった。自分とのつながりを考えてみよう。
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阿部謹也の作品は大企業の社長の殿堂入り本に入れられることが多い。
初めて読んだが、その深い考え方になるほどと思った。
中世史という学校で習う学問を超えて、学ぶということは何か。
何がわかれば、学んだ事になるのか。
そうした疑問を持って書物に当たる。ただの情報としての本ではなく、知識と思考から何を見つけ、何を理解するのか。非常に造詣の深い、物事を愛してやまなかった人に違いない。
最近本を乱読しているが、そこから何を感じ、何のためにわざわざ自分の限られた時間を使うのか。そこまで考えずに惰性的に読んでいたのかもしれないなと。
自分は研究者ではない。でも、ある意味人生におけるテーマを追求し続けているのだから、その意味で何を学び、何を極め、何の為にいまここにある本を読むのか。
難しい事ではなくて、多分そこに純粋なものがあるのだと思う。
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阿部氏が研究職へと進んだ理由などが語られている。
中学生・高校生向けに書かれた本なので読みやすい。
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阿部謹也さんは3年前、急性心不全のため亡くなった。
享年71歳。
学生時代に、大学の学園祭に招待されて、特別講義をおこなったことがあったが、行けばよかった。後悔、先に立たずとは、まさにこのことをいうのか…。
■「それをやらなければ生きてゆけないテーマ」
→「生きてゆくことと学問とをつなぐ接点を数歩後退して求めるために、何ひとつ書物を読まず、何も考えずに生きてゆけるか、と逆に自分に問いを発してみたのです。するとその問いには容易に答えが出たのです。
そんな生活はできないということが体の奥底から納得できたのです」
>そういう気持ちで勉強したこと、あったっけ? 受験勉強も、大学でのゼミ研究も、会社でのペーパーテストも、受かるための勉強しかしてこなかった気がする。でも、そうやって覚えた知識など、何一つ活きてはこない。知恵として、あるいは教訓として血肉化されない。
■「解るということはそれによって自分が変わるということ」「それでいったい何が解ったことになるのですか」
→「ただ知ること以上に自分の人格に関わってくる何かなので、そのような『解る』体験をすれば、自分自身が何がしかは変わるはず」
>自分自身がどのように変わったかを省察する癖をつけてみようかしら?
■「人は過去に規定され、未来への意志によって規定されながら現在を生きている…学問の意味は…自覚的に生きようとすることにほかならない」
→「そのためには、自分の中を深く深く掘ってゆく作業…ものごころついたころから現在までの自己形成の歩みを、たんねんに掘り起こしてゆく…学問の第一歩…自分の内奥を掘り起こしながら同時にそれを≪大いなる時間≫のなかに位置づけていく…」
→「歴史は自分の内面に対応する何かなのであって、自分の内奥と呼応しない歴史を私は理解することができない」
>歴史の教科書がつまらない理由が分かった気がした。自分にも「歴史」があること。自分もまた「歴史」の重要な登場人物だという認識から、自分の興味分野、影響を与えたファクターとか掘り起こしていかないと、「現代」すら離れた対象としか捉えられない。ちょっと、なんか掴めた気がしてきた。
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心に残るフレーズ
「解るということはそれによって自分が変わることでしょう」
「解る」と言うことはただ知ること以上に自分の人格にかかわってくる何かで、
そのような「解る」を体験すれば、自分自身が何がしかは変わるはずだと思えるのです。
歴史研究とは過去の自分を性格に再現することではなく、
現在の時点で過去の自分を新しく位置づけていく事。
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○恩師(上原専禄(せんろく)先生)の言葉
「それでいったい何が解ったことになるのですか?」により著者は自問する癖が身についた。
「解るということは、それによって自分が変わるということ。」(P.17)
(「知る」と「解る」は異なる。)
○時間意識は、人間が周囲の事物とかかわるかかわり方のなかで生まれてくるものなのです。(P.52)
(数量的なとらえ方ではなく、周囲とのかかわり方で時間は生まれる。)
◆本を読んだり勉強した事は、それによって「どう自分が変わったか?」により、初めて解った(習得した)といえる。
読み終わった後に心に残る感動があった。
文章も非常に読みやすく、あっという間に読み切ることが出来た。
この本を高校生の頃、いやせめて大学生の頃読んでいれば自分の人生も違ったのでは?
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自分に新たな視点を与えてくれた、とても重要な本。
自分はなぜ自分なのか?
改めてその問いを自分に投げることが、なんだか愚かしいような気がして避けてきたが、そこにこそすべてを解明する答えがあると思わされた。
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学問とは自発的に生きること。
歴史研究とは、過去の自分を正確に再現することだけでなく、現在の時点で過去の自分を新しく位置づけてゆくこと。
古文書が読めるようになろう。
欧州中世にも身分社会があった。差別される人々がいた。
現代人が一つの宇宙で暮らしているとするならば、古代・中世の人々は二つの宇宙の中で暮らしていた。大宇宙と小宇宙。
ドイツではどこの国の誰にでも古文書館が解放されている、日本はそうじゃない。文明として熟していない証拠。
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著者は大学3年時にゼミの申し込みをするために上原先生の家に直接訪ねていった。
しかしそのとき先生は会議中であった。
著者は会議の席に呼ばれ、上原先生とその場にいたその他高名な先生方はひとりずつ頭を下げて作者に
挨拶をされた。それだけではない。筆者に対して会議に参加するようやさしく促し、意見を求めたのだ。ひとりの平凡な大学生に過ぎなかった作者に対してとても丁寧で対等な態度であいさつを受けた作者は気後れを感じながらも先生たちの立ち振る舞いに感動を覚えたのであった。
それが著者と先生との出会いだった。紳士的な態度で振舞う先生は、学問に関してはとても厳しい方だった。
ゼミでこの先生から受けた指導が、作者のその後の歴史家としての研究生活の根幹になることとなる。
卒論のテーマに悩んでいた作者はあるとき、先生からアドバイスを受ける。
「どんな問題をやるにせよ、それをやらなければ生きてゆけないというテーマを探すのですね。」
また、別の機会において先生は研究について、
「人物であれなんであれ、研究対象に惚れこまなければ対象をとらえることはできないでしょう。
けれども惚れこんでしまえば対象が見えなくなってしまいます。ですから研究者は、いつも惚れこんだ瞬間に身をひるがえして、現在の自分にもどってこられるようでなければならない。」
「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう。」
などと厳しくも鋭い言葉をおくったのだった。
著者は、中学生時代にカトリック系の修道院の施設に入れられていた体験から、修道院というものに好意を持ち、中でも教えを説く身でありながら戦いに参加し人を殺す存在であるドイツ騎士修道院にひかれて、その研究をすることになった。
研究を続けた箸者は、ハインペルの論文を読んで、学問の意味は生きること自覚的に行なうことだと結論付け、そのためには自分の内奥(子供の頃の体験など)を掘り起こしながら、つまり、自分のなかに歴史を読みながら、同時にそれを“大いなる時間”のなかに位置づけていくことだと悟る。
また、著者はその後も研究を続けた後、ドイツに留学し日本と西洋の違いは何か、西洋でなぜ差別が生まれたのかという問題に挑んでいく。
本書は、著者の自己へのあくなき内省と真摯な学問に対する態度によって丁寧な筆致で書かれた学問的な自伝であるが、大学で勉強するとはどういうことか、学問にどう取り組むべきかについて大いに汲み取れることがある。
第1章における上原先生との出会いは、権威ぶった偉そうな大人が優れた人物にないことを教えてくれるし、上原先生の数々の言葉、特に「解るということはそれによって自分が変わるということでしょう。」という言葉は、どこかすぐ近くのその辺に落ちていそうでもそうでない非常に深い響きを持った言葉ではないだろうか。
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History as a dialogue with oneself.
歴史学の入門書、と銘打たれているが、思想や哲学の範疇に入るかと。
歴史は自分とは無関係に外的な経過をするものではない。
人と人との関わりにおいて映し出される自分像が、過去から現在に至る
自己という「歴史」の発見に繋がるもの。
「それでいったい何が解ったことになるのですか?」
「解るということは、それによって自分が変わるということ」
の件にはどえらい衝撃を受けた。思考に大きな変革を与えてくれる一冊。