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安政の大地震は、江戸時代後期の1855年11月11日(安政2年10月2日)、関東地方南部で発生したM6.9の大地震である。他の安政時代に発生した地震と区別し「安政江戸地震」とも呼ばれる。また、この地震による災害は、1923年の関東大震災と区別する為に、「1855年関東大震災」とも言われる。
直下型地震であったと考えられており、江戸においては江戸城の石垣が崩壊し、本所や深川など下町を中心に死者約4300人、倒壊家屋約1万戸など大きな被害があった。
1854年12月23日(安政元年11月4日)に安政東海地震(M8.4)が、12月24日(11月5日)には安政南海地震(M8.4)が発生しており、この安政江戸地震と合わせ、「安政三大地震」と言われる。
1853年(嘉永6年):マシュー・ペリー艦隊、プチャーチン艦隊来航
1854年(嘉永7年/安政元年):日米和親条約、日露和親条約調印、安政東海地震、安政南海地震。11月改元。
1855年(安政2年):安政江戸地震(安政の大地震)
1859年(安政6年):安政の大獄
1860年(安政7年/万延元年):桜田門外の変。 (Wikipediaより)
美しい文章に感心。季刊発表作品の集約故前刊までのおさらいが入るのがたるい。過去を振り返らない人なのであろう。
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目が見えるようになって、よかったですね。
だんだん、家庭のもめごと話が多くなり、ちょっとつまらない。
とりあえず、信太郎シリーズ読破。
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信太郎人情始末帖 シリーズ6
火事で目が見えなくなっていた、信太郎の目が見えるようになった。
信太郎の妹、おゆみは、長年想い合っていた、植木屋「植辰」の跡取り、巳之助と祝言を挙げた。
番頭の仁平は、別家を許され、美濃屋を退いて、「丸卯」の暖簾を構えた。
信太郎の姉、おふじの息子、太市は、卯平の店、
おぬいの息子、千代太は、おふじの嫁ぎ先、木綿問屋「嶋屋」へ と
それぞれ、預り小僧となった。
万平長屋の、駕籠かき長作の息子、福松は、美濃屋へ、丁稚奉公することになった。
美濃屋の縁に繋がるそれぞれの人たちに、一区切りついた頃
江戸の町が、大きくゆれた。
ようやく、信太郎とおぬいが、夫婦となった。
ここで、終わりでも良いけど、次作が、完結編らしい。
どんな結末になるのか、楽しみである。