紙の本
いかにして数字がつくられ、いかに使われるのか、というプロセスをきちんと把握することの大切さ
2008/06/17 23:54
6人中、6人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:拾得 - この投稿者のレビュー一覧を見る
ここ数年だろうか、「統計」や「データ」の「ウソ」とか「罠」とかという本が少なくないようだ。無色透明なはずの数値が、いかにいいかげんで、ごまかしがあったりするのか、を暴くというのが趣旨らしいが、これだけ増えるといまひとつインパクトをもたない。数字を使ったもっともらしい報道というのは沢山あるので、こうした本を書くネタには事欠かないだろうが、新鮮味もあまりない。読者にとっても大して勉強にもならない。
本書もタイトルだけ見るならば、そうした類書と同列に見える。しかし、原題のサブタイトルに "How Numbers Confuse Public Issues" とあるように、社会問題にかかわって発表される数値が、どのように生み出され、「一人歩き」してしまっているか、というある種「数字のライフサイクル」とでもいえる視点で一貫している。「統計学入門」というよりも、「数字入門」としたほうがわかりやすいだろう。
公表されたなんらかの数字が、政治的立場やイデオロギーによっていかようにも解釈されるというのはよく聞く話ではある。単にそれを指摘するだけで芸が無い。本書の著者は社会学者であるゆえ、統計数値は社会的構成物であるといったテーゼから議論を展開するが、小理屈をこねずに、数字がどのように生まれるのか・どう使われやすいかといったプロセスをうまく一般化しながら丁寧にまとめてくれている。具体的な数字を出されると、ましてや「公的な機関」や各種メディアが発表したりすると、それだけで説得力をもってしまうが、数字にはなんらかの出生元がある、というあたりまえのことを気がつかせてくれるのである。人間にかかわる社会現象を対象にした場合、正確な測定というのはなかなかむずかしい。それゆえ「数値」というのは、測る時の定義や手法、測定者の主観、計算の段階(見積もりか、概算か、実態か、どうか)などといったもので大きく変わるのである。
本書でとりあげられているこの種の最も印象的な数値は、例の「9・11」の死者の数であろう。事件発生後一月内に発表された数値は6453名だ。ただし、これは各方面からの関係者リストを足し合わせたものであったため、重複などを消していくなどすると、一年後の推計は2801人になったという。当初の数字に「作為」があったわけではないが、それはあくまで見積もりにすぎなかっただけである。ただし、この概算をあえて使い続けることには作為があるのだ。
本書でも、タイトルにはやや扇情的な言葉がならんでしまっているのだが、こうした数字ができてくるプロセスに目を向かせてくれる意味で、類書の中でも、シンプルでまっとうな啓蒙書である。結びで述べられている「統計リテラシー」の提起についても穏当なものといえよう。
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統計の読み方、統計の恣意的取り上げられ方、母集団の不確かさなどの危険性を説いた本。統計リテラシーを身につけるために興味深い。チェリーピッキングと政治的偏向(なぜそのデータを選んだか)といった点に注意すべきということは参考になる。
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わたしは常々統計に疑問を抱いていたので、この
本を読んでなんだかすっとした。もっともらしく
「何人に調査したところこういう結果が得られた」
とデータであるかのように話を始める報道番組が
あるが(フジテレビ○ざましテレビなど)、どう
いう人を抽出し、どういう質問内容で調査したか
により回答も違ってくるし、全くあてにならんと
思っている。
何もないよりはデータがあったほうが信頼できる
のかもしれないが、そうとはいえないと思う。
現に私だって仕事で資料を作るときは、同じ数値
から都合のいい見方をしてそこだけクローズアッ
プするなんてことをよくやるし。
恣意的なものが多いのだとこの本で論理的に納得
できた。
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『戦前の少年犯罪』を読んで以来、「どうしたら大衆(自分もふくめ)はだまされてしまうのか?」ということに興味がわいてきたので、ヒトラーを読み、ユングを読みとやってきたわけであります。で、今期のレポートにまとめようかなーと思ったのだけど、さすがにユングとヒトラーだけじゃ話が古すぎてピンとこないものになっちゃう。しかもこのタッグだと思想的な色合いが濃くなりすぎて、レポート的にはどーなのかと。だからこの二人のことはあくまで(強固な)ベースとして、もっと身近なものの観察をやっていこうと思い、読んだしだいでございます。(今、誰も読まないのに語り口調になる不思議を実感しています。)
内容はだいたい予想通り、統計リテラシーの話がずらーっと。くわしくて分かりやすい。犯罪の規模は違えど、日本でもアメリカでもだいたい同じようなことがおこってるのだなということがよくわかった。ただ、日本では学者レベルの統計リテラシーがあまり語られていないというのが残念。世界的に見て日本人はランキングが大好きな民族であるらしいから、リテラシーの教育に力を入れるべきであると思う。
テレビでよく「最近暗いニュースばかりですが、今日は明るいニュースがはいっていますよ、東京都でトキの赤ちゃんが(以下省略)」のような下りがあるけど、そもそも明るいニュースなんてだしたら視聴率が下がって、スポンサーが逃げちゃうんですよと、だから暗いニュース万歳なんですよと。メディアとは弱点の多いシロモノなのです。どうして視聴率が下がるのかについては、ヒトラーやユングの文献がかなり参考になる。
筆者が最後の章で述べていた「大学における統計リテラシー教育があまりにずさんだ。」という意見には大いに同感である。大学の課題は調べるということが基本である、つまり当然統計表などを利用する機会が多い。にもかかわらずリテラシーがないとなると、表面的な調査ばかりの文章ができあがることだろう。
情報にあふれる現代、「リテラシーが必要だ」という言葉はよく聞くし、それに関する本も出ている。だが政府レベルでの対応がなされていない。リテラシー教育の有無は国民の質に大きくかかわる(戦前から日本の弱点が情報戦であることも考えて!)ことなので、有無を言わさずシステムに取り込むべきだ。
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「統計はこうしてウソをつく―だまされないための統計学入門」を読んだ後のダメ押しの一冊.単体で読んでもいいけどこっちを読むより「統計はこうして~」を読めばいいと思うので★3つ.この本はその5年後に書かれたもの.
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続編のせいか、明らかにネタ不足。統計リテラシーを身につけるべきなのはそのとおりだが、社会学の分野でもう少し読みやすい本がたくさんあるのだし。。。ひとつおもしろかったのは、擬似相関と因果関係の話で、ある関係が疑似相関ではないということを確実に証明することはできないということだ。何かまだ検討されていない隠れた変数によって両者の相関が証明されるかもしれない。この論法は喫煙と肺がんの関係において、タバコ業界がずいぶん長い間使った論理だ(喫煙者にガンが多いからといって喫煙がガンの原因であるとは言えない)やはり何らかの理論によって説明性があることを示し、蓋然性を高めていくことが必要なのだろう
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本書は統計リテラシーの向上、啓蒙を目的とした書である。統計リテラシー?なるほど統計といえば、高校や大学で学習する数学の一分野の統計だろうか?違います。本書でいう「統計リテラシー」とは社会的な意味、例えば新聞・雑誌・テレビ等で見かけるグラフやデータ。また様々な分野で引用される円グラフや折れ線グラフ。等々に関する統計データを批判的に的確に解析(素直に読み取れる情報、データの意味する部分、示す範囲の限界、データ分析の背景、収集動機、定義、幾多の情報を陰に陽に読み取る)する能力を指しています。
本書の著者は米国の大学教授であり、取上げられている様々な事例もアメリカ社会での問題を題材にしていますが、日本の立場で読み替えても通じる部分が大半あると思います。
本書の各章は以下の通りであるが、第一章~第六章までが具体的事例を取上げながらの問題提起。第七章が総論という内容である。具体的事例はどれも大変参考になり、すべてを紹介したいくらいですがその点は本書に譲ります。要は特に専門的ではない一般的素養の持ち主が素直にデータや図、グラフを読み取っただけではうっかり見落としがちになる視点を中心に指摘し、その理由や説明等の記述に費やされています。
しかし、もう一つ大きな点で指摘しておかなければならない部分があります。、データを読み取る側が「見落としてしまう」という視点(提供されたデータが公正に作成された前提)ではなく、逆にデータを提供する側が特定の政治的・営利的・思想的様々な特定の立場に立つ場合であり、データ提供者側が予期する都合のいい読み取り方をしてもらう為に作成されたデータやグラフの存在である。むしろ本書はこれら様々な立場を考慮して、提供されたデータやグラフの意味する「第一印象」に引きずられる事無く、情報の公正さを勘案する能力、正確な意味の分析、故意に一部削除された情報がある為に本来の意味から離れた架空の意味を浮き上がらせた情報、故意に定義を拡大したり縮小したりすることで都合のいい数字を捻出した情報、こちらの指摘がむしろ主眼になっていると言えます。
そして、これらに惑わされないための批判的な統計データの読み取り能力の向上が著者の訴えたい主眼であるとも思われます。
第一章 抜け落ちている数字
第二章 混乱を招く数字
第三章 恐ろしい数字
第四章 権威ある数字
第五章 魔術的な数字
第六章 論議を呼ぶ数字
第七章 統計リテラシーに向けて?
昨今、日本でもメディアの情報操作、印象操作が指摘されて久しいが、そこで引用される様々なグラフやデータを批判的に見る為の素養として欠かせない一冊となるのではないだろうかと思います。
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割合はなじみ深く役立つ道具。
広く流布している数字が必ずしも妥当であるわけではなく、必ず意味があるわけでさえない。