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紙の本
桜庭一樹の作品を読むのはこれが二作目だ。つい最近読んだ『赤朽葉家の伝説』はミステリーとしての評価が高く、本著は文芸作品としての評価が高い。逆じゃぁないのかな。「朽ちていく幸福と不幸を描く、衝撃の問題作!」この宣伝文句にとらわれないほうがいい。謎解きミステリーとして読むほうが不快にならずに楽しめる。
2008/01/14 02:18
13人中、8人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:よっちゃん - この投稿者のレビュー一覧を見る
「俺の女だ!」これはよく聞くセリフだ。たいがいは第三者がいて、その第三者に向かって独占的所有を威嚇的に宣言するときに使われる。しかし「私の男」と女が口にするのはどんなときだろうか。第三者は不在でもいい、おそらく秘蔵の高級ブランド品か愛玩用の小動物をまえに頬を緩めてつぶやくのと同じように、「あなたは私の男よ」といとおしさの気持ちを伝えながら恋の勝利者として誇らしげな内心を隠そうとしない、そんな女心の機微がふさわしい。
ところが「第一章 2008年6月 花と、古いカメラ」である。「私のすべてはあなたのものよ」と陳腐であるが身も心もささげた女とそれをもてあそぶ男の関係に見えた。
9歳で孤児になった私・花を養女として引き取って育ててくれた淳吾、25歳。15年が過ぎたいま、私は別な男と結婚はしたけれど………。地獄の業火に焼かれてもいい、もうあなたしかいない。欲しい欲しいと体が求める、人倫に背く恋。
隠し切れない移り香が、いつしかあなたに染みついた。誰かに盗られるくらいなら、あなたを殺していいですか。なにがなくてももういいの。クラクラ燃える火をくぐり、あなたと越えたい………。ふたりでいたって寒いけど嘘でも抱かれりゃあたたかい。恨んでも恨んでも躯うらはら山が燃える。戻れなくてももういいの。
とカラオケ定番の古臭い男と女の情念?さらに古典な源氏物語の世界か?あるいは「純愛」少女マンガの濃厚なポルノ版?それともフロイド流の心理分析?まさかドストエフスキー『悪霊』ではあるまい?
いろいろな雑念が沸いてくるままに物語は過去へ過去へと展開していく。スケベなオジサンとしては、いくつでそんな関係になったんだろうかとか、いつ女を感じるようになったのかな、などと卑猥な興味で読み進めることになる。実際、こうしたスケベな好奇心は当然に満足させられることになります。
さらに風景、情景のディテールが素晴らしい。いつもいつも昏い心で佇む「花」ではあるが、その眼に映る空、雲、光、海、雪、流氷。風の音、氷の軋み。男の匂い、肌触り、味。読む者の五感のすべてを刺すように、美しく詩的に描写される。これらがまるで生き物のように「花」を包み、頼れるものがだれもいない孤独感を深いところまで浮き彫りにする。女性らしい感受性にあふれた描写が魅力的だ。
この風景、情景描写の幻惑効果といい、過去に遡る章立てといい、緻密な構想をもって読者に挑戦したきわめて技巧的な作品である。三流のポルノ小説まがいでしかない男と女の絡み合い。少女陵辱、幼女性愛、父と娘の交わり、罪を共有した堕落。これらインモラルはしばしば現実に事件として表面化することがあって、嫌悪されるべき事柄である。この受け入れがたい感覚は私だけのものではないはずだ。嫌悪されるべきものに「究極の純愛を描く」とか「真の家族とはなにか問う」など何らかの価値を見出した小説家が本気でそのモチーフをメッセージする場合には相当の思索的お膳立てが欠かせないが、そのあたりはまるで見えなかった。
にもかかわらず、傑作だと思う。この作品は用意周到に組み立てられたミステリーなのだと思う。冒頭にいくつもの謎が提起される。たとえば、なぜこうした異様な関係になったのか。なぜ「私の男」なのか。これからふたりはどうなるのか。実に興味深く謎は提起された。さらに言えば読む人によってなにが謎であるか、受けとめ方は違うかもしれない。懐の深い謎の提起である。スケベ心をくすぐる描写や美しい情景さえも謎解きラストを劇的に見せるための環境整備と考える。読者はこの「謎解きごっこ」にのめりこめばいい。まさに上出来のエンターテインメントである。
江戸川乱歩はミステリーの傑作はもう一度読み返してみたくなる作品であるとの主旨を述べていた。その意味では必ずだれもが「これから二人はどうなる?」と第一章へ戻ること間違いなしだ。叙述トリックの新機軸であると賛辞を送る。
水上勉が推理小説作家であることをやめたときに、ミステリーは謎解きが楽しみであり、謎の解明、動機について奇抜な工夫が要求される。奇抜が奇抜であるほど成果が高いとしたうえで、ただそれだけでは空しいと、そんなようなこと語っていた。おそらくミステリーの約束事に縛られていては文学者としての固有のモチーフを思うように読者に伝えることができないことへの苛立ちなのだろう。
水上勉氏が「空しい」とするところをこの作品に期待してはいけない。桜庭一樹の関心はインモラルの美学うんぬんなんて思索的なところにはなく、もっぱら、どうしたら読者にこの謎解きを楽しんでもらえるかと、奇抜な工夫を練ることにあって、それは大いに成功しているのだと私は思う。