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紙の本
免疫学者の、厚生労働省に対する、リハビリテーションのための闘い。
2010/05/15 21:04
3人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:風紋 - この投稿者のレビュー一覧を見る
2006年4月1日施行の診療報酬改定は、これまで必要に応じておこなわれていたリハビリを一部の疾患をのぞいて原則として発症から最大180日に制限することとした。リハビリを制限されると、患者は寝たきりになり、死期が早まる。患者に死ねというようなものだ。これは生存権人権の侵害である。医療保険制度発足以来初めての患者切り捨てである。
これが本書の要点だ。
診療報酬改定後まもなく亡くなった社会学者の鶴見和子は、「最初の犠牲者」であった。
彼女は、1995年に脳出血発病、左片麻痺。リハビリ後歩行可能になった。その後転倒し、大腿骨を骨折したが、月2回派遣される理学療法士について訓練を続けた。
「ところが今まで月二回理学療法士を派遣していた二つの整形外科病院から、突然制度がかわり、あと三ヶ月だけは、月一回は派遣できるが、その後は打ち切りになると宣言されました。後は自主トレーニングに励んでくださいといってきたのです。ついでに、これは小泉さんの政策ですと告げられたといいます。(中略)それから三ヶ月もたたないうちに、それまでベッドから楽に起き上がって、車椅子に移動できたのに、急に背中が痛くなって起き上がるのが困難となったのです、そして日増しに痛みは強くなり日常生活が不自由になりました」
「リハビリ診療報酬改定を考える会」が立ちあげられ、著者は会長に就いた。
反対闘争は国民全体にひろがり、2か月間で44万人の署名があつまった。
ところが、本書によれば、厚労省の対応は欺瞞の一語につきた。
厚労省は、2006年6月30日に提出された署名を一顧だにせず、握りつぶした。のみならず、2006年11月7日付け朝日新聞に、主管課長の個人名で、医療保険が打ち切られても介護保険の通所リハビリを利用すればよい、という見解を表明した。
しかし、通所リハビリには設備も人員も不足し、利用者の大部分の時間はリクリエーションや食事に費やされるにすぎない。当然、著者は反論を寄稿したが、朝日新聞は掲載しなかった。4月には著者の論説を掲載したのに、「突然変節したのは、何らかの圧力が掛かったに相違ないと疑っている」。
2006年11月28日、厚労省のウソが暴露された。「高齢者リハビリ研究会」が「効果の明らかでないリハビリが長期間にわたって行われている」という指摘があった、と厚労省は再三説明してきたのだが、衆議院厚生労働委員会で、かかる事実は存在しないことが判明したのである。
2007年3月、中央社会保険医療協議会の会長は制度の見直しを指示した。ために、厚労省は、改定後わずか1年でリハビリ報酬の異例な再改定をおこない、救済措置をとったかのように宣伝した。しかし、日数制限の緩和はごく一部の疾患が対象となるにすぎなかった(ちなみに、日数制限の除外規定はそれまでにもあったが、適用の範囲が明確でなく、結果として医療現場では患者に不利な運用がおこなわれた)。
しかも、厚労省は「悪辣なやり方」、事務レベルで締めつけを強化していく。
(1)リハビリが長期化するにつれ医師の事務処理が煩雑になるようにし、現場のリハビリ意欲を減退させた。
(2)診療報酬逓減制を導入し、リハビリを続ければつづけるほど医療機関の収入が減るしくみを持ちこんだ。実質的な診療制限である。
(3)リハビリに成果方式を導入し、回復の度合いを診療費決定に反映させることとした。機能維持、機能低下予防といった患者のクオリティ・オブ・ライフ(QOL)維持の努力は評価しない。この結果、維持期の患者は受診できにくい事態が加速した。
「官僚はここまでやるのである」
本書には、細かいところで勇み足がある。たとえば、障害者自立支援法を「一連の非人間的医療改革」に位置づけているのがそうだ。
障害者自立支援法の自立支援医療は、医療保険の自己負担分に係る福祉的給付なのだ。つまり、患者が負担する費用を補助する制度である。従前の制度とのちがいは、利用者負担が応能負担から「応益負担」、つまり1割負担に変わった点くらいだ。それも、利用者からの批判に対処して(いささか複雑な)個別減免が設定された。もっとも、自立支援医療の具体的内容は医療保険のそれと同じだから、結果として診療報酬改定の影響を受ける。その意味では著者の位置づけはあながち間違いではない。
リハビリテーションは一律の日数制限にはなじまない、と著者はいう。
なぜなら、リハビリの具体的な内容は、個々の症状や障害の状況によって異なるからだ。また、急性期の患者ほど急激な回復が望めない慢性期、維持期の患者も、リハビリをおこなうことで機能低下を防ぐことができる。この点で、リハビリは、寝たきりになることをふせぐ予防医学の役目をはたしている。
そもそも、リハビリは単なる機能回復ではなく、社会復帰をふくめた人間の尊厳の回復である。臓器別に細切れに、脳血管疾患は180日、運動器疾患は150日、呼吸器疾患は90日、心血管疾患は150日と上限を設定するのは、総合的に「人間」全体を対象としてきたリハビリを冒涜するものだ。リハビリの理念が変えられてしまった・・・・。
これは誠にまっとうな主張だし、全人的復権は上田敏以来リハビリテーションの理念となっている(はずだ)。
リハビリテーションにたずさわる専門家集団や日本医師会の対応の対応は、著者にとっては歯がゆいらしい。
社会問題と化したリハビリ打ち切りに対し、専門家集団の「日本リハビリテーション医学会」は動かなかった。ようやく診療報酬改定に係る反対意見書を提出したのは、署名運動の終わった2006年11月のことである。厚労省に白紙撤回の動きはなかったが、「それに対して、腰抜けの学会は何も抗議していない」。
リハビリ中止により寝たきりになり、生命が脅かされる患者がしょうじても介護保険で処理せよ、と厚労省の文言は読める。かかる患者を放置すれば医師法第19条に抵触する。医師法違反となる制度ができたというのに、日本医師会はまったく反対しなかった。「今の医師会は、厚労省に対して腰抜けだと聞いたが、私もそれを実感した」
このあたり、実績のある医学者ならではの迫力がみなぎる。
著者は、介護保険強制の理由として、新しい利権と省益拡大を推定する。介護予防事業がそうだった。厚労省は、こうして介護保険を肥大化させながら、他方では急増する介護保険の費用抑制を地方自治体に指示している。「リハビリ難民」を介護保険に送りこみながら、「介護保険にはそんな金はないと、二枚舌を使っているのだ」。
さらに、厚労省の体質を批判する(厚労省解体論)のみならず、国民皆保険破壊を危惧する(民間の医療資本と損害保険会社の営利的参入)のだが、老いて、しかも脳卒中に起因する重度の右片麻痺、嚥下障害、言語障害の身のどこから、かくも鋭い舌鋒が生まれたのだろうか。
一言でいえば、真摯な怒りだ。思えば、加藤周一はかつて金芝河にふれて、「怒ることの大切さ」といった。
「なおも君は忿怒佛として/怒らねばならぬ/怒れ 戦え 泣き叫べ」(本書「はじめに」)。
紙の本
ブラック・Jは混合診療を受け付けるか?
2008/02/22 13:30
4人中、3人の方がこのレビューが役に立ったと投票しています。
投稿者:Living Yellow - この投稿者のレビュー一覧を見る
あの世界。ブラック・Jという無免許医師は、障害者でもある。基地跡地に造成された宅地におそらくは何不自由なく育ち。そこに残された地雷に母とともに触れて、母は寝たきりになり、父は女を作って海外逃亡。自らも文字通り、バラバラになった五体を、医師の助けと血のにじむリハビリテーションを経て、再生する。そして「血も涙もない」金の亡者と呼ばれ、無免許・日本医師会に所属しないモグリの医師になる。
相場は一千万から五千万円。滞納すると容赦なく取り立てる。孫子にわたる分割払い可。ただし、自らのミス、予後不良の場合は、ムキになって無料で、否が応でも手術台に引きずっていったはずだ。さて、彼は健康保険制度を否定していたのだろうか。自由診療、混合診療に賛成するだろうか。あの世界が門を閉ざしてしまった今、それは知るよしもない。
本書は彼に匹敵する知性と、障害を共にになった、現実界の知の巨人、HIV研究をはじめ、現在の先端医学の重要要素である<サプレッサーT細胞>の発見を三十数年前に成し遂げ、ベストセラー『免疫の意味論』でも知られる、多田富雄先生の最新の著作である。脳梗塞後の、2006年の医療制度変更によって、充分にリハビリテーション=メンテナンスを受けられなくなった、左手で、筆者の想像もつかぬ物理的・精神的苦痛に耐えられてご執筆されたことと察する他ない。しかし、その文章は読みやすく、そして、果てしなく重い。社会学者・故鶴見和子先生のご逝去の報には接していたが、本書を通して、あの医療制度変更が、先生の早すぎる死の一因となったことをはじめて知り、暗澹とした気分になった。本書に引用されている故鶴見先生の最後の歌を本文に引用させて頂く。
ねたきりの予兆なるかなベッドより
おきあがることできずなりたり
リハビリテーションとは。本書によれば、ラテン語のRe(もう一度)+habilis(快適に住まう)ことに由来する。文字通り人間に適した生活を取り戻すことを指す。原意はローマ法王庁から破門された人間が、教徒として復権(全人的復権)することを意味したそうである。そして、現在の医療現場のリハビリテーションは、その全人的復権を目指すものであり、千差万別の障害に対応して、果てしなく続く本質を持っている。悪くならないためにも、いや人間の形にとどまるために、リハビリテーションは必要である。おそらく多田先生の今回の新著も先生が過去に受け、耐えたリハビリテーションが先生の血肉となり、書かしめているとも言えるのである。
本書によれば、先の制度変更は、その本質をねじ曲げるものであった。ある一定期間(180日・失業保険をイメージしたのか?)で多くの重篤な症例のリハビリテーションを打ち切ってしまう。多少改善されたような面もあるようであるが、診療報酬を右肩下がりにすることにより、医療機関のやる気・財政にマイナスになるような制度設計が仕組まれている。「介護」に投げようというのだ。しかし、今の介護現場は?あのジュリアナ東京の仕掛け人がつい最近まで仕切っていたのだ。
失業保険の民営化さえ、噂される昨今。このような姿勢の当局が混合診療を導入したら?新薬・先端医療から順に、保険適用をはずされて(重粒子線治療の保険適用はかなり通例より遅れている)、先進医療が一部の人々のものとなり.。平均的な患者の受けられる治療レベルは徐々に?元一流大学教授にして健筆を誇られる先生にして、この窮状である。想像に余りある。文字通りの「足きり」である。
ブラック・Jは自殺を図った死刑囚に救命処置を施し、そして刑の執行を見守った。
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