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<08/3/5> 「書き足りない・・・・・・。稿を終えての思いはそれに尽きる」・・・と著者は「あとがき」で書いています。では、「物足りない・・・・・・。読み終えての思いはそれに尽きる」・・・そう私は書きましょう。
世界に冠たるカタカナとひらがなの誕生物語ということで、とても期待してわくわくしながら読みました。ところが。
カタカナとひらがなが「なぜ」誕生せねばならなかったのか、そこのところはある程度書き込まれていてまずまず納得がいったのですが、もうひとつの、より大きな興味であるところの「どのように」誕生したのかということについての記述がいかにも不足しています。
また興味津々の「いろは」の誕生についても、「あれ?」と思うくらいさらっとした記述で肩透かしをくらいました。
唯一面白かったのは、五十音の配列が完成するまでの物語。私たちには当たり前と思われている「"い""え""お"があ行で、"ゐ""ゑ""を"がわ行」ということが全然当たり前ではなく、長いこと国語学上の謎であり、それを解決したのがあの本居宣長であるという事実には「へえ〜」となりました。さらには、その本居宣長の解決法の見事さにうならされました。やはり宣長は天才なのだ。宣長の伝記が読みたくなりました。
【じっちゃんの誤読的評価:★★☆】
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「仮名」の歴史。
日本語学履修した人からすると内容が割と半端。
でも専門書と比べ難しくないので、
横道に逸れすぎなければ入門にいいのかもしれない。
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ひらがなの成り立ちなど
日本語の歴史をさらっと追っていく感じの本でした。
ページ数もさほど多いわけではないですし、
知識として知っていて損はないかと思います。
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フォトリーディング&高速リーディング。日本文化についてのシントピックリーディング。あいうえおは明治から。この発明はすごいらしい。
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[ 内容 ]
「五十音図」に代表される論理的な「カタカナ」、いろは歌に代表される情緒的な「ひらがな」、そして中国から渡来した漢字。
これらを巧みに組み合わせることで、日本人は素晴らしい言葉の世界を創り上げてきた。
空海、明覚、藤原定家、行阿、本居宣長、大槻文彦…先師先達のさまざまな労苦の積み重ねをわかりやすく紹介しつつ、これまでにない視野から、日本語誕生の物語をダイナミックに描く。
[ 目次 ]
序章 「ひらがな」と「カタカナ」
第1章 国家とは言葉である
第2章 淵源としてのサンスクリット語
第3章 万葉仮名の独創性
第4章 『万葉集』が読めなくなってしまった
第5章 空海が唐で学んできたこと
第6章 「いろは」の誕生
第7章 仮名はいかにして生まれたのか
第8章 明覚、加賀で五十音図を発明す
第9章 藤原定家と仮名遣い
第10章 さすが、宣長!
終章 素晴らしい日本語の世界
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ 文章
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共感度(空振り三振・一部・参った!)
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
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漢字の伝来から、平仮名・片仮名の発明、いろは順からアイウエオ順への変遷など、日本語の歴史を網羅的に学べる。
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もともと書き文字がなかったところに中国から漢字を輸入し、しかしそれでは日本で話されていることばをすべて書き記すことはできないので、サンスクリット語の音を漢字で筆記する方法に倣って万葉仮名が使われるようになり……と、文字の歴史を辿りなおすことができる本。入門書としては手ごろでよいと思います。
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歴史に深入りしすぎてちょっと散漫になってしまった印象。内容をもっとアイウエオといろはの成立に絞って欲しかった。
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J長お勧めで借りて読んだところ、かなりの大ヒット!薄い新書ですが、
個人的にはツボだらけでした。なかでもハイライトは、サンスクリットの
音をそのまま漢字に当てはめる(波羅蜜とか)という発想が、漢字→
万葉仮名につながったというところ。その後試行錯誤を経て、カタカナ
とひらがなを開発し、日本語は独自の記述システムを獲得していった。
そして、それが今も続いている。われわれの感性の根幹には、万葉の
頃からの感性がこびりついているわけだ。本居宣長は、その本質を、
「唐心」の対極として、「やまとごころ」「もののあはれ」に見出した。
まだ文字がない頃の「やまとごころ」「もののあはれ」はどんなもの
だったのだろう?想像するしかないのと同時に、確実に自分のなかにも
息づいていることを思うとなかなかこれはすばらしい。日本人の
「単一民族神話」とかいうことはこの際横に置いておき、(「美しい
日本語」ではなく、)「日本語」の美しさは否定する必要もない。
鈴木孝夫先生が「日本語を武器に世界へ出よ」というようなことを
おっしゃっていたが、そのことも真剣に考えてみたい。
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「いろは」「あいうえお」「漢字」という3種類の文字を使う日本人は素晴らしいのだと思う。海外のモノを真似して使う。これは発展には重要だが卑怯と思われてしまうこともある(例えば韓国、中国への技術流出、著作権問題)。しかし、私たちの祖先はそこに日本独自のものを吹き込んでいった。そうした努力と国を思う気持ちが今私たちがしゃべっている日本語だ。
なんかちょっとゾクッときますね。
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卒論用参考文献(仮)
サンスクリット語を漢字であてた経験が万葉仮名の発明に繋がった、という点が興味深い。50音表の成立も中々。
日本の言語文化は外の文化との相互作用でより深められていったのだと感じる。
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すでに読み方などわからない上代特殊仮名遣いがどのような発音であったかというのは、中国で漢字の発音を漢字で表現する反切法で使っている漢字の発音仕方がわかるかららしい。
本書は、ひらがなカタガナの50音表がどのように成立していったかを説き明かしつつ、日本語の中でのかなの果たした役割をといている。
かなの確立には、仏教でのサンスクリット語による経文解明が大きな役割を果たしたようである。50音表もサンスクリット語の発音体系に基づいて作られたとする。
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<目次>
序章 「ひらがな」と「かたかな」
第1章 国家とは言葉である
第2章 淵源としてのサンスクリット語
第3章 万葉仮名の独創性
第4章 『万葉集』が読めなくなってしまった
第5章 空海が唐で学んできたこと
第6章 「いろは」の誕生
第7章 仮名はいかにして生まれたのか
第8章 明覚、加賀で五十音図を発明する
第9章 藤原定家と仮名遣い
第10章 さすが、宣長!
終章 素晴らしい日本語の世界
<内容>
日本語の表記の話。ルーツはサンスクリット語にあり、「いろは」から「あいうえお」になっていったのもそこにつながるという。小冊子なので、”ゐ””ゑ””を”の消えていった過程の話はさりげなくしか書いていないが、江戸時代には読めなくなっていたとか、それを本居宣長が解明していった話(解明するためにさまざまな本を校訂していった話は想像するにすさまじいが)とか、空海の話(お経がらみはよくわからなかった)とか、歴史と国語には密接な関係があるんだと、今更ながら納得!